3 「無痛」
手遅れになりながら彼らは思い知った。
彼女が、今まで自分たちが絡み、集り、凌辱してきた少女たちと、全く違う存在であることを…。
「30秒…」
群青の瞳が、左手にした腕時計を見ながら呟く。
彼女の周辺にはうめき声を上げるごろつきどもが、ヒーローものの定番と言わんばかりに転がっているではないか。
あの金剛力士像も、焼けたアスファルトの上でゴロゴロ。
無論、あばら数本を折られて。
予想外の展開に、ボス猿も放心。
「わけないわね。たいそうな口たたくわりには」
微笑むその顔は、無垢な面影。
最後の虚栄か、ボス猿は叫んだ。
「て、テメエ、俺たちが南区最強の愚連隊と知っての暴挙か!」
「知るかよそんなもん」
鼻で笑う。
「お、俺たちを敵に回したら怖いんだぞ! サツだろうと容赦しないんだぞ!」
「そいつは、ワタシを半殺しにでもしてから言えよ。最も、こんな雑魚キャラに、そこまでの能力はないだろうがな」
すると、ボス猿は歯ぎしりし言い放った。
「そこまで言うなら、本気で殺してやるよ。このド腐れアマ…兄者ぁぁっ!」
まだ仲間がいたのか?
シレーナが気付いた時には、既に背後は取られていた。
と言うより、この状況で背後に気づかない方がどうかしている。
砂漠にも似た熱気と、荒い息。汗臭さ独特の酸っぱい体臭。
振り返ると、3メートルはあるだろうか、スキンヘッドの大きな肉塊、否、ヌリカベがゆっくりと彼女を見下ろしているではないか。
トレードマークの薄青のカッターシャツは、ボタンがはちきれそう。
「どうしたんだい、兄さん」
答える声は、その体型に似合わず甲高い。某ネズミ―マウスそっくり。
「兄者、コイツは兄弟を半殺しにした女だ。さっきと同じ悪者の仲間だ」
「それはいけないなぁ」
「殺せ! この女の死体を、コーラ恵まなかった悪人たちに見せつけるんだ!」
瞬間、シレーナは納得した。
(そうか。この2人を半殺しにしたのは――)
だが、考えてる暇はない。
「っ!!」
ヌリカベの右腕が振り下ろされた。
間一髪、身体をしゃがませかわすも、その後を強く汗臭い風が、彼女の顔をつんざく。
片手で避け、再び頭を上げるとそこに、ヌリカベの姿はない。
「どこへ行った?」
「ほおおうううううっ!」
上空!?
見上げると、両手両足を広げ青空から、塊が降ってくる。
目を見開き急いで逃げるも――。
衝撃波は華奢な体を吹き飛ばし、細かいガラスの破片を向けてくる。
それを全体で受け止め、膝をついて何とか交わしたシレーナの眼前には、見たこともないオブジェが。
停車していたはずの、黒いセダンが消えていた。
いいや、セダンは相変わらすそこにある。
ヌリカベが、その豊満な腹で車体を押しつぶしているではないか!
「なんてやつ…」
狼狽するシレーナに向け、ボス猿は誇らしげに笑った。
「見たかっ! 兄者の体重は軽く150キロを越えている。プレスされれば、人間などひとたまりもない。
だが、最大の武器は、見た目からは想像できない程の俊敏さ!
どんな奴でも、兄者にはかなわないっ!」
そう言う間にも肉の塊は、ボンネットをバネに起き上がった。
擬音を付けるなら、そう、「バイ―ン」といった表記が似合うか。
カートゥーンキャラクター顔負けの動きだ。
重さに耐えきれず、サスペンションが音を立てて破断する。
シレーナは間髪入れず、勢いをつけて、特殊警棒を腹部に向けて振り下ろした!
「!!」
ふくよかな壁に吸い込まれた、のみならず、警棒が真っ二つに割れた。
先端が回転しながらアスファルトに落下した頃には、ヌリカベはシレーナの右腕を掴み、軽々と持ち上げていた。
次に左腕を持ち上げ、磔刑。
気持ち悪そうに睨み付けるしか、カノジョにはできない。
「兄さん、どうしよう?」
「かまうこたぁない。ダルマにしちまえ」
「あいよ~」
ヌリカベは、躊躇もなく少女の腕を力一杯に引っ張る。
両腕が身体から離されるように、反対側へと伸ばされていく。
ポキリ。
両肩の関節のはずれる音。
白いワイシャツは繊維をもがれるのを防ぐ、最後の薄い防衛ライン。
それ以上に、最強の壁があることを、肉塊のヌリカベは知ることとなるだろう。
「兄さん…」
「どうしてだ…」
2人は狼狽。
甲高く、うわずった声。
そのはずだ。だって、眼前の彼女は――
『どうして、そんなに涼しい顔をしていられる!』
関節が外れているのに、能面の如く表情を変えない。
「痛い」とも「助けて」とも叫ばない。
まるで…そう、まるで……もう死んでいるようで……。
「どうして? わたしはね…“痛み”を感じることができないのよ」
刹那、右足が動いた!
「ぎゃあああああああああっ!」
靴のつま先から飛び出した鋭利な刃物が、ヌリカベの左乳首を貫通する!
「死んじゃうっ! 死んじゃうっ!」
咄嗟に放した両手。
シレーナは両足で見事に着地するや否や、右肩を傍に駐車されていたワゴンに思い切りぶち当て、関節を接続。
すかさずしゃがみ込み、その腕を軸に回し蹴り。
巨体を支える細い足を払いおとす。
混乱していたヌリカベは、そのまま後ろへ倒れる。
衝撃で地面が揺れ、駐車場にある全ての車の盗難警報が悲鳴を上げた。
「ううっ…はがううっ!」
頭を打ち付け、意識もうろうなヌリカベに、彼女は最後のトドメ。
見下ろす彼女の顔は――認識する前に、その足は顔面にめり込み、巨体が小刻みに揺れると沈黙。
「FIN」
外れたままの左腕の関節を無表情でつなげると、シレーナはボス猿の方を向いた。
スカートの中から、レッグホルスターに仕舞われたチーフスペシャルを構えながら。
「さあ。残ったのはあなただけ」
口元を微かにゆがませて、彼女は歩み寄る。
警報音が脳内のそれとシンクロしているものの、ボス猿は動けずにいた。
「お、お前は一体…何者なんだ…」
「フフッ」
零れる笑いは愉快的越。
左手に握られた拳銃は、確実に心臓を捉え、命を奪うカウントダウンを始めている。
「恐れるな。少しだけ早く、お前に“夕暮れ”がやってきただけだ…」
その言葉に、彼は反応した。
「今のは……そんな、まさか! アレはただの都市伝説じゃないか!」
「……」
「“スマイル”…この言葉に狼狽し怯えるのならば、そいつは二度と太陽を拝むことはできないだろう。
お前が、グランツ中のギャングを片っ端から処刑した…“赤い礼装の少女”なのか?」
「……」
互いの距離が縮む。
銃が迫る。
アラームが遠ざかる。
そして意識、呼吸、思考――
全てが戻った時、2人の間には別の壁が現れていた。
駐車車両をなぎ倒したそいつは、いかつく大きな車体が特徴の、白のハマーH2。
青のラインと「EMERGENCY」の文字が刻まれた側面を見せる車両の運転席から、また少女が現れる。
ロングスカートが特徴の、淡い水色のナースメイド服を身に纏った、金髪ショートの女の子。左目を隠す眼帯。
灰色の右目でシレーナを捉えながら、彼女は言う。
「もう十分ですよ。先輩」
「ハフシ…」
「彼には処刑命令が出てません。だから、ここで御仕舞です」
気づけば、市警のパトカーが取り囲み、ギャングたちを次々と護送用のバスに収容していた。
救急車、消防庁の工作車も駆けつけ、重傷を負った店員や、車に刺さったままの少女を救助している。
それを見るや、シレーナは銃をしまい、胸ポケットに入れていたオーバルフレームの眼鏡をかけた。
不思議なことに、彼女から殺気も笑みも、凍りついた表情も消え、ただ眠たそうな目をした女の子がそこにいるだけ。
「助かったわ、ハフシ…ハフシ・マリアンヌ・エクレアーノ」
「いつものことですよ」
そう言ってほほ笑んだナースメイド。聖トラファルガー医科大学付属学園に通う学生捜査官、ハフシ・マリアンヌ・エクレアーノ。
一方で、さっきまで関節を外されても何ともなく、反撃し笑っていた少女こそ、この物語の主役の1人…厳密には、もう1人は今回は登場しないので、彼女1人である。
学生捜査官、シレーナ・コルデー。
教育機関独自の警察組織「ガーディアン」が、警察庁と共に設立した極秘広域捜査機関、通称「M班」のリーダーであり、全国の学生捜査官の中で、人を殺めることを許された、ただ1人の少女なのであった――。