第八話
「ち……っ」
既に小屋へと取り付いている<異形>を見て、レダは弓を構えていた。
その右手に矢はない。しかし弦を引き絞れば、そこには光の矢が生まれた。射出された光の矢は空中ではじけるように2つに割れ、それぞれがごく小さく展開された障壁に跳ねながら<異形>へと殺到してゆく。
側面からの矢にその頭部を殴りつけられ、よろめくように窓から離れる<異形>。更に下方から跳ね上がった矢により<異形>の醜悪な上半身は大きく仰け反る。この程度ではさしたるダメージも無いだろうが、少なくとも時間稼ぎにはなると、レダは厳しい顔をしながら<異形>に視線を据える。
<異形>の顔がこちらを向いた。やや後方に居た2体も同様に、こちらを攻撃対象と定めたようだ。それを確認した後、カティアは左手に持つ一抱えほどの書物を――魔導書を開いていた。
「検索――"動体探知"」
カティアの細い指先が頁の表面を滑る。そのまま、発光した魔導書から離れたカティアの指先には、一枚の術札が挟まれていた。それを無言のままに投擲すると、術札はやや進んでから空中に静止し、ほどけるように展開してゆく。辺りには術札から開放された魔力文字がうねり、その文字列は光を放ちながら幾重もの同心円を描き出し――術札に込められていた魔術が発動する。
そう、これは魔術だ。ただの魔術だった。
三番目のノードとして青が開いた者、支援型神兵の能力とは、レガリアが収集した魔術を収める端末である魔導書の所持と、術札の形で出力される各種魔術の高速自動詠唱である。
これにより魔術のレパートリーにおいても詠唱速度においても高位魔術師並みの能力を誇るが、所詮それは生身の人間でも到達出来るものであり、あえて神兵となってまでする事かという視点でまず見られるのは致し方のない事と言えた。
特に、直接的な打撃力と即効性を重視する古参神殿騎士隊では、また各国の近衛騎士隊においても、支援型とは他兵科より一段低い位置として扱われ、数合わせのようにしか思われない。そのような扱いをされるものであった。
強襲型に劣る身体能力強化と、やや発動の遅いその真似事が出来る程度だと――。
だが、カティア自身はそう思った事は無かった。この力が何かの劣化であるなど、冗談がすぎる。
勿論カティアが元々魔術師であったなどという事はなく、神兵となってから触れた力ではあったが、二度の実戦を経て確信を深めていた。
これは素晴らしい力であると同時に、ひどく、自分の性にも合っている、と。
水面に立つ波紋のように、術札を中心に白い光が円形に地面を伝ってゆく。それは空中にも繋がり、ドーム状に薄っすらと浮かぶ格子を引いて、人が駆けるほどのスピードで広がっていった。そして光が<異形>へと到達すると、それは十字に弾けて数秒の間その場に残る。
範囲内に居る、一定以上の大きさを持った動くものを探知する魔術である。視界内の3体、右の森に残り2体。全ての<異形>を捕捉すると、カティアは唇の端を満足げにつり上げ、次の術札を繰る。
「"蔦縛"――」
魔力文字が展開し、濃い緑の光を広げると同時、地面から無数の蔦が伸びて<異形>の身体へと絡まっていった。<異形>の巨大な身体を拘束するにはか弱すぎるように思える蔦は、しかし驚くべき強靭さを以て<異形>を大地に繋ぎ止める。混乱したように滅茶苦茶に振り回される<異形>の触手が地面を炸裂させ、カティア達の居る場所まで小さな土塊がぱらぱらと降り注いだ。
それを軽く跳んで避けながら、カティアは微笑を零す。
「こんなものかしら。全目標の捕捉と拘束が完了……と言っても気休め程度ですけれど。破られるまでそう長くはかからないと思って下さいな」
「肝心の、あの子の所在がまだのようですが」
ルークが言うと、カティアは軽く肩をすくめてみせた。
「飽くまで動体探知ですから、動いていないものについては仕様がありませんわ。しかしまあ、普通に考えるなら小屋の中ではなくて? <異形>があれを覗き込んでいたのは見えていらしたのでしょう」
「……何か、棘がありませんか?」
「いえ。そう長く拘束していられないと言った筈ですのに、随分とお暇そうなので」
にこやかに笑むカティアにそれ以上何を言う事も出来ず、ルークは小屋へと向かおうとする。だが、その足はすぐに止められていた。彼の前に回ったウナが、片手で彼を押し止める。
「待って。……あれ」
促されて見た小屋の上には、見覚えのある姿があった。腰にまで届く手入れの悪い黒髪ばかりが印象的な少女が、元は薄紫色だったのだろうまだらに血に染まった服を着て、屋根に立っている。
居た。無事だった、とは思うが、ルークが感じたのは安堵ではなく奇妙な薄気味の悪さである。
ぴんと背筋を伸ばし、両腕を軽く広げて立つ彼女が、本当にほんの少しばかり前に見た少女なのか。その程度のことが断言出来ないのだ。
「な、何やってんのよ! 行かなきゃっ!」
「コルネ、違う。何か……」
制止のための言葉が途切れる。ぶづんという、<異形>が蔦の拘束を振り払う音に気を取られる。そして、空中に張った力場により直線で小屋の屋根へと駆けるコルネの前で、アルフラの姿をしたものが動いた。
両手の指先には魔力の光が尾を曳いている。胸の前で円を描きながら幾度も交差する指先は、一つの紋章を描き上げる。先程カティアが放った術札の展開したものに似て、それよりも数段複雑な、魔術。
「……"耐火"ッ!」
顔色を変え、カティアが放った術札が展開する。コルネの周囲に張られた属性防御が押し寄せる炎をはじいて、虚空に散る紅い魔力の欠片へと還してゆく。
小屋の半分を飲み込んで火柱を立てる魔術は、先の<異形>との戦闘においてカティアが使用したもの――竜炎だった。所詮、素人に過ぎないカティアに魔術式の見分けは難しく、使用して間もない、記憶に新しいものだったためにぎりぎりで判別がついたというところ。
他の魔術であれば危なかった。必死に汎用の対魔法障壁を検索しつつ、カティアは設置しておいた跳躍地雷を全基起動させる。拘束を逃れた<異形>たちが、付近で跳ね上がり炸裂する小型の魔力弾に闇雲な反撃を行って、僅かではあるがその足を止める。
「くく……なるほど、それが神兵の高速自動詠唱とやらかえ」
猛火を隔ててルーク達と対峙しながら、アルフラの姿をしたものは笑っていた。
「不思議なものだねえ。構成まではやけにもたついてるのに、展開と発動は驚くほどに早い。魔術師じゃあ絶対に有り得ないアンバランスさだ」
「誰よ……あんた」
空中に張った力場の上で膝をつきながら、コルネが問う。間近で顔を見れば、その声を聞けば、これがアルフラの本性であるなどという結論にはならない。別人――少なくとも中身は。そうコルネは断じる。
「名乗ったところでお前達のようなガキには聞き覚えもなかろうさ」
「……はあ? 何の関係があんのよそんな事」
コルネは立ち上がり、唾を吐き捨てた。頭の両側で括った長い赤髪が熱風になびき、角のように立てたリボンが揺れる。
「あんた、アルフラじゃないんでしょ? クソ紛らわしいから名乗れって、そう言ってるんだけど」
応えを聞き、アルフラの姿をしたものは愉快そうに笑った。そろそろ燃え崩れそうになっている小屋があげる、悲鳴のような軋み音を背景に彼女は空へと駆け出し、指先には再びの魔力光が灯る。
「ふ……そうかい、そういう事なら確かに名は要るねえ。メルギナ・ドーラック、そう呼ばれてるよ」