迷い込んだ先で
クレモネスの首都エアストパオムに到着したのは、完全に日が没してからだ。
東大陸の最北の大国。一年の三分の一は大地を雪に覆われる。
そのため、作物を育てることも、肥沃な大地もなく、食糧難に端を発して大河を挟んで南に位置するイースクリートと戦争を行った。
僕が生まれるよりずっと前の話だ。
今は停戦条約が結ばれて、食料を輸入できるようにはなったものの、食べ物で寒さはしのげない。
この国では餓死者よりも低体温症で死ぬ者のほうが多い。
馬車から降り、御者にチップを渡す。検問所で足止めをくった分、少し上乗せ。
先生の代わりにクレモネスで仕事をする。その分のお金はもらっているけれど、自分で貯めたお金も少し持ってきた。
まだ十六歳だけど、王宮の錬金宮という機関に研究記録を納めたり、仕事をもらったりして、一人で食べていける程度にはお金を持っている。
だけど、ルビンは昼夜逆転の生活だし、先生はフラフラとどこかに行って、挙句、何か月も帰ってこないとか。
その間、家のことをやるのは僕だけ。
自分で言うのが情けないんだけど、男のむさ苦しい三人暮らしでまともなのは僕だけって状態だからなかなか一人暮らしができない。
スマラクト曰く、「誰かの世話を見るのが性に合ってるんじゃね?」
そうなんだけど、たまにはこうして一人で行動するのも悪くないなあって。
さすが、大国の首都だけあって、夜だというのに明るい。明るいのはちゃんと道にガス灯が設置されているからだ。
あと、なんの店かよくわからないけど、窓から光がこぼれて、降り積もった雪がオレンジ色の光を反射してキラキラ光ってる。
――うん、こんな光景見れただけでも個人的には満足かな。
ガス灯の下に立っていた憲兵に宿を紹介してもらい、その場を後にする。
クレモネスに全く知り合いがいないってわけじゃないけれど、泊めてもらうのは気が引けてしまう。
だからそれを生業とする宿屋さんを利用しようと思ったんだけど、進めば進むほど、人気は薄れていって、誰もいない路地へとたどり着いた。
そこはガス灯も設置されてなくて、月明かりでやっと道が見えるだけ。
来た道を振り返ってみるけど、とりあえずそのまま進んでみる。
〈なあ、ザフィ。お前、道に迷ってるって自覚ある?〉
「ないよ。歩いていればどこかにたどり着くだろ」
〈あのな、どこかじゃなくて、宿にたどり着かなきゃだめなんだよ〉
「それくらいわかってるよ。ほら、喋ってないで道を照らすくらいしてよ」
〈俺をランプ扱いするなよ。やっぱりさっきの道で方向間違ったんだよ〉
「だったらなんでその時教えてくれないの?」
〈俺は言ったって。だけど、お前が行き止まりだったら引き返そうっていうから〉
「行き止まりが見つからないんだもん」
〈ザフィ、探してるのは宿だろって〉
端から見れば、独り言を繰り返す怪しい人。
人がいなくてよかったんだけど、それにしても静かすぎる。
「ここらへんには誰も住んでないのかな?」
〈汚染区画ってやつなんじゃね?〉
クレモネスは兵器開発や錬金術の研究で自然汚染が深刻化していた。
それは、川の河口にある、リーフレアにも及んだ。偉い迷惑というやつだ。
体内除染の技術は数年前に確立されて、ルビンはそれを元に土壌や水の除染の研究をしているけど、している本人の部屋がめちゃくちゃ汚い。
「首都は王宮があるから汚染度が低いんだっけ? それで汚染度の高い街から越してくる人が多いとか」
〈ここはそういう引っ越す金がある連中に買い取られた場所なんじゃね? とにかく来た道を引き返そう。この先、雪と暗闇しかないよ〉
そうだね、と頷いて振り返ると、影が立っていた。
月明かりと道に積もった雪の白の中にポツンと。
漆黒のフード付きマントに身を包んだ小柄な誰かが立っていた。
といっても、背の位は僕と同じだと思う。
驚いたのは、その存在にまったく気が付かなかったことだ。
影との距離は三メートルくらいあるけれど、相手は気配を消していたとしても、足音で気づいたはずだ。
雪は足音を吸収するっていうけれど、意外と雪は鳴る。
「君、今すぐここから離れたほうがいいよ」
影は言う。
背丈から予想はしていたが、声は幼い。
「離れたほうがいいって、ここが汚染区域だから?」
「そのほうが、まだマシだと思うよ」
次の瞬間に、その影は掻き消えた――と同時に横から轟音が襲い掛かってきた。