第五話
「森の中に二人暮らしか。……あんた、これからやっていけるのかい?」
<異形>との戦闘地点からやや離れた場所、凄惨な現場が目に入らないところに腰を下ろして、レダは言う。彼女は、この中ではルークを抜いて最も背が高かった。無駄な肉の一切ない痩身を使い込まれた薄い革鎧に包んでおり、古参の傭兵といったような雰囲気を纏っている。
アルフラはうつむいていた。考える、という訳でもなく口を閉ざして、やがてぽつりと言う。
「……わかりません」
「だろうね。しかし、難しい事になっちまった。家まで送り届けて終わりって訳にもいかない」
「そうなの?」
心底からわからないといったような声を出すコルネ。レダはそちらを一瞥し、軽い溜息を吐く。
「行かないさ。犬猫じゃないんだ、殺されるのを止めてやってはい終わりって訳にはね」
「ふぅん。……人助けってのも意外と面倒なのね」
遠慮のないコルネの言葉を聞いて、アルフラは申し訳なさそうに身を縮こまらせた。自分が負担になっているという思いばかりではない。改めてこの5人の神殿騎士たちを見ていて、我が身のあまりの見窄らしさに、長いこと感じることもなかった恥じるという感覚がアルフラの心を焼いていたのだ。
女性4人はいずれも健康的な肌艶をしており、また美しかった。とりわけカティアと呼ばれた女性はその所作全てにおいて見られる事に慣れた様子を伺わせ、単なる見目良さだけではない色香を放っていた。
コルネは袖を失った上着を躊躇いなく捨て、やはり上質な布地を細やかに縫い上げた新しいものへと着替えていたし、ウナが着ている深緑のワンピースも、質素ではあったがそう古いものでも汚れてもいなかった。
――自分とは、何もかもが違う。
ちらり、と。アルフラは伏せていた視線を、ルークへと送っていた。
白に近い灰色の軍装は、その胸のあたりが薄っすらと黒ずみ、ところどころに若干の血と泥を付着させている。逆を言えばそれ以外には一分の隙もなかった。自分を抱え上げたせいだ、自分が顔を押し付けたからだと思えば、いたたまれない気持ちになった。
自分がこのような事を気にせず済む性格なら良かったのに。10年のあいだ、彼女を拾ってやったことを事あるごとに説きながらこき使った老婆との生活で、アルフラにはすっかりと卑屈さが染み付いてしまっていたのだ。
そのルークが不意に口を開いた事で、アルフラはびくりと身体を震わせる。
「僕は、それで構わないと思っていますが」
「……隊長?」
レダの、髪に隠れていない右側の眉が跳ね上がった。ルークは構わず続ける。
「勿論、彼女を家には送り届けましょう。彼女の養親について、埋葬を手伝うのもいい。けれどそれ以上は……そこからの身の振り方を考えるのは、彼女がすべきことだ。僕達の仕事じゃない」
「……へえ?」
レダは懐から細巻を取り出し、薄笑みに歪む唇へと差し込んでいた。着火用の魔道具を使って火をつけると、濃い紫煙を棚引かせる。
「なるほどねえ。その考え自体は特に悪かないとは思うけどね。……これまで3回か、あんたと一緒に仕事をしたのは。ほんっと、可愛げのないガキだって良くわかったよ」
「……貴女こそ、傭兵稼業など続けてきた割にはなかなかの人道主義者だ。考え自体は悪くないだなどと言いながら、真逆のことを他人に期待するのはやめていただけませんか」
「言ってくれるじゃないか」
火のついたままの細巻を投げ捨てるレダ。その口から決定的な言葉が放たれる前に、アルフラは立ち上がっていた。
「待って! 待って下さい。……もう、大丈夫ですから。送ってもいただかなくて……平気です」
怯えと自己嫌悪を滲ませた顔でそれだけを言うと、踵を返して走り去ってゆく。片足をやや引きずるような走り方ではあったが、森の中のこと。その姿が見えなくなるまでは然程の時間も要らなかった。
「あーあ、行っちゃった」
コルネはルークに対してあからさまな非難の目を向けながら、そう言っていた。レダもまた、舌打ちをしながら上げかけた腰を再び下ろす。彼女はそのまま不愉快そうにそっぽを向き、踵で地面をかいていた。そして暫しの後、腹立たしそうに口を開く。
「……あたしだって考え無しに言ってる訳じゃないんだ。教会なら、なにかしてやれる事はあったんじゃないのかい?」
だが、その言葉に対して応えたのは、ルークではない。カティアだった。
「いえ、無理でしょうね。だって……こんな街も村も、街道筋さえも遠い森の中に隠れ住んでいる老婆なんて……彼女もぼかしてはいたけど、十中八九、魔女。異端の妖術師でしょ?」
はっと、驚いたようにレダはカティアを振り向く。それに対しカティアは、笑いながら言葉をついでいた。
「あなた、傭兵と言っても隊商護衛でしょう。普通、猟師ですら他人との交流は切らないものよ? 自給ではどうしたって手に入らないものが出てくるもの。そんな不利益を甘んじて受け入れるのは、それが出来ないひとだけ」
「……そう、か。魔術師として存在を許されているのは、付与術師と錬金術師だけ。直接的なマジックユーザーは、今や癒し手ですら異端扱いだったね」
レダは呻くようにそう言っていた。そういった事についてはレダもわかる。癒しの魔術を使う者が消えたことで、荒事を生業とする者たちの廃業は大きく早まったためだ。
現在この世界では、レガリアから供給される魔力で魔法装置や魔道具をチャージし、稼働させるというのが番人の使う固有能力以外では魔術を使うための唯一の手段となっていた。
レガリアから生成される魔力は光脈と呼ばれる地の底を流れる川を作り、領内へと広がってゆく。首都以外の都市はその光脈筋に沿って建設され、汲み上げた魔力でその都市機能を維持しているわけだが。どうしても、中央から離れるにつれ魔力は減った。持ち歩ける魔道具の出力もある程度以上には上がらなかった。よって国境近くにおいては癒し手の居た時代に比べ、医療の質が下がる事は避けられなかった。
その問題が直撃したのが隊商護衛という稼業である。すぐにまともな都市まで辿り着ければ良いが、そんなことは稀であり、癒し手さえ居れば完治出来た筈の傷が一生涯残ること、命を落とすことの方が殆どであった。
――やや話が逸れたが、そういう事なのかとレダはルークを見る。しかし、ルークはあっさりと首を横に振っていた。
「いえ、僕の方は……そういった事を考えての発言という訳ではありませんでしたが」
「フォローしがいのない人ねえ」
苦笑いを漏らすカティア。レダの方も若干呆れた様子であったが、続ける。
「けど、あの子の婆さんはもう居ないんだろう? そこまで融通がきかないものかい」
「ききませんね。教会関係者の妖術師への反応というものは大抵がヒステリックだ。自身が神兵だから、あまりピンと来ないかもしれませんが、彼等にとっては相手が人であるぶん、<異形>よりもむしろ恐れている」
まさに、一般人が神兵を見るが如くに。アルフラが妖術師としての技能を継いでいるとは思わないが、10年共に暮らしたとなれば彼等から見れば同類だろう。援助が受けられるというのは望み薄だった。