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そしてとうとう、舞踏会の日がやってきました。
お決まりの真っ黒な天鵞絨の絨毯を敷いて、場所を変えて開かれる久々の舞踏会に、誰もが浮き足立っています。ここ最近、目覚めても物憂げな表情ばかり浮かべていた天頂の女王様も、今宵ばかりは嬉しげな微笑みをその輝かしいかんばせの上にたたえていらっしゃいました。
エトワールオーケストラも久々の晴れ舞台に気合十分な様子です。今宵の指揮者はアルタイル。いつもはペアであり恋人でもあるベガと踊る彼ですが、今宵は敢えて彼女に違った魅力を見せようと自ら指揮者に立候補したのだそうです。
調子に乗りやすいのよ、とベガは頬を染めてぷりぷりと怒っていますが、まんざらでもない様子で指揮台に立つ恋人を見つめます。
「さあ今宵も楽しみましょう」
女王様の宣言を合図に、今宵の舞踏会が始まりました。
オーケストラは優美なメロディを奏で、星たちはくるり、くるりと会場の中を輝き、瞬いては踊ります。
そんな沸き立つ会場の片隅で、アデュラリアは一人、溜息を吐きました。
いつものアデュラリアであれば自然と身体が動き出し、会場の中心へ自ら足を踏み出して一人でステップを踏むというのに、今夜はそんな気がちっとも起こりません。
それどころかアデュラリアはもともと、今夜は欠席しようかとすら思っていました。それを、わざわざシルビンがやってきて、アデュラリアをこの会場まで引っ張ってきたのです。
それも、何をどう聞きつけたのか、「パイラルガイサイトと約束してるんでしょ?」という台詞までつけて。
約束も何も、一方的に言われただけだとアデュラリアは反論したのですが、話術に長けたシルビンには敵いませんでした。あれよあれよと言う内に言いくるめられ、気付けばアデュラリアは、この会場に放り込まれていました。
アデュラリアをここまで連れて来た張本人であるシルビンは、役目は果たしたとばかりに、今は白鳥座のデネブと楽しげに踊っています。
デネブの真っ白な輝きに、シルビンのオレンジ色の輝きが映えてとても綺麗です。シルビンのドレスの裾を飾る子ぎつね座の狐火が、誇らしげに揺れています。
親友が自分のことを思ってここまで連れてきてくれたことは解っていますが、それでもこうなると、アデュラリアは複雑な心境に陥らずにはいられません。
そして、ついついオレンジ色の輝きを恨めしげに見つめるアデュラリアに、今一番聞きたくなかった声がかけられました。
「アデュラリア! こんなところにいたのか」
「パイラルガイサイト……」
嬉しげに駆け寄ってくる紅の星の名前を、アデュラリアは途方に暮れたように呼びます。
その声と表情だけで十分に、アデュラリアが気乗りしていないことを、パイラルガイサイトは理解したに違いありません。
けれども彼は怒ることも落胆することもありませんでした。代わりに、パイラルガイサイトは、アデュラリアに、いつかと同じような真剣な表情で、恭しく丁重に片手を差し伸べました。
「一度でいい。俺と踊ってほしいんだ」
まっすぐな紅の眼差しは、アデュラリアが目を逸らすことを許してはくれません。
パイラルガイサイトが本気で自分と踊りたいと思ってくれているのだと、アデュラリアは遅ればせながらやっと理解しました。
だったらもういいのではないかしら、とアデュラリアは思いました。
こんなにも真剣に自分のことを想ってくれている素敵な星が目の前にいるのです。この美しい、銀がかった紅の星となら、きっと、それはそれは素晴らしいステップが踏めるのでしょう。それこそ、あの金色のラインが入ったハリボテと踏んだステップなんかとは比べ物にならないに違いありません。
そうですとも。
もう二度と逢うことは叶わないであろう、あの人間のことなんて、忘れてしまえばいいのです。
「――アデュラリア?」
真剣な表情を浮かべたまま、パイラルガイサイトが訝しげに眉を顰めます。アデュラリアは静かに息を飲みました。
何故か視界が歪んで、パイラルガイサイトの顔がよく見えないのです。せっかくの格好いい顔立ちが、変に歪んで見えるのです。
思わず顔に触れると、指先に、濡れた感触が伝わりました。
「どうして」
呆然とアデュラリアは呟きました。どうして自分は泣いているのでしょう。
アデュラリアには解りません。けれども涙は止め処なくアデュラリアの瞳から溢れ、きらきらと輝きながら頬を伝い落ちていくのでした。
「アデュラリア」
パイラルガイサイトに呼びかけられても、答えることができません。両手で口を覆い、アデュラリアは必死に嗚咽をこらえます。
そんな彼女を、パイラルガイサイトは物言いたげに見つめます。
そうして彼の手が、アデュラリアの濡れる頬に伸び、今、正に触れる、その寸前のことでした。
ゴオオオオオオオオオオオオオオ!
耳が壊れるかと思うくらいに大きな音が、舞踏会の会場を飲みこみました。それと同時に、巨大な鋼色の塊が、圧倒的な存在感と共に現れたのです。
星たちはそれが何かを知っていました。あの宇宙船です。そこから、ハリボテを着た人間が、次々と飛び出してきます。
アデュラリアの知る限り、今までで一番たくさんの人数です。罠だったのだと、敏い星たちは気付きました。これまであの宇宙船が姿を見せなかったのは、すべてこのためだったのでしょう。油断し、舞踏会に興じる星たちを、一気に捕まえる、そのために。
こうなればもう舞踏会どころではありません。星たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、その星たちを人間が追いかけます。
天頂の女王様は真っ青になってなんとか星たちを逃がそうとしますが、何もかもがめちゃくちゃな会場では、女王様の声も届きません。
周囲では逃げ遅れた仲間たちが次々と捕まっていくというのに、アデュラリアはその場から動けませんでした。
「何してるんだ! 早く逃げるぞ!」
パイラルガイサイトがアデュラリアの細い腕を掴んで引っ張ります。それでもアデュラリアは動けないままです。
どこにいるの、とアデュラリアは内心で叫びました。こんな時なのに、どうしてだかアデュラリアの銀の瞳は、あの人間の姿を探してしまうのです。あの、金色のラインの入ったハリボテを、探してしまうのです。
その時でした。
アデュラリアの銀の輝きに、反射する金色が、アデュラリアの目に入りました。
「あ」
見つけた、と思った瞬間、アデュラリアの目の前は真っ暗になりました。