中途半端な者同士の友達
「よっ。おはよう、羽場。」
掛けられたのは、実に軽快な声。
「おはようございます、宮木くん。」
声の方向を向いて、挨拶を返す。
声をかけてきたのは、宮木昌也くん 。
僕がクラス内において、毎日関わりがある人物の一人。僕とは真逆の性格、クラスの内外を問わず、いつも色々な人物と話をしている。友人が多く、女の子にもモテる、らしい。
僕にして言えば、「このクラスで最も陽の人」が彼だ。
そんな彼と僕に関わりがあるのは、彼がいつも声を掛けてくれるからであり、僕もそれについて悪いように思っていない。
後は、僕がやっているゲームを、彼もプレイしていたからだ。彼との関わりのきっかけは、そんな所にある。
「ん? 羽場、なんでこんなに濡れてるんだ? それも右側だけ。」
彼が聞いてくる。
確かにヒカリさんを傘に入れた後、濡れないように気を使っていたら、傘から少しはみ出していた右肩が結構濡れてしまっていた。しかし、それを正直に言って信じてもらえるわけがないので、
「歩いてたら、いつのまにか。ほら、今日は雨量がすごいですから。」
適当な言葉で誤魔化した。
「確かに。今日は雨すげぇよな。こんな日なのに学校行かなきゃいけないなんてほんと最悪だよな。」
いつもの軽い口調で、愚痴をこぼす。僕としても、雨の日にウンザリする事には同意できる。
主には洗濯物を外に干せないし、歩いて学校に行かなければいけないから。もちろん、その理由が宮木くんの考える理由とは違うことも理解している。
「そんな雨の日に登校して、さらに英語の授業で指名される可哀想な俺に、今日分の宿題を見せてくれないか?」
そんな取引を持ちかけてくる。
英語の授業は、席の順に沿って、先生が指名してくる。今日の宿題は英文翻訳。順当にいけば、今日の授業では僕はもちろん、そのすぐ後ろの席の彼も今日指名される。
「あっ・・・・・・。」
そこで初めて、僕は自身が重大な失念を犯していたことにようやく気づいた。
「わす、れて、た・・・。」
自身の顔の温度が急激に低下していくのが、自分でも理解できた。
「お、おい、羽場?」
「だ、大丈夫? 翼?」
その様子を見た宮木くんと、彼には見えていないだろうし聞こえてもいないだろうが、ヒカリさんが心配する声を上げる。
「ご、ごめんなさい! 今日の分の宿題、やってないです。なので今からやるので今日は宮木くんには見せられません。」
そう、僕はすっかり忘れてしまっていたのだ。昨日の夕方、どうして教室でヒカリさんと出会うことになったのか。筆箱を持って帰らなければならなかった理由、何故教室へ戻ることになったのかという理由を。
「お、おう・・・。それなら仕方ないな。まぁ、英語の授業自体は5限目だから、昼休みにでも見せてくれ。」
「はい、わかりました。」
彼の言葉を右から左に聞き流すと、直ちに鞄から英語の教科書、ノートと筆箱と必要な一式を取り出す。時刻は8:05。急いでやればSHRまでに間に合うだろう。
「つ、翼・・・?」
「ごめんなさい、ヒカリさん。宿題をやるので少しの間話しかけないでくれますか?」
「わ、わかった。」
ヒカリさんの問いかけに、小声で応える。
携帯とイヤホンを接続して、音楽を流し始める。それによって、外界との関わりをシャットアウトして、目の前にある英文の世界に旅立っていった。
「さ・・・。」
1周目では、まだ見たことのない単語の意味を調べ、英文を直訳する。2周目では、出来た直訳文を意訳して、日本語の文章として繋がりを持たせていく。
「ばさ・・・。」
これでほぼ、目の前にある英文の日本語訳は完成する。そこまで終わってしまえば、あとは3周目に改めて日本語訳を読み返して、文章として完成させるのみだ。
「翼!」
自分を呼ぶ声と共に、肩を叩かれる。声から、その発生源はすぐに理解できる。
「なんですか、ヒカリさん? 先ほど邪魔をしないでと言ったはず・・・?」
イヤホンをとってその声に反応を返す。
そこで違和感を覚えた。先ほどまで、クラスメイトの話し声で溢れていた教室内が、静まり返っている。
自身を呼んだヒカリさんは、無言で指で教卓の方を指している。そちらの方を向くと、そこにいるのは一人の人物。
「・・・なんだ? 私はてっきり宿題をやっているのかと思ったんだが、単に寝ていたのか?」
担任の伊那薫先生だった。僕の通う学校にいる教師陣の中では、一番若い20代の女性の先生。担当科目は英語。僕のクラスの英語の授業の一つは、彼女が受け持っている。
性格は姐御肌、男勝りと言った感じだ。そのサッパリしながらも、頼り甲斐のある部分から、生徒人気がとても高い人だ。実際、生徒からよく相談事を持ちかけられるらしい。
「い、一応宿題はやっていました。ですが、少し寝不足であることは否めません。」
「それじゃあさっき言ってた“ひかり”っていうのは?」
ただし、この先生には一つの弱点がある。
「え、えーっと・・・。よ、読んでいた本に出てきた女の子です。主人公の彼女で・・・。」
「ふーん。そうか・・・。」
先生のいる一帯の空気が、冷却されていく。
「・・・しまった。」
パッと思いついた適当な設定にしたのが、僕にとっては命取りとなった。
この先生の唯一の弱点。それは先生の結婚願望に対する、現実における正反対の状況である。それに関する委細は、彼女の前では全て禁句であり、それを口にした者は例外なく処断される。もちろん教師であるから、暴力などに訴えることはないが。例えば、
「そうか、それは大層面白い話だったんだろうな。羽場が寝不足になるくらいだからな。じゃあ私の話を寝ぼけて聞いていなかった代償は、今日分の英語の宿題全てだな。」
「え、えぇぇ・・・。それはないですよ・・・。」
みたいに、英語の授業の指名が全て自分になったり。
「なんだ? 文句でもあるのか?」
凍てつく氷の眼差しが、僕を直撃する。
「い、いえ、ありません・・・。」
確かに、先生がSHRを始めていたことに気づかなかったのは自分が悪いから、何も言い返すことはできなかった。
実際、こういう部分が先生に彼氏ができない理由なのでは、と思う時がある。流石に今日のは過剰反応ではないかとも思うが、そういう部分で苦しんでいるのかもしれないと考えると、仕方のないことのようにも思える。
色々なラノベを読んでいても、こういう性格の女性教師は何故か彼氏ができない。そういう類の呪いでも存在しているのかとさえ感じる。無論、それを口にすることはないけれど。
「さて、話を戻そう。今日居ないのは公欠の木ノ下だけだ。今日は連絡事項も特にはない。それじゃあ以上、SHRは終わりだ。」
そう言って教室を退出していく先生。
「いやぁ〜、ありがとう、羽場!」
それを区切りに、僕の席に寄ってくる何人か。その中には宮木くんもいる。
「お前のおかげで救われた。本当に感謝しかないぜ。」
「あぁ、本当にサンキューな。」
彼らは僕の席の後ろの男子たち。全員、今日英語の授業で指名される予定だったみんなだ。
「あはは・・・。」
愛想笑いを返すことしかできない。
「そのお返しは、昌也がお昼を奢ってくれるってさ。」
「え? 本当ですか?」
「えっ? お、おう、まぁそれくらいはな・・・。」
「ありがとうございます。宮木くん。」
「お、おう、気にするな・・・。でもお前らも一緒に払えよ? 連帯責任な?」
「まぁ、そんくらいはいいか。」
「あんまり高いものは勘弁してくれよ? 羽場。」
「わかってます。みなさんの懐事情に痛手を負わせないように気をつけます。っと、すみません、ちょっとお手洗に行ってきます。」
「はいよ〜。」
そうして会話から抜け出す。教室を出て廊下へ。
「ね、ねぇ、翼。」
廊下に出るなりヒカリさんが話しかけてくる。
「どうかしましたか? あっ、でもその前に、先ほどは申し訳ありませんでした。ヒカリさんは僕のことを呼んでくれていたのに。」
ヒカリさんはただ、僕のことを呼んでくれていたのに。それに対して少し当たってしまった。それについては素直に謝っておくべきなことだ。
「ううん。大丈夫だよ。私の方こそごめんね。」
それを見て、笑顔を取り戻すヒカリさん。
「それで、どうかしましたか?」
「あのね、変なことを聞くんだけど・・・。」
「変なこと、ですか?」
「翼って、友達居たんだね。」
「・・・。」
ヒカリさんの言ったことが余りにも予想外すぎて、頭が真っ白になったのが半分。
「つ、翼・・・?」
「・・・。」
「ちょ、ちょっと待って、翼!」
「・・・流石にお手洗にはついてこないでもらえますか?」
ヒカリさんの言ったことが、あまりにも失礼すぎて、少しだけ怒りの感情が芽生えたのが半分。そのままヒカリさんを放置してお手洗いに向かう。
「ん?」
洗った手をハンカチで拭きながらお手洗いから出ると、目の前にヒカリさんがいた。
「その、翼・・・。ごめんなさい!」
凄い勢いで頭を下げてくる。
「私、あんまり言っちゃいけないことを言ったって、思ってるから・・・。その・・・。」
「はぁ・・・。」
「つ、翼・・・?」
「・・・僕もさっき、ヒカリさんに当たってしましましたから。これでおあいこということにしましょう。」
「う、うん・・・。本当にごめんなさい。」
「もういいですよ。そうやってすぐに謝れるだけで十分です。でも、ヒカリさんの、思ったことをそのまますぐに口にするという部分はこれから直しましょう。」
「うん、わかった。」
ヒカリさんはある程度の一般常識はあっても、こういった部分は欠けている。今後彼女と一緒に過ごして行くなら、そういった部分を直していくことも必要なことだろう。
「それで、ヒカリさんはどうしてそう思ったのですか?」
教室に戻るために歩き出す。質問の内容はともかく、ヒカリがどうしてそんなことを思ったのかは、疑問に思った。
「あのね、私も少しだけ考えたんだ。『翼を助ける』って、どういうことなんだろうって。」
ヒカリさんが僕の元へ来た理由。それは生まれた時に聞かされた、『自分が見える人のことを助けなさい』という宣託。その真意は、お互いにまだわからない部分だった。
「続けてください。」
「うん。それでね、そうなんじゃないかなって思ったのが、もしかしたら翼はひとりぼっちなんじゃないかなってことだったんだ。私と出会った時も、一人だったし、お家でも一人だったから・・・。だから、翼のそばに居て、一人じゃないって伝えることが、『翼のことを助けること』なんじゃないかなって。」
「なるほど・・・。」
ヒカリさんの考えは、確かに筋が通っている。出会ったときも一人で、事情があるとはいえ家でも一人。持っている趣味も、多くの友人ができるようなものではないし、それは自分自身が一番理解している。
それを見たヒカリさんが、『翼は一人なのではないのか』と思うのも無理はないだろう。
「友達、と呼べるかはともかく、ヒカリさんも見たように基本的には教室の皆さんとは普通に話ができますよ。」
「そうみたいだね、ごめんね、変な勘違いしちゃった・・・。」
「いえ、大丈夫です。それに・・・。」
「それに?」
「きっとあの人たちだから、友達として一緒に居れるのかもしれません。」
「えっ・・・? それってどういう・・・?」
「いえ。もう教室です。それに授業も始まりますから。お話はまた後で。」
そこで会話を終えて、自分の教室の中へ戻っていく。
僕にとってはいつも通りの、ヒカリさんにとっては実質的には初めてちゃんと受ける授業が始まった。