1.「大立山まつり」
これは、“再びの始まり”の前日譚である――。
佐保川貴也が“群青の少女”と出会う、およそ1年前。
1月29日 PM7:20
ジャパン。奈良――
6世紀、この国に他国と貿易する程の強大な力を持つ首都が建立された。人々はそこを平城京と呼び、都が移されるまで、彼の地が国の中心として機能を果たした。
だが、それは忘却された昔話。現代となった21世紀では、区画整備と発掘調査が着々と進行しているものの、そこに都を偲ばせる痕跡などない。
草木が生い茂り、市民の憩いの場となったそこは、私鉄電車の線路が縦貫し、近代技術を結集して再築された古代建築が鎮座するのみ。
夜になれば静寂そのものの史跡は、今夜はいやに明るい。
都のランドマークとも呼べる建造物、太極殿。その眼前を様々な色、形の屋台が練り歩き、特設の舞台では色とりどりの衣装を身にまとった男たちが、打楽器を打ち、華麗に舞う。
ある者は荘厳たる幻想的場面に同化し見とれ、ある者は天へ供えるが如く自らのスマートフォンを頭上高く掲げる。
その少し外では、白いテントとのぼりが通路の両側に並び人々が列を成す。白いプラスチック容器と割り箸を手に出てきた彼らは、家族で、もしくは友人と、でなければ1人黙々と、湯気の立ちこめる汁ものを口にする。
中には甲冑や法被に身を纏った者も、同様に世間話を添えてほおばる。
新鮮な野菜や肉団子、出汁が喉を通るたび、自然と笑みがこぼれてくる。
観光客減少を嘆く奈良市が、イベントが少ない冬季に話題を呼ぼうと、知事の肝いりで始まったお祭りこそ、現在展開されている幻想の正体だ。
奈良 大立山まつり。
県内のあらゆる舞踊、地域祭典、和楽器の演奏集団があつまり、それぞれが自慢や演芸などを披露するのみならず、エリアの一歩外では、グルメイベントも行われている。
寒空の下、各テントに並んだ来訪者は、各地域の名産を使ったご当地鍋に舌鼓を打つ。
だが、発光器の下、汁物をすすりながら、あたりを見回す男がいた。
30代と思しきそいつは、誰かを見つけたようで、スチールのカップに入ったスープを一気に飲み干すと、ゆっくりと後を追っていく。。
光り輝く太極殿。
雑踏の中に佇み、遠くからステージを臨む赤いキャップの人物。
そいつの右隣に男は立った。
「久し振りだな」
「例のブツは?」
「用意してある」
そう言って、男は小さな茶封筒を、こっそりと赤キャップに渡した。
中からクリアファイルに挟まった書類の束。写真が貼ってあるもののいくつかある。
赤キャップも、同様に小さな茶封筒を渡す。
少し膨らんだそいつの中には、一万円の日本銀行券数枚と、自動車のスマートキー。
「足りないな。言っただろ、物々交換は受け付けていない」
「分かってる。それは前金だ。残りは、その車の中に積んである」
「場所は?」
「臨時駐車場の奥に停めてある、大宮ナンバーのミニクーパだ。すぐに分かる」
「そうか。ともかく、これで取引は成立だ。
しっかし、たまげたもんだぜ。時の人になったお前さんが、どうして今更、コイツラの情報を欲しがるっていうんだい?」
赤キャップは前をじっと見つづける。
「お前さんには関係ない事だろ」
「どうかな? ここ最近、本業の方がからきしダメなもんでねぇ」
相手が下衆な笑みを浮かべているのは、視界に入っていなくても分かった。
「依頼主を脅すって噂は本当だったって訳か」
「さあな。いざとなったら、その原本を持ってサツに駆け込むだけさ。じゃあな」
男がゆっくりと立ち去ると、出し物はクライマックスへ。
力強い太鼓をベースとした、伝統的というよりリズミカルな現代風のお囃子の音色に誘われ、弁財天、毘沙門天、広目天、増長天の四天王がかたどられた、大型のだんじりが大極殿の前を練り歩く。
各だんじりには、四季の彩りが盛り込まれ、それらが絵巻のように入れ代わり立ち代わり、観客の視界を駆け抜けていく。
紅く鬼の形相の増長天が、ライトアップされた大極殿を横切る。
瞬間、赤キャップの口から笑みが…万遍の笑みがこぼれたことを、そこに居合わせた誰も知らないし、見てもいない。
全てが紅く染まった、その群衆の中では。
「これで全て揃った」
◆
その爆音はイベント会場となった太極殿周辺では、お囃子の音色、太鼓の強い刻みにかき消されていた。
まさか、近くの臨時駐車場で事件が起きていたとは知る由もない。
一番奥に停めてあった自動車が、突如激しい閃光と共に爆発したのだ。
イベントも間もなく終わりという事で、駐車場には大勢の観光客がいたが、幸いにも巻き込まれた人物はいなかった。
しかし炎は周辺の車両も巻き込み拡大していく。
通行人からの通報で、すぐに消防車が駆けつけ消火活動を行ったが、結局、付近に停まっていたワゴンを巻き込んで、1時間後に鎮火。
爆発した自動車の運転席から、損傷の激しい焼死体がみつかった。
翌日、奈良県警は事件と自殺の両面から捜査を開始。
しかし、事態が動くことはなく、ただただ時間だけが流れていったのだった――。