第四話
<異形>の乳房は、横合いから飛来した矢によって貫かれていた。
それは破裂し、射出しようとしていた液体を周囲にぶちまける。当然、<異形>自身がそれを被ることとなり、付着した場所からは白煙が上がり始めた。腐食液か――と、振り返ったコルネは口許を僅かに強張らせていた。まともに食らっていたら危なかったかもしれない。
次いで、もう一本の矢が地面に突き立つ。それは半ばで破裂すると、射た者の声を辺りに響かせていた。
『そこを離れな、カティアが一発ぶち込むから。巻き込まれるんじゃないよ』
飛び離れながら上を振り仰いだコルネが見たのは、放物線を描いてやってくる炎である。それは<異形>の周囲へ着弾すると、赤い火柱をあげていた。炎自体がゼリーのような粘性を持って積み上がり、崩れるように辺りへと広がってゆく。
<異形>は炎の中で悶えていた。その下半身を覆う粘液が蒸発し、熱気と共に凄まじい悪臭が辺りに漂う。それでも、幾度となく火中から脱し逆襲を遂げようとする<異形>を、次々と飛来する矢が押し留め炎の中へと叩き返し――やがて<異形>は黒い炭となって崩れ落ちる。
それを見届け、コルネはその場へと座り込んだ。
「ああもう、やっと終わった。中型が2体って、今回は結構手応えあったわよね」
「……最初から全員で迎え撃ってたら、こんなに苦労しなかったのに」
「それはそれでつまらないじゃない」
隣に腰を下ろすウナに、コルネはそう言って笑っていた。
「……終わりましたよ」
そこからやや離れた木陰で、ルークもアルフラへと声をかけていた。
彼女の身体は、いまだルークの腕の中にある。ここまで運んで、後は自分で逃げて欲しいと思ったのだが、彼女が手を離してくれないため仕方なく――といったところであった。
アルフラは怯えきっていたが、ルークが何度か揺すると、ようやくにして彼の目を見た。ぼやけていた目が徐々にはっきりとし、今更気づいたかのように首にかけた手を緩める。
「は……あ、あの……すみません」
「いえ。……宜しければ、何があったのかお聞きしたいのですが」
社交辞令のような問いではあったが、アルフラはそう気付いた風もなくルークの顔を見続ける。表情は変わらなかったが、その瞳からはひとすじ涙が流れ、やがてアルフラは混乱したように泣きじゃくり始めた。
参ったな――と、ルークは顔には出さず、心中で溜息をついていた。こういうのはどうも、どうすればいいのか分からない。レダかカティアに任せるのが一番いいのだろうけれど。
「ルーク、いつまでイチャついてんのよ。……大丈夫? その子」
背後からかけられるコルネの声。その途端、アルフラの身体はがたがたと震えだし、ルークの服を掴む手には、白く血の気が引くほどの力が込められた。ルークは今度こそ表情に苦いものを乗せ、コルネを横目でふりかえる。
「カティアを呼んできて下さい。まだ……パニックから抜けきっていないようなので。話を聞けるような状態ではなさそうです」
「……そう? わかった、けど」
まさか、お前を怖がっているのだとは言えまい。納得がいかなさそうなコルネに、ルークは話題を変える。
「貴女の独断専行については、今回に限り許します。ですが、次はありませんよ」
うぇ、というような顔をコルネはしていた。叱責が続く気配を感じて、逃げるように離れてゆく。その姿はどう見ても年齢相応の少女なのだが。
――化物、か。ルークはそう心中にごちた。
間違ってはいない。
少なくとも一般人の認識において、レガリア・キーパーとはそのようなものに違いなかった。
この世界において、王家、王国と呼ばれるには一つの条件がある。
それが、王権の証を保有すること。第一の機能として、巨大な魔素反応炉であるレガリアは、常に膨大な魔力を生成し続ける。それによって維持される、都市全域を覆う防御結界。浄水設備や魔力灯。土と水に与えられた祝福による約束された実り。レガリアを持つ国と持たない国とではその国力は比較にならず、乞うてでも支配下に入らんとするのが当然とすら言えるものだった。
ならば壮絶な奪い合いが発生するのではないか。それもまた自然の流れだが、難しい。第二の機能として、レガリアはおのれを守るための番人を――人をベースとした強化兵を作り上げることが出来るためである。
その戦力は喩えでなく一騎当千。
常人の兵では決して太刀打ち出来ない、それが摂理。
一方的な虐殺でなく戦闘と呼べるものが発生するのは、番人同士か――<異形>相手のみ。
よって、既にある王国同士で小競り合いが起こることはあっても、その勢力図が一変するような事態は皆無であった。王国同士の全面戦争に至るような火種は、教会のとりなしによって処理されていた。教会にそれだけの発言力がある――というよりは、現在の世界のかたちを維持するため、安定させるために、各国がそれを与えたのだ。
ルーク達が今しているようなこと。領地、国境にとらわれず<異形>狩りを行う神殿騎士というものは、このような背景の上に存在していた。人目に触れる番人として、教会での呼び名に過ぎなかった神兵はその代名詞と呼べるものとなり、人々はそれに感謝をしながらも、それ以上の畏怖と恐怖の目を向けていた。
その中でもルーク達――小隊番号14番以降の新設部隊は異端だが。いちばんの問題は、自分達がどのような存在であるのか、という事に対する自覚が足りない点であろうとルークは感じていた。
「お呼びかしら? 隊長」
唇の端に薄笑いをやどして、カティアはルークの顔を覗き込む。カティアは、ルークから用件について聞いたが、ルークの胸に顔を埋めて震えるアルフラのことを微笑ましそうに見下ろして口を開いていた。
「なるほど、彼女を落ち着かせて、話を聞くお役目……でも、それならばこのまま、隊長がそうしてあげるのが適任と、私思うのですけれど」
「何を……」
ルークは盛大に顔をしかめていた。自分では埒が明かないと思うからこそ呼んだというのに。
「特に冗談を言っているわけでも、からかっているのでもなくてよ。今私が引き継いだら、何もかも最初からやり直し。それでも?」
「それでも、です。僕は、馬を回収しに行かなければなりませんから」
「……そうですか」
カティアは失望したようにこたえ、アルフラの背を抱いていた。離れる瞬間、アルフラのすがるような目を見てしまい、ルークの胸には僅かな痛みが走る。やめてほしかった。詳細がわからないと言ったのは本当だが、<異形>が足を止めるなら人と遭遇したのだろう事は予想がついていた。
見捨てたのだ、知っていて。その相手を、まともに顔を見ているのは、耐え難かった。
しかも他にも数名居て、助かったのは彼女一人。仮に死者たちが彼女の身寄りだったとするならば、恨まれたとしても文句は言えないところだ。そんな自分が何食わぬ顔をして彼女を落ち着かせ、話を聞き出そうなど――嗤える話と言うしかなかった。自己嫌悪もここに極まる。
だから、報告を聞いたとき。死んだ男たちがただの盗賊であり、むしろ彼女の養親を殺した仇であると聞いた時には。ルークは僅かな安堵を覚え、またほんの少しばかり眉根を寄せていた。