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もう行かない方が良いと解っていながら、アデュラリアはそれでもまたその次の日も、あの場所へと足を運びました。
わざわざ探すまでもなく、すぐにあの人間の姿は見つかりました。何せ、アデュラリアの銀の輝きを受けて輝く金色のラインは、この宇宙ではとても目立つのですから。
とん、とアデュラリアは宙を蹴ります。この金色のラインの入ったハリボテを着た人間に近付くことに、もう躊躇いはありませんでした。むしろ近くに行きたいと、そう思えてならないのです。
オーケストラがいなくても、観衆がいなくても、昨日のワルツは、今までで一番素敵なワルツだったと、そう思えてならないのです。
だから今日もまた昨日のようにワルツを踊ろう、とアデュラリアは決めていました。
そんな風に思う自分はどこかおかしくなってしまったのだと解っていながら、そんな自分がアデュラリアが嫌ではありませんでした。
けれども、とん、とん、と宙を蹴って近付いていくアデュラリアを、まるで制するかのように人間は手を挙げました。人間は言いました。
「ごめんね。言葉が通じるかは解らないけれど、きみ、もうここに来てはいけないよ。探索区域の配置換えがあったんだ。明日からは僕じゃない奴が来るようになるから、きっと捕まってしまう」
何を言われたのか理解するのに、アデュラリアは少々時間がかかりました。そして遅れて理解が追い付くと、ああそうだったの、と納得します。
今までアデュラリアがこの場所で、この金色のラインが入ったハリボテを着た人間以外には遭遇しなかったのはそういう訳だったようです。
やがて、アデュラリアはカァッと頭に血が上るのを感じました。銀の輝きが増し、激しく明滅します。
この人間は、なんて勝手なことを言うのでしょうか。アデュラリアはふつふつと熱いものがお腹の底から湧きあがってくるのを感じました。
腹が立って仕方がありません。
「また逢えて嬉しい」なんて言っていたその口で、今度は「もう来るな」などと言うなんて!
「頼まれたって、もう来ないわ!」
伝わらないと解っていながらも、アデュラリアはそう叫び、その場から一息で飛び上がりました。
銀の軌跡を残しながら宇宙の回廊をアデュラリアはひたすらに駆けました。その銀の軌跡が、アデュラリアの銀の瞳から流れた涙だなんて、本人すらも気付かないままに駆けて、駆けて、そしてアデュラリアは、ようやく見つけた大好きなオレンジ色の後ろ姿に飛びつきました。
「シルビン!」
「アデュラリア!?」
突然飛びついてきた親友に、シルビンはとても驚いたようでしたが、アデュラリアはそんなことには構っていられませんでした。涙が溢れて溢れて止まりません。
シルビンはアデュラリアを抱きしめ、落ち着かせるように背中を撫でてきます。
「シルビン、シルビンッ!」
「待って、どうしたのよアデュラリア」
泣きじゃくりながらアデュラリアは、シルビンにすべてを話しました。舞踏会のあの日、人間に助けられたこと。その人間と、その後も何度も逢っていたこと。そして今日、もう来るなと言われたこと。その人間のことを考えただけで胸が苦しくなることまで、全部を吐き出しました。
シルビンは、アデュラリアが人間と関わっていたことに酷く驚き、アデュラリアの肩を掴みます。
「人間に関わるなんて、あんた、なんて馬鹿な真似を!」
「解ってるわシルビン。でも、どうしてもやめられなかったの」
危険を冒して逢うことよりも、逢わないでいることのほうが、よっぽど自分には辛いことなのだとアデュラリアはその時ようやく気付きました。
それをそのまま言うと、シルビンはそのオレンジ色の瞳を見開きました。
「アデュラリア、それじゃあまるで、その人間に…」
何かを言いかけて、シルビンは首を振り、強くアデュラリアを抱きしめて囁きます。
「忘れてしまいなさいな。どうせそろそろあいつらも居なくなる頃だわ。踊っていないからそんな風に思うのよ。舞踏会がまた開かれるようになれば、また何もかも元通りよ」
「そうかしら」
「ええそうよ。だから泣くのは今だけになさい。今夜はあたしがついててあげるから」
酷い顔よ、とアデュラリアの涙を拭ってくれる親友に、アデュラリアは頷きました。
けれど心の中にあったのは、やっぱりあの人間の姿なのでした。
シルビンに寄り添われて散々泣いたその日の後も、アデュラリアの頭からは、あの人間のことが頭から離れませんでした。
シルビンにはもう忘れろと言われましたが、忘れたくても忘れられないのです。もう一度だけでもいいから、逢いたくて仕方がないのです。
いつも逢っていた場所にはもう行けないことは解っています。あの言い振りからしてあの人間自身も別の場所を探索しているのだろうけれど、その場所を知る術はアデュラリアにはありません。
そうなると自然とアデュラリアの足は、人間達のホームである、宇宙船が停船しているだろう方向へと向かうのでした。
宇宙船の姿は見えません。星たちが隠れているのと同様に、宇宙船もまた、器用にこの広い宇宙に隠れているようです。けれどあの舞踏会の会場の近くに宇宙船がいることには間違いはないでしょう。
近付きすぎるとこちらの方が見つかってしまうでしょうから、ぎりぎりの場所から隠れ見ては、あの金色のラインの入ったハリボテを着た人間を探す日々が過ぎていきました。
やがて、そんなアデュラリアのことを不審に思う星が現れ始めました。
ただでさえ注目を集めるアデュラリアです。直接声をかけてくる星はいませんでしたが、アデュラリアの行動はいつしか噂となって星たちの間に広まっていくのでした。
そんなある日のことです。
今日もまた宇宙船の方角へと向かおうとするアデュラリアの元に、やってきた星がいました。アデュラリアにペアになろうと誘いをかけてくる星、パイラルガイサイトです。
「どういうつもりだよ」
出会いがしらにパイラルガイサイトはそう言い放ちました。
切れ長の瞳をつり上げて、アデュラリアを睨みつけながらそこに立つ彼の周りでは、パチパチと彼の放つ銀がかった紅色の光が弾けています。それは彼が怒っていることの何よりの証明でした。
が、それに気付かないふりをして、アデュラリアはことりと首を傾げます。
「なんのこと?」
そう問いかけた途端、一層大きく紅の輝きが弾けました。
思わず息を呑んだアデュラリアにパイラルガイサイトは詰め寄ります。
「あの宇宙船のことだよ! お前、近付きすぎじゃないか」
「そんなことないわ」
そう言いながらも、アデュラリアは内心で、パイラルガイサイトの言う通りだと解っていました。
自分がどれだけ危険な真似をしているかくらい百も承知です。けれどアデュラリアは、それでもそうせずにはいられなかったのです。あの人間に逢いたくて仕方がないのです。
けれどそれを言っても、パイラルガイサイトはきっと理解してはくれないでしょう。何せ、アデュラリアは星で、相手は人間なのですから。
現にパイラルガイサイトは、アデュラリアの行動を責めるばかりで、アデュラリアの言い分なんて聞く耳を持たない様子です。
「何を考えてるんだよ。人間に捕まったらどうするつもりだ!?」
「だって……」
「だっても何もねえよ!」
人間に捕まった星たちが返ってこないその理由を、星たちは知っていました。
当然、アデュラリアも、パイラルガイサイトも知っています。
言葉を切って黙りこくるアデュラリアに、パイラルガイサイトは大きく輝いて怒鳴りつけました。
「人間に捕まったら、願いを叶えさせられて死んじまうんだぞ!」
それは星ならば誰もが知る不文律です。
星は、その生涯にたった一度だけ、奇跡を起こして他者の願いを叶えることができるのです。
そしてその願いを叶えた星は、自分自身の輝きに燃やし尽くされて、宇宙の塵となって消えてしまうのでした。
人間たちが星を捕まえようとするのはそういう訳です。
捕まった後のことを実際に知る星は居ませんが、想像するのは簡単なことです。
捕まった星たちは帰ってこないのは、彼らが皆、人間の勝手な願いを無理矢理叶えさせられて死んでしまったからに違いありません。
だからこそ星たちは人間を恐れ、捕まらないように逃げ隠れるのです。
パイラルガイサイトの言葉に、アデュラリアは俯き、両手を握りしめました。
そんなアデュラリアに、苛々したようにパイラルガイサイトは、その銀がかった紅色の髪をがしがしと掻き乱し、やがて自分を落ち着かせようとでもするかのように大きく溜息を吐きました。
「なあ、アデュラリア。知ってるか?」
それまでの荒ぶる声を幾分か穏やかなものに変えて、パイラルガイサイトは言いました。
「もうすぐ舞踏会が開かれるんだ」
「え?」
それは意外な言葉でした。舞踏会が開かれるのは、いつもであれば宇宙船がいなくなった後なのです。けれど今はまだあの宇宙船がいなくなったという話は出ていません。それとも、アデュラリアが知らないだけで、あの宇宙船はとうにいなくなっていたのでしょうか。あの金色のラインの入ったハリボテを着た人間は、もういなくなってしまったのでしょうか。
どういうことなのかと銀色の瞳を瞬かせるアデュラリアに、パイラルガイサイトはとっておきの宝物を見せるかのように笑いました。銀がかった紅の輝きがきらきらと輝きます。
「場所を変えて開けばいいだろうって女王様に進言した奴がいてさ。もう皆、踊りたくて仕方がないんだよ。あの宇宙船の姿もちっとも見えないし、そろそろ奴らも諦めた頃合いだろうってことで決まったんだ」
確かに、今回やってきた宇宙船は、今までとは少し違っていました。今までの宇宙船はその姿を隠しもせずに舞踏会の会場に居座り、星たちを捕まえにきたものですが、今回の宇宙船はちっともその姿を見せません。舞踏会以来、仲間たちが捕まったという話も聞きません。
もしかしたら今回の宇宙船は、もう星を捕まえるつもりは無いのかも知れないと考えても、おかしくはありませんでした。
ならもう本当にあの人間には逢えないのね。
そう考えると、アデュラリアの胸は張り裂けそうに痛みます。
声を出せば震え声になってしまうに違いないため、アデュラリアは口を閉ざすしかありません。パイラルガイサイトはそんなアデュラリアの握りしめられた手をそっと取りました。
彼は、今までにアデュラリアに誘いをかけてきたときのような、どこかふざけた様子など一切見せず、どこまでも真剣な表情でアデュラリアを見つめていました。
そのまっすぐな銀がかった紅の瞳に、アデュラリアは何も言えなくなります。
「その舞踏会で、俺とペアを組もうぜ。そうすればもっと輝けるし、宇宙船のことなんてなんとも思わなくなるさ」
確信に満ちたその声に、アデュラリアは、内心で、そうかしら、と呟きました。パートナーとしてパイラルガイサイトを選び、ペアを組んで踊れば、あの人間と踊ったときと同じように楽しく踊れるのでしょうか。
あの人間以外と一緒に踊ったことのないアデュラリアには解りません。
もしも今までに他の星と踊ったことがあったのだとしたら、また違っていたのかもしれませんが、それは今更の話でした。
「約束だからな」
パイラルガイサイトは、アデュラリアの返答を待たずに、その紅い尻尾のような髪を揺らして、自分の軌道へと帰っていきました。
呼び止めることもできず、後に残されたアデュラリアは、その場にうずくまり膝を抱えました。
ぽろり、とその銀の瞳から、同じ銀の雫がこぼれ落ちます。それは幾筋もアデュラリアの白い頬を伝い、彼女のショールやワンピースを濡らしました。
その日以来、アデュラリアは、宇宙船の方へ足を運ぶことを止めました。
その代わりに、自分の軌道を、ワルツのステップを踏みながらゆっくりと回ります。
今までと何一つ変わらないはずの、アデュラリアならではのステップです。いくら宇宙船に見つからないように輝きを抑えているとはいえ、その美しさは誰もが見惚れてしまうものです。
現に、アデュラリアの軌道と近い星たちは、彼女の邪魔をしないようにできるかぎり自らの輝きを潜めて彼女のステップを見守っています。
アデュラリアが女王様から授かった銀の靴で踏んでいるのはもちろん、彼女の愛するワルツです。
ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー。
そのステップは、いつもと同じく軽やかでありながら、見ている星たちの心までもが切なさに苦しくなるものでした。
それなのに、彼女を見つめているどんな星も、彼女から目を離すことができません。いつものアデュラリアのものとは比べ物にならない程その輝きも抑えられているというのに、何故か今の彼女のワルツは、未だかつてなく美しいのです。
アデュラリアはこれまで、踊っている間は、それ以外のことなんて考えもしませんでした。一人で踊ることに何の疑問も感じず、ただ楽しくて仕方がありませんでした。
それが今はどうでしょう。アデュラリア自身は、足にまるで、この広い宇宙の中でも重いと知られるピストル星製の足枷が嵌められているような気がしました。
足は重く、胸は苦しくて仕方がありません。ぐるぐるとシルビンやパイラルガイサイトの言葉がアデュラリアの頭の中を回ります。
二人が自分のことを思って言ってくれていることは解っていました。事実、二人の言う通りなのでしょう。アデュラリアの方が間違っていることくらい、誰の目にも明らかです。
それなのにアデュラリアの心はやっぱり、あの金色のラインの入ったハリボテを着た人間の元にあるのでした。