プロローグ
全身が熱い。
そう感じるのは痛みのせいだ。
痛みも度を過ぎると「痛い」という感覚から、「熱い」という感覚に変わる。
不思議なものだ。
血は流れ、徐々に体温は低下していくというのに、熱さを感じる。痛みが意識を繋ぎ止めている。
今、この瞬間以上に「痛み」について深く分析したことがあっただろうか?
己はなぜ「痛み」について研究したのだろうか?
すべては、なんのためだっただろう?
いや、意味なんて求めたところで無意味だ。
意味を与えたところで価値なんてない。
一、二と数えられる価値なんかではない。
研究なんてそんなものだ。
理解されなければ無意味で無価値。
そんなものに己は人生を捧げた。ただそれだけだ。後悔はない。
ひたすらに欲望を満たすために研究を続けた。
なぜ作ろうと思ったのか、今では理由はあやふやだ。出発点は遠い過去のことになってしまった。もうじき、終着点に着くはずだった。たぶんだ。はっきりした確証はない。
痛みと熱の後にやって来たのは寒さだ。
凍えるような寒さ。
そして、とにかく瞼が重い。
これが最後の眠りというものなのだろうか。
生ある者にはいつか死が訪れる。
生み出された物にもすべからく死はくるのだろうか? 終わりがあるのだろうか?
壊れて動くなれば、それは「終わり」を意味するだろうか。
誰かが修復して、再び動かしたら「再生」と呼べるだろうか?
こんな痛みは、一度だけでいい。
人間は再生しなくてもいい。
精一杯生きる意味が、なくなってしまうから。
*
デウス・エクス・マキナとは、機械仕掛けの神、もしくは女神という意味で用いられているが、それは実態を持たない概念的存在だ。
神、その存在を例えるならば、物語を書き綴る創作者だ。
創作者は己の作りだした世界において、果ては他者が作り出した物語世界をも作り変えることが可能だ。
この機械仕掛けの神は、そういった創作者のしもべのようなものだ。
創作者よりも下位。しかし、物語においては絶対神であり、覆すことのできない存在だ。
そもそも、覆すことが彼、彼女の専売特許なのだ。
機械仕掛けの神は時にアンフェアで、その世界を見守る読者たちを混乱に貶めたりもする。
しかし、そんなものが実際に存在したら世界はどうなるのだろう。
すべてを超越せしもの。
世界を繋ぎ止める設定という軛を断ち切るもの。
運命さえも簡単に捻じ曲げてしまう。
物語の外に、デウス・エクス・マキナは存在する。
だが、物語の中に存在したら?
実体を持って姿を現したら?
その物語は――