純白の怪物
まるで雪のようだった。
いや、オコジョみたいな。とにかく真っ白だ。
何がって、黒いマントの下から現れた姿だ。
外にいるよりはマシだろうと、馬車に案内された。
目の前に現れたのは、僕が首都まで乗ってきたモノとは明らかに材料から違うであろう漆黒の馬車。
通された中も広くて、座面がフカフカしていて、クッションの役割をちゃんと果たしている。
火を焚いているわけでもないのに車内は暖かかった。
爆発の際、雪の上に倒れたというか、押し倒される形になって、多少濡れてしまった外套を着たままだと寒いだろうからと、備え付けのブランケットを渡された。
そして、僕がコートを脱いでブランケットで身をくるんだところで、相手もそのマントを外したのだ。
中から現れたのは僕より少し幼い少年だった。
こんな少年がメルクリウスの高速変形をやっていたかと考えると、驚きなのだが、それ以上に驚かされたのが髪の色だ。
適当に刃を入れたであろう髪はだらしなさよりも野性味がにじみ出ている。それでいて、青天のような澄んだ瞳は好奇心に満ちている。
――純白の髪。
それは賢者の一部の伝承において忌み子の証。
だけど、南のイースクリートにおいては聖なる者の証と言われている。
純白の髪。だけどところどころに茶色い毛が混じっている。
「自分好みの暖かさにして飲んでね」
と言って、彼はホーロー製のマグカップを渡してくる。
錬金術に長けた者ならば、分子運動で水を沸騰させることが可能だ。
錬金術師としての質を測る最初の試験として用いられる場合もあるとか。
彼のほうも自分のものをすでに温めて、カップを両手で持って飲んでいる。
「あ、ありがとうございます」
「かしこまられるのは、ボク、あまり好きじゃないかな。普通にしてていいよ」
普通にしててもいいというけれど――
「でも、あなたはトリスメギストス当主ですよね?」
カップに口を付けたまま、彼は目だけをこちらに向けてくる。
賢者でありながら、聖者としての毛色で生まれてきた忌むべき怪物。
そして、最年少で賢人会議の達人試験に合格した神童。十歳で達人、その二年後にはトリスメギストス当主になったという。前当主を殺して、当主の座を簒奪したと。
「ふーん、髪の色で気づいた?」
カップから口を離し、興味なさげに口にする。本当に、興味がないのだろう。
「はい。でも、もっと先に……、メルクリウスの扱いで気づくべきでした」
トリスメギストスが代々、当主から当主へと受け継ぐのがメルクリウスだ。だけど、メルクリウス自体珍しすぎたし、あんな使い方は思いもよらなくて、そこまで考えが及ばなかった。
「これのことなら」そう言って、手首の枷を振って見せる。「これだけ精度の高いメルクリウスが他にないってだけだし、君ならコツをつかめばボク以上に上手く扱えるんじゃないかな?」
「そんなことは……」
「僕は青色。だけど君は僕よりワンランク上の藍色の錬金術師だろ?」
トリスメギストスの少年は飲み終わったカップを座席に置く。
やっぱり、天才の観察眼――視野の広さは違うなと思った。
横に目を移せば、先ほどまで着ていたコート。
錬金術師は基本的にアウターの色は黒。そして、裏地に達人試験でもらった色を使う。
色は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色。
赤が位が低く、紫が最高位。
錬金の世界において、夜の闇こそ最上位の色とされている。
だから、夜空色である紫はもっとも尊い色とされていて、これは人種の問題だけれども、黒い髪であることがステイタスとされている。
わざと髪を黒く染める者もいるくらいだ。
たいてい、そういう外見を気にする時点で錬金術師としての質は低いと先生は言っていた。かくいう先生の髪は真っ赤だ。イースクリートよりももっと南の人に多い色だというから、突然変異かなにかなのだろう。
僕もルビンも白に近い金色の髪だから、呼ばれて王宮に出向いた時、あからさまに顔をしかめる錬金術師もいる。
質なんて、外見で決まるものじゃないのに。
僕もルビンも、師がホーエンハイムだから依怙贔屓で藍色をもらったんだとか、陰で色々言われていることは知っている。
だけど、目の前の彼は全く動じていない。
彼が纏っていたマントの裏地は青色。だから僕よりもランクが一つ下だってわかるけど、そのことで気を害しているようには見えない。
ただ――
「僕が藍色なのに、その……」
なんて言ったらいいんだろう。
今までランクを鼻にかけてるのかとか、色々言われてきたけど、うまく言葉が出てこない。
僕があれこれと言葉を探していると、笑い声が耳を掠めた。
笑っているのはもちろん、目の前に座っている彼だ。
「ごめんごめん、いやぁね。君が可愛いからちょっと意地悪で言っちゃっただけ。気にしないで」
――ん? 可愛い?
顔が一気に熱くなる。
「あああああの! ぼ、僕は! こんな格好ですけど、男ですからね!」
「わかってるって。身動きでわかる。言っておくけど、ボクは不良少年だからね」
不良なのと、身動きでわかるって言われても、それで男だってわかるって、頭の中でうまくリンクしないんだけど。
「君、ベルンシュタイン・ホーエンハイムのところの双子でしょ」
そう言って、彼は座席に横になる。と同時に、ホーローのカップが床に転がる。慌てて拾おうとしたら、「気にしないで」と言われた。
この、物に頓着しない感じ……ルビンと似てるかも。
「……僕らのこと、知ってるんですか?」
錬成院はこの国の賢人会議と繋がってるから、研究結果のいくつかは彼が読んでいてもおかしくはないけれども。こちらはまだ名前も名乗っていないのに。
「リーフレアの双子の錬金術師。双子ってだけでも珍しいからね。君はサファイヤ? それともルビー?」
「僕は、ザフィーア、ザフィーア・ホーエンハイム、です」
「サファイアのほうか。ホーエンハイム・ノイモンタイト。誓約の新月、良い名前だよね」
「二つ名まで知ってたんですか……」
二つ名は、達人に認定された際、アルケミーツールと一緒に師からもらうものだ。
誓約の新月なんて、僕には重すぎる名前だと思うけど。
「あの、僕も名乗ったんだから、あなたも名乗ってくださいよ」
「ここで言わなくたって、後で調べればわかることだよ?」
「だったらずっと調べません」
「名無しの当主か。ボクはそれでも構わないんだけどね」
気を悪くしたふうでもなく、彼は笑いながら言う。
「ボクの名前はフランツ、アーベントロート・トリスメギストス・シュピーゲルヒンメル」
空の鏡? これまた解釈の難しい名前だ。
「ボクのことはフランツでも、名無しでも、どちらでも構わないよ」
そう言って彼は膝を折って座席に仰向けになる。
細身の黒のパンツに革のブーツ、上は灰色のハイネックのセーターを着ているけれど、すごく軽装だ。
それでいて、毛の長い猫みたいな真っ白で長い髪。僕の髪よりも長さがあるんじゃないかな? ゴロゴロしている姿は当主というよりホント、年相応の少年だし、猫みたいだ。
やっと一息つけて、ホーローのカップに口を付ける。
自分の舌にあった温度に温めることには慣れている。
普段飲んでるお茶よりも甘いけれど、寒さと驚きで疲れた身体で、とても美味しく感じられた。
たまにはこんなふうに甘いお茶も悪くないかな。砂糖は高級品だけども。
「ところで」
疑問はまだまだ残っている。
「さっきのアレ、なんだったんですか?」
「君、宿とかとってるの?」
「……は?」
それって、僕の質問と何か関係あるの?