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叫び、あるいは嘆き

 馬車が急停車する。

 慣性の法則でフランツの胸に飛び込みそうになって、必死で座席をつかんだ。


「着いたの?」


 まだ外は暗い。時刻は四時を回ったところ。


「いいや、検問だね」


 外は静かだけど、黒いコートに身を包んだ男たちがたくさん行き来しているのが見える。

 馬車の御者が何か話をしている。

 しばらくして、ノックもなく、馬車扉が開かれる。

 扉を開いたのはヘルマンだった。


「まったく、あなたという人は」

「でも、ちょうど人手が足りないところだったんじゃないの?」


 腕を組んだまま、フランツはほくそ笑んでみせる。


「ええ、その通りです。現時点であの、痛覚球の存在を知っている人間は少ない。もし、相手がそれを用いて新しい兵器を造ったのだとしたら、対抗できるとしたら――」

「それをトレースした人間、ボクくらいのもんでしょ?」

「そのとおりです。しかもあなたは人殺しにも長けている」

「……やっぱり、そういう話しになるんですか?」


 僕の言葉に、ヘルマンは軽く頷く。


「監視班からの情報で、ヤンがこの騒動の主犯だということはわかっています。彼が何かしらの装置を使っていて、使用を止めない。もしくは彼の炉心と連結された機能であれば、彼を殺すしか、停止する手段はない」


 炉心との連結。

 錬金術師の持つ真の炉心と連結した機械は、エリクシールなどの高エネルギー燃料以上の性能を発揮する。

 だけど、錬金術師と繋がった機械は一蓮托生(いちれんたくしょう)

 そのつながりを絶つことは不可能ではないけれど、容易なことではない。

 一刻を争う場面で、錬金術師ごと殺すことは致し方ない、ということだ。


「ですが、あなたまで来るとは思っていませんでしたよ。ザフィーア・ホーエンハイム」

「僕自身、この状況に驚いてるんですけどね」


 その通り。今もまだ恐怖は持続している。

 これから先はもっと巨大な恐怖が待ち受けているというのに。


「ザフィーアはボクのお目付け役みたいなものだよ。あまり羽目を外しすぎないようにするためのセーフティ」

「まったくです。あなたが本気を出したら工場含め、ここら一帯が焼野原になります」


 それって、フランツのほうがよほど重要危険物じゃないかな?


「本来であれば、私がトリスメギストス卿のフォローを担当するところですが、今回はあなたということで、いいんですね?」


 ヘルマンに聞かれて、頷き返す。

 たぶん、これは最終確認だ。

 ここからはもう、後戻りはできない。

 フランツのほうは余裕たっぷりなのか、いつもと変わらぬ軽い笑みを浮かべている。


「はい、大丈夫です」

〈いざという時は俺がなんとかするよ〉


 スマラクトが囁いてくれた。それが一番心強かった。




 馬車から降りると、辺りは閑散としていて、民家など見当たらない。

 工場の近くは廃材や廃水、騒音などで地価が安く、低所得層の人間が土地を買うことがあると聞いていたけれど、クレモネス国内で進む区画整備の影響で、人口密集地まではかなり距離があるそうだ。


「だからといって、馬鹿な真似は止してくださいね」


 工場の入り口前で、フランツはヘルマンに釘を刺されている。


「わかってるってば。フラメルのおじいさんには世話になってるから。工場ぶっ壊すとか、そんな恩を仇で返すことはしないよ」

「ちなみに、この土地の所有権はローゼンクロイツ側なんですけどね」

「やっぱり焦土戦にしようか」


 ――君、ローゼンクロイツと一体何があったの?


「ともかく、ヤンがどんな装置を造ったのか、その特定ができていません。逆に、それが特定できれば突破口は開ける。なので、無理に装置を壊そうとしなくても大丈夫です。こちらの潜入班がなぜ発狂して自殺に至ったか、その原因さえわかれば大丈夫です」

「だけど危険なことをボクらに押し付けてることには変わりないよね?」

「別にいいですよ。嫌なら私が単騎で行きますから」

「いや、そんな……」


 僕が苦笑いを浮かべると、すかさずフランツが耳打ちしてくる。


「ヘルマンは二門で達人(アデプト)を習得してるから、そこいらの連中なんかよりも強いよ」

「あ、なるほど」

「だからボクに向かって噛みついてくるんだよ。ね、番犬くん」

「日の出までにはどうにかしたいんで、大砲に詰めてあなたを工場内に放り込みますよ」

「火薬の無駄遣いだろ。せめて投石器にしてよね」

「あなたの好きな消費活動ですよ。では、準備はいいですか?」


 僕のほうは大丈夫。

 フランツは手首にはめた手枷をチャラチャラと鳴らす。


「さて、悪人退治といきますか。お姫様」


 そう言って手を差し伸べられて、僕は慌てて視線をそらす。


「そういうの、僕は好きじゃない」

「えー、ノリ悪いなあ」

「何かあったら信号弾を。あなたなら天井を打ち破るくらい気にも留めないでしょう?」

「うん。ともかく、外のほうも油断はしないように」

「心得てます」

「じゃあ行こうか」


 フランツは軽く言う。

 まるで散歩に行くみたいに。

 その足取りも軽い。

 石造りの正門から、工場の敷地内へ。

 工場は一階建て。

 装飾のたぐいは一切なくて、ただの箱みたい。

 開け放たれたままの玄関が不気味だ。

 月が雲に隠れているのか、奥の闇が重々しく感じられる。


「やっぱり明かりってつけない方がいいのかな?」


 一応小さいカンテラは持たされたけれど。


「夜目ならボクのがあるから気にしなくていいよ」


 そう言って、僕のほうに手を差し出してくる。


「え、なに?」

「何って、エスコート」

「こ、こんな時に!」

「冗談じゃないよ。ボクが先に行くから。一寸先は闇ってやつなんだから。黙ってボクの手握ってなよ」


 そりゃそうだけどさ。

 握り返した手は、僕よりも少し小さかった。

 お互いに手袋をはめているから、互いの体温なんて感じることはできなかった。

 ゆっくり工場の中へ入る。

 扉は大きな引き戸で、一人で開けるのには骨が折れそうだ。

 工場はいろんな機材の出し入れが日常的に行われるから、この大きな扉は一般的だ。

 中も、旋盤がいくつも等間隔に並んでたり、いたって普通だ。

 匂いとか、埃っぽくて、潤滑油の臭いがするくらいで、なにか薬物が散布されたとは思えない。

 やっぱり、痛覚球を使った機械で――


「クルトのお父さんはそんなつもりで造ったんじゃないのにね」

「研究なんてそんなものだよ」


 ゆっくりと奥へと進みながら、小声でやり取りする。


「薬だってそうだろ。少量なら身体にいいけど、多く採りすぎると毒になったりさ。要は使い方だよ」

「なんか、許せないね」

「それは同意」


 フランツはそう言って、左手を天井に掲げて振う。

 次の瞬間、なにかが傍らに落ちてきて、びっくりして飛び上がってしまった。


「な、なに?」

「明かり、点けていいよ」


 彼は腰にくくり付けていたカンテラに火を灯し、落ちてきたモノを照らした。


 ――人形だ。


 フレームだけの人形が胴体部から完全に分断されていた。動力源がある胸部からエリクシールが血のように流れ出て、コンクリートの床に染みを作っていく。


「やっぱり、一連の人形騒動のボスは彼だったってところかな」


 脳裏に、フランツが描いたスケッチが浮かんだ。

 フレームはワンオフではなく、量産されたものなのだろう。形が一緒だ。


「相手はこっちの動きを把握してる。だからコソコソしてる必要もなくなったってわけだ」

「そこらじゅうに人形の目があるってこと?」


 僕のほうもカンテラに明かりを灯す。

 だけど、手持ち用のカンテラじゃ奥までは照らせない。

 向こうに扉があるみたいだけれど。

 カンテラを持ち上げた時、工場内にサイレンのような音が響いた。


 それは女性の叫びにも似ていた。

 とても甲高くて、それでいて――


 掲げたカンテラが床に落下する。

 手が震えている。

 膝も。

 冷や汗があふれ出て、眩暈(めまい)がした。


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