中途半端な者同士の朝
不協和音。
耳に入ってくるその音が、僕の意識を暗闇から、光ある世界へと導く。
「んっ・・・。」
しかし、完全な覚醒にはまだ遠い。まず、僕を覚醒へと導いた、不協和音の正体を探る。
「雨、か・・・。」
その正体は、外の天気にあった。確かに昨晩の天気予報で、今日から三日間雨の予報を出していた。残念ながら、その予報は的中したようだ。
そして、窓を見た事で、疑問が一つ生じる。
「なんでリビング・・・?」
自分が今いる場所、それは自室ではなく一階のリビング。目を擦りながら、その理由を探る。
「そうだ、昨日幽霊に出会って・・・!」
思い当たるものに行き着いた時、僕の意識は完全な覚醒を迎えた。
しかし、辺りを見回しても、件の人物は見当たらない。
「夢・・・だった?」
巨大怪獣に追いかけられたり襲われたり狙われたりするという現実ではあり得ない、突拍子も無い夢をごく稀にだが見る事がある。
ならば、幽霊に出会ったり、泣かれたり、抱きつかれたり、家に帰ったり、ご飯を食べたり、会話で盛り上がったりするなんて、これまた非現実的な夢を見ることになんら疑問を持つことはない。
そうだ。昨日の出来事は、帰宅した後の、寝落ちした際の夢だったのだ。自分の中で、そう結論を導いた。
「でも、なんだか面白い夢だったな。そうだ、携帯にメモしておこう。」
僕には、自身が見た夢や、思いついた面白そうな事を携帯にメモする癖がある。それは、本を読むのと同じくそれを書いてみたいという願望と、「面白いと思った事を忘れないために、書き記しておくこと。」という父さんの教訓からである。
携帯を取り出して、電源ボタンを押す。だが、普段見慣れた壁紙は表示されない。再度ボタンを押すも、携帯の画面は暗黒を表示するのみ。
「・・・充電切れみたいだ。そりゃ充電し忘れたんだから、仕方ないか。」
ひとまず、メモを諦める。
次にやるべきことは、現在時刻の把握。携帯でそれを確認する事は叶わないが、リビングならば別の手段がある。
見上げた先に掛けてある時計。時刻は5:12。いつもの起床時間まではあと18分あるが、二度寝するにも心許ない時間である。
そのため、いつもよりは早いが行動を開始する事にした。
まずは、二階へ上がり、自室へ行く。電源コードに携帯を刺し、タンスから新しいワイシャツとインナーを取り出す。
一階へ戻り、シャワールームへ向かう。昨日は寝落ちしたのだから、当然風呂に入ってない。まずはシャワーだけでも浴びてサッパリしようと考えた。
そうしてシャワールーム前の、洗面所の扉を開ける。
「へっ?」
「えっ?」
おかしな声が聞こえる。
顔を上げると、そこには一糸纏わぬ女の子の後ろ姿があった。
「きっ・・・」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
慌てて扉を閉める。なぜ人がいる? それも一糸纏わぬ女の子が? あれは一体誰なんだ?
「なんで翼が叫び声を上げるのっ!」
すると、扉から声が聞こえてくる。首が扉から出ている。ただし、扉は開いてない。つまりは、先ほどの女の子は幽霊。
そして、僕には、その女の子幽霊に見覚えがある。
「もしかして、昨日のアレって、夢じゃなかったの・・・。」
「夢? 何か見たの?」
「いえ・・・、なんでもないです。」
昨日の出来事、それは全て現実の出来事だったという事だ。
「いっそ、全て夢なら良かったのに・・・。」
そう呟やかざるを得なかった。
「それで、どうしてヒカリさんはどうして洗面所にいたのですか? それも一糸纏わぬ姿で。」
時刻は6:00前。洗面所から出てきたヒカリさんと入れ違い、シャワーを浴びて出てきたところ。昨晩と同じく事情聴取を開始する。
「えーっと、シャワールームをお借りしてました。」
「それは、まぁなんとなくわかってますけど・・・。」
シャワールーム前の洗面所で、裸になる。それすなわち、シャワーを浴びたという事だろう。実際、ヒカリさんの髪は乾き切っていない。だが、問題はそこではない。
「どうしてシャワーを? ヒカリさんは物に触れないのに?」
ヒカリさんが物に触れる事ができないということは昨日の時点で実証済み。例外として、僕を介してなら触る事ができるけれど、さっきはヒカリさん一人だけ。シャワールームにある物に触れることはできないはずだ。
「あれっ? 昨日行ってなかったっけ? 私、水に関する物になら触れる事ができるんだよ?」
ちょっと待て、そんな例外原則は聞いていない。
確かに水とは、日本神話においては、イザナミに会うために黄泉の国へ行ったイザナギが、自身の穢れを祓うための禊に使ったもの。我々一般人においても、神社等に参拝する際に手水で清める際にも使われる。
古代ギリシャの四元素説、古代インドの五大思想、古代中国の五行説のいずれにおいても、必ず要素の一つとして入るものであり、東洋西洋問わず神聖視・重要視されてきたものだ。
昨晩の会話で、ヒカリさんがただの幽霊ではなく、何らかの神聖な力の影響を受けている事は予想できていた。水は神聖なものである、それならヒカリさんがそれに触れる事ができるという事にも一応の理解はできる。
「でも、シャワーの水はただの水道水ですよ?」
穢れを祓う神聖な水とは、一般的に清流のことを指す。専ら、地下からの湧き水であったり、川の上流域のものだ。だが、僕の家は、山の近くにあるわけでもなく、湧き水を引いているわけでもない。他の家と変わらない、ただの水道水。そんな水が、神聖なものであるわけがない。
「確かに。でも、ちゃんと触れたよ。・・・どうしてだろう? 」
その答えを知るための唯一の手掛かりが、このような調子である。これでは、真相を推理することは叶わない。
「はぁ・・・。」
結局、悩みの種は増え続ける一方だった。
仕方なく、そこで一度事情聴取を終了する。この謎を解決する糸口が見つからないこともあるが、一番の理由は、登校まであまり時間的余裕がないから。家事の全てをこなさなければならない僕には、今もやるべきことがたくさんある。早く朝食の準備をしなくてはいけないのだから、ヒカリさんのことは一度後回し。
朝食を済ませ、その洗い物を済ませれば、今朝のうちにやることは何もない。
洗濯は、もう少し洗い物が増えてからまとめてやる腹積もり。しかも、外干しできない天気のため、中干しをせざるを得ない。だが、乾きの悪く、臭いのつく中干しは正直好きではない。
なので、毎朝の日課が一つ減る形になった。
二階に上がって、50%ほどまで充電が終わった携帯をポケットに入れて、登校の準備を整える。
他方、ヒカリさんと言えば、
「私も学校に行く!」
と、言って聞かない。
「でも、行って面白いことはないと思いますよ?」
「確かにそうなんだけど・・・。ここにいても、私にやる事がないのは同じだよ?」
「それはまぁ、そうですね。」
「だから、翼と一緒にいればたくさん話せるしね。それに、今まで沢山の教室を回って、みんなの授業を聞いていて、私も受けてみたいって思ったから。」
「・・・。」
ヒカリさんは、まだこの世界に降り立って間もない。さらに言えば、生まれてからもそう期間があったわけではない。ある程度の一般教養は身につけてはいるものの、知らない事の方が多いのだ。様々なことに興味を持つことは自然な事であり、それを妨げてしまう権利は誰にも無い。
それに、自身がそれを妨げることは、「どんな事でも知ること。」という父の教えに反することになる。
「わかりました。でも、3つだけ、約束してください。」
「約束?」
「はい。それを守れるなら、一緒に学校へ行きましょう。」
「うんっ!ちゃんと守る!」
「わかりました。それじゃあその内容について、説明していきますねーーー」
雨の日は自転車を使わないというのが、僕の中の決まりごと。ただし、その代わり登校には30分の時間を要する。
現在の時刻は7:30。8:00前後には、学校に着くだろう。朝のSHR は8:30だから、それまでに間に合うのだから十分だ。
玄関を出て、鍵を閉める。傘をさして歩き始める。しかし、ヒカリさんがついてこない。
「どうかしましたか?」
素直に疑問を口にする。
「えーっと、このままだと、私雨に濡れちゃう・・・。」
ヒカリさんは水と、それに関するものに触れる事ができる。確かに、このまま外に出れば、濡れることは必至だろう。
「でも、傘を渡しましたよね?」
当然それを見越して、つい先ほどヒカリさんに傘を渡していた。
「それがね・・・。」
彼女の手には、傘はない。つまり、
「傘には触れないみたい・・・。」
傘は雨に、水に関連する道具だ。そう思って、傘を渡したのだが、思惑は外れたらしい。
「あとで、ちゃんと調べないといけないみたいですね。」
水に関して、ヒカリさんが触れるものを、正確に把握しておく必要がある。放課後に、実験をすることを記憶した。
それはともかくとして、このままでは、彼女は雨に濡れての登校となる。それを避けるための選択肢は、自ずと1つになる。
「仕方ありません。僕の傘に入ってください。」
「うん、ありがとう、翼。」
そうして、左手に持つ傘に、入ってくるヒカリさん。二人並んで、登校を始める。
(・・・でもこれ、いわゆる相合い傘ですよね。ヒカリさんのことが、誰にもみられてはいないとはいえ。)
恥ずかしいという気持ちを拭うことはできなかった。
徒歩通学の時は、信号や大通りを避けるために、自転車では通ることができない細い道をいくつか駆使する。そうする事によって、実際には30分よりも短く登校することができる。
ヒカリさんと会話しながら、その道のりを歩いていく。主な内容は今日行われる授業について。彼女には真新しいことばかりなので、1つ1つ、ゆっくり説明をしていった。
徒歩通学の際に一人の時は、必ずイヤホンをつけて音楽を聴いている。だからこそ、ヒカリさんと話しながらのこの時間は、僕にとっても有意義なものであった。
だから、今日の30分は、とても短く感じた。
「そろそろ学校ですから、一度会話はストップでお願いします。」
「うん、わかった。」
同じ学校の制服を着た人を、見かけるようになってきた。
実際、道の少し先には校舎が見える。そのため、ヒカリさんとの約束通り、一度会話を終了させる。
校門を通り抜け、半日ぶりの校舎の中へ。彼のクラスの昇降口は二階、そこで上履きに履き替えて四階へ。その1番奥端にある教室、1年8組が、僕の所属するクラスだ。
ヒカリさんが、僕の教室を調べるのが最後になった理由は、この教室の配置故だろう。そんなことを思いながら、窓側から二列目、前から三番目の席に着席する。
すると、それを狙っていたかのごとく、背中を叩いて声をかけてくる人物が一人。
「よっ。おはよう、羽場。」