回る星々
すでに馬車に乗り込んでしまっていた僕に拒否権なんてものはなかった。
フランツは座席に横になったままで、眠っているようだったから、起こすのも気が引けた。
メルクリウスへの意思伝達とその制御。場合によっては増殖など。なにより、形状の変形には頭よりも体力が必要だと先生から聞いていたから、きっとさっきので疲れたんだろう。
馬車の小さな窓から外を見るが、月が見えるほかには木々のシルエットしか見えない。
首都から離れていることはわかるけれど、どこへ行くんだろう?
膝を抱え、ブランケットに顔を埋める。
爆発する前の自動人形の姿が浮かんだ。
僕もあんなふうになるんじゃないかって、そんな心配じゃない。
今回、この国に呼ばれた理由を思い出していた。
馬車の速度が緩まったのを感じ取った。と同時に、フランツが大きな欠伸をして身を起こす。
――もしかして、寝てるフリをしていただけ?
「着いた?」
「それを聞きたいのは僕のほうなんだけど」
ほどなくして、外側から馬車の扉が開けられた。
外には御者ではなく、やはり黒いコートに身を包んだ背の高い男が立っていた。
ペールブラウンの短い髪に濃紺の瞳。彼が手にしているカンテラの明かりでかろうじて判別できた。
彼は僕の姿を見るなり、少し目を見開き、笑顔を浮かべて会釈してきたが、次の瞬間には眉をひそめてフランツに向かって強い声を放つ。
「フランツ様、今日はお仕事で首都に行ってらしたんですよね?」
「そうだよー」
フランツはやる気なさげに答える。
「だったら、この方は――」
「本家ホーエンハイムの錬金術師、泊まる宿がなくて困ってたから拾ってきたんだ」
そう言ってマントを羽織り、そそくさと馬車から降りる。
「……拾ってきたって」
確かに、泊まる宿は探してたけどさ、落ちてたわけじゃないし、行き倒れになってたわけじゃないんだけど。
「本当ですか?」
男性はまるで家庭教師か何かのようにフランツに問い詰める。
「本当だってば。彼に聞いてみたらいいじゃないか」
「それはそうですけ――彼?」
「あ、あの! 今日リーフレアから首都に来たんですけど、到着が遅くなっちゃって、それで困ってたところをフランツさんに拾ってもらって」
〈やっぱり拾われたんじゃん〉
――うるさい!
慌てて馬車から降りて、男性の前で深々とお辞儀をする。
「師のベルンシュタイン・ホーエンハイムの代理で参りました。ザフィーア・ホーエンハイムです」
「これは、主がなにか無礼な真似をしませんでしたか?」
「だから、彼は男だって」
「あなたは性別なんて関係ないじゃないですか!」
なにこの修羅場。
「私はフランツ様の世話を担当しています。ゲルト・トリスメギストス・クヴェレブリッツと言います。ゲルトで構いません。ここは寒いですから、屋敷の中に入りましょう」
そう言って、ゲルトは僕のトランクを持ってくれた。
目の前には大きな玄関。
木製の扉で、アカンサスの葉の彫刻が施されている。
「あの」、ゲルトに問う。
「一門の名をもらっているということは、フランツさんはあなたの師ということですか?」
「いいえ、私は先代から教えを受けてそのまま工房に留まり、その後で使用人に鞍替えしただけです。フランツ様とは師が一緒なので、私のほうが兄弟子ということにはなるんですが」
先を行くフランツは玄関ポーチに積もった雪を蹴って遊んでいる。
「まだまだ子供なので、申し訳ありません」
それはゲルトが謝ることじゃないと思うんだけど。
扉をくぐると、吹き抜け構造の高い天井があった。
暖かい空気は上へと登るものだけど、ちゃんと床まで暖気が行き届いている。空気の循環がちゃんと行き届いている証拠だ。
一体どういう構造になっているんだろう?
「じゃあ、ボクは自分の部屋で休んでるから」
フランツは片手をヒラヒラさせながら奥の廊下へと消えていった。
嵐の後の静けさ。
残されたのは僕とゲルトの二人。
「すみません、ザフィーア様。ああ見えて本当に疲れているんだと思います」
「別に、僕のことは呼び捨てで構いませんよ。
疲れているって、あんな高速でメルクリウスを操ると体力も精神力も一気に持って行かれるんじゃないんですか?」
僕の言葉に、ゲルトは眉をひそめ、少し屈んで内緒話でもするように声をひそめる。
「あの、もしかして現場を目撃されたんですか?」
「現場って……」
あの謎の自動人形とか、黒ずくめの集団のこと?
「宿を探してて道に迷ってしまって、それでフラ――ご当主にたまたま会って、それから」
「人形を、見たんですか?」
「え、ええ。まあ」
それを聞くとゲルトは軽くため息を付き、肩を落とす。そして、表情を一変、苦笑いを浮かべてトランクを持ち上げてみせる。
「お客様とこんなところで立ち話してたらフランツ様に怒られてしまいますね。客室にご案内しますよ」
「本当に泊めてくれるんですか?」
荷物を手に歩き出した彼の背を追う。
「ええ、無駄に部屋はありますし、フランツ様はこんなかんじで、突然客人を招くことがあるので、部屋はいつも用意してあるんですよ」
「そう、なんですか」
客人を招くっていうか、僕はほぼ強引に連れてこられたようなものだけど。たぶん、いつもそんなかんじなのだろう。ゲルトの先ほどの様子からなんとなく想像がつく。
「ところで、ザフィーア様――すみません、使用人を長年続けていると敬称はクセのようなもので、つけたほうが落ち着くんです」
「そういうことなら別に強要はしません」
「ありがとうございます。クレモネスにはどういったご用件で参られたんです? 勉強かなにか?」
「賢人会議からの招集なんです。本当は師のベルンシュタインが呼ばれていたのですが、どうにも居場所がつかめなくて、僕が代わりに来たんです」
その言葉に、階段を登っていたゲルトの脚が止まる。
「それは、もしかして『人形』に関することではないですか?」
「えーっと」
師に届いた手紙の内容を思い出す。「人形、という単語はなかったです。機械工学とか、その運用に伴う経済的影響とか、技術協力とかそういうのではなかったです」
だけど、「機械人形」といえば機械工学の最先端分野に含まれる。
ルビンの専門は環境が人体にもたらす影響など、生物関係。
そして僕は機構や力学、それこそ機械工学が専門だから、先生の代わりとして行くなら僕が妥当だろう、という話しになったんだ。
「今日、彼が戦ってる、って言ってもいいのかな? 機械人形と戦ってるのを見たのは本当に偶然なんですけど、僕というか、僕の師が賢人会議から呼ばれたのは何か関係があるんですか?」
僕の問いに対し、ゲルトは少しだけ、視線を下げる。
何か言いたくても言えないのか、言おうかどうしようか悩んでいるのか。
もしくは、何も知らないのか。
「私も」
彼は静かに答える。「私も詳しくは存じ上げていないのです。ただ、フランツ様に賢人会議から命が与えられて、ここ一週間くらい、夜になると屋敷と首都を往復して。日中は自身の研究と門下生の指導とで……。
私に何か手伝いができればいいのですが、私はあいにくと、赤色。六等星の炉心で、錬金術師として最低限のことも満足にこなせないのです」
錬金術師の炉心は星の瞬きに習い、六等星から一等星まで分けられている。そして、一等星の上の位にあるのが、グランドゼロ。
紫色を与えられている錬金術師が持つ、絶対的な、目を焼くほどの星の輝き。
それに比べれば、確かに六等星は光っているのかどうかわからない。
自分の存在が、ちっぽけに思えたり、自分の在り方を見失ってしまうだろう。
だが、錬金術師の出生率が下がる中で、六等星でも、稼働する炉心を持って生まれることは特別だ。
「トリスメギストス卿は、あなたに絶対的な信頼を置いているように見えます。それだけで、十分なのではないでしょうか? どんなに錬金術師として優れていても、いざという時に役に立たなければ、意味はないですから」
そう言うと、ゲルトは少し考えるような素振りを見せるが、すぐに破顔した。
「ええ、フランツ様に頼られるだけで幸せだと思っています。ですが――」
ゲルトは階段の先を見上げる。
「もう少し心の内を、打ち明けて欲しいんですよ」
確かに。
彼は胸にいろいろ抱え込んでいる。そんな気がする。
――青空のような瞳。
とても深い青の奥底に何か秘めていそうだ。
僕も、人のことは言えないんだけどさ。
案内された部屋は、本来つもりだった宿よりも全然豪華だった。
たぶん、こんな部屋を要望して一泊しただけで財布の中身がスッカラカンになっただろう。