心を鳴らして
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推理小説には決まりというものが存在する。
犯人はあらかじめ登場させなければならないだとか。謎の抜け道があってはならないとか。探偵役が犯人ではいけないだとか。
よって、このミステリーに不正はない。
ただ、この世界がそういうことが可能だった、それだけだ。
デウス・エクス・マキナとは、このように、読む者に対して不条理を強いることがある。ゆえに、神なのだ。
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「人を殺したとは、それはロルフ・ローゼンクロイツのことで間違いないか? トリスメギストス卿」
ヘルマンの声は険しい。
当然だ。
人形が殺人なんて。
操られた機械人形が人を殺すのは何となく想像できるけれど、目の前にある人形は、身長一メートルもない、ただの人形だ。
ただ、胴体部は鉄製で重そうだから、そこで殴れば……それではただの鈍器だ。殺人犯にはなれない。
「そうだよ。この子はこの家でしか犯行はできなかったと思うよ」
「だったら動機は? まさか暴走とでも言うんですか? 機械人形ならまだしも」
「現時点の機械人形に動機なんて生み出せないよ。せいぜい事故で人を殺すくらいかな。それも、自己の判断ではなく、偶発的な行動ってことになるんだろうけど。
ちょっと失礼」
次の瞬間、フランツはブーツの踵で、クルトの足先を思いっきり踏みつける。
「いってぇ! 何するんだ――」
クルトの怒鳴り声と一緒に、どこからか細い音楽が流れてきた。
その音には似合わない、怒りに満ちた音色。
「え、なんで?」
クルトは足の痛みなどほっといて、机の上の人形を覗き込む。
「この音は、オルゴールですか?」
「何か関係はあると思っていたけれど、なるほど、音が鳴る仕掛けだったのか」
「あんた、何も知らないで俺の足踏んだんすか?」
「クルトくん、錬金術師を目指すならとにかくチャレンジだよ。当たって砕いていかなきゃだめだよ」
その言葉、何か違うくないかな?
「えーっと、その人形はクルトと繋がってるってこと?」
「そういうこと」
「人形の中をトレースしたんですね」
トレース、それは人体でも行える。
だが、それを行うためには様々な内部構造をあらかじめ頭に叩き込んでおかなければならない。誰でもそう易々とできる技ではないが、青色、いや、すでに測定不可能なフランツならいくらでも可能だろう。
「この人形の中にはホムンクルスを生成する際に用いられる感覚球が埋め込まれてる。と言っても、味覚と嗅覚はないけど、その代わりに別な物が埋め込まれてる」
フランツはクルトと正面から向き合って告げる。
「キミのお父さんは天才だ。たとえ未完成だったとしても、この発想だけで評価に値する。だけど当事者は土の下で聞く耳を持たない。だから代わりに、キミに伝えるよ。キミは、自分の父親を誇ってもいい」
「ほ、誇っていいって……」
クルトは困惑気味に首を振る。
「だって、親父はせいぜい黄色で、その色がすごくないって、錬金術師じゃない俺にだってわかるっすよ。それに、俺の耳をこんな……」
「本当なら、自分の身体で試さなきゃいけなかった。だけど、キミのお父さんはキミと繋がりたかったんだよ。キミの感情を知りたかったんだよ」
「俺の、感情?」
「感覚球に対してこれは……痛覚球とでも言えばいいのかな。感覚球とは人間の持つ五感を組み込んだ疑似魂だ。何代も前のトリスメギストスの錬金術師が、ホムンクルスをより人間らしくするためにと考案したものだけれど、これを完璧に錬成できるのはそれこそ、青色以上の錬金術師だろうね。だから、ロルフ・ローゼンクロイツは三つの感覚を持った感覚球しか造れなかったというのが正しいかもしれない。
逆に、そのマイナスを補てんするために、触覚に重点を置いた。
あのね、足りないから気づけることのほうが多いんだよ。完璧すぎると気づけないことのほうが多い。だから少しくらい頭足りてないほうが教えがいがあるんだよ」
そういえば、フランツはヘラヘラしてるけど、一応トリスメギストス当主として、門下生を抱えてて、教壇に立ってるんだった。今更気づいた。
「触覚で一番頭が反応を示すのは痛みだろうね。僕は脳外科の専門じゃないから断定はできないけれど、痛みを学習させることで、危険を回避する。これだって機械人形がなぜ必要か考えた時に導き出された解だと思う。そして、痛覚球を生み出し、人形と痛覚によってリンクするように、キミに痛みを与えた。そのためのピアスだったんだよ。
もう少し研究を進めれば、注射程度の痛みで人とリンクが可能になると思うけど、今はそれしか方法がなかった、それだけだよ」
「俺の、感情が知りたいっていうのは?」
「オルゴール、一曲だけじゃないでしょ?」
いつの間にか、音は止んでいた。
「……全部で四つのオルゴールが埋め込まれてる。喜怒哀楽の四つだって」
「ビンゴ!」
そう言って、フランツは指を鳴らして見せる。
「痛みによって一度リンクしたこの人形は、キミの感情によって奏でる曲を変えるんだ。身に覚えはないかい?」
「そういえば、親父と言い争っている時に突然、今と同じ曲が流れたり、ちょっと良いことがあったりすると、明るい曲が流れたり……って、ことは」
クルトの灰色の瞳が揺れる。
「俺が、……この人形が、親父を殺したのは、俺の――」
「それは違う」
フランツは断言する。
「それほどの力は、この人形には……、どうだろうなあ。これから先はボクの予想でしかないけれど、キミの感情がお父さんを殺したとは思えない」
「会って、数分の人間の、何がわかるんだ」
「そうだね。全ては理解できない。だけど、断片からわかることはある。キミが錬金術師になりたいと思ったのは父親の存在があったから。殺したいほど憎いなら、父親と同じ職業に就きたいと思うかな? あと、壊れてしまった人形を直したこと。最初は母親の持ち物でも、造り替えたのは父親。ボクも一応専門じゃないけど機械はいじるからわかるよ。すごく丁寧な仕事だ。父親が作った状態に戻したかったんじゃないの?
嫌いならさ、ボクだったら捨てちゃうよ。嫌いな人との思い出が残ってるもの全部。貧乏だったらそれは叶わないけれど、キミの父親はお金を家に貯めこんでいたんだろ? だったらそのお金で工具とかすべて新しいものに買い替えればよかった。今じゃもっと使い勝手のいい道具がたくさんある。だけど、そんなこともしなかった」
フランツは再び人形に視線を向ける。
「思春期特有の、親が嫌いになる現象ってやつ? 男親っていうのは案外精神脆いんだってさ。だからさ、言葉を交わさなくても、キミの気持ちを理解したかったんだろうね。でもまあ、そんな風に会話せず、楽して相手の気持ちを知ろうとしてしまったのが、彼の心の弱さそのものなんだけどさ」
人形が今度は悲しげな音楽を奏でる。
「キミの心を知るために造ったのに、逆に父親の気持ちがわかってしまった。通じ合うってこういうことなんだろうね。決して、一方通行じゃないんだよ。痛みなんてなくても、人は繋がってられるはずなのに」
*
何かに躓き、顔を強かに打ち付けた。
手には書類を抱えていて、受け身に失敗した。
痛む鼻頭をさすりながら、足元にあるものをみた。
それは、人形だった。
胸にオルゴールを埋め込んだ人形。
階段に座らせていたものが、転んでドアのところに?
いや、一メートルは距離がある。
自分で歩いた?
だとしたらすごいぞ。感覚球のおかげか? 自分が新たに作った感覚球のおかげか?
拾い上げようとした時、目に痛みが走った。
驚いて、目元を触ろうと思ったが、触れない。
何か、刺さっている。
なんだ、なんなんだこれは?
驚きで、呼吸が乱れる。
心臓が暴れ出す。
棒は何者かの手によって引き抜かれる。
残った目を開くと、そこには、火かき棒を手にした人形がいた。
なぜ? なぜ私を攻撃する?
エーテルの暴走?
いや、正常だ。そもそも、こんな、意志を持っているような攻撃を人に加えるなんて考えられない。
火かき棒は足に突き立てられる。
痛い! 痛い!
お前は、息子に対してしたことの仕返しをしているのか?
それとも、息子の意志を反映しているのか?
最初に刺された目の痛みは熱さに変わっていた。
やめてくれ! 許してくれ!
私はただ、知りたかっただけだ。
そして、成功したら、研究が認められたら大金が入るんだ。
そうすれば、アイツを私なんかよりも、もっといい教師の下で学ばせることができる。四門のどこかに入れさせることができるんだ。
身体の熱は増していく。
痛みが熱に変わっていく。
だめだ。この研究は、破棄しなければならない。
危険すぎる。
息子には、見せられない。
熱い、痛い、熱い……。




