一章 旅立ち 1
章をいくつかに分割して投稿→幕間
みたいな流れになると思います。よろしくお願い致します。
城へと戻ったウィルを待ち受けていたのは1人の侍女であった。まだ少し幼さの残る風貌から、ウィルと歳が近いことが見て取れる。肩口で切りそろえられた髪とやや癖があるが整えられた前髪は彼女の幼さを引き立たせていたが、同時に仕事に取り組むもうという彼女の真面目さも、伺うことができた。
もっとも、それは衣服ではなく、ウィルを見つめるその眼差しとハタキに仁王立ちというその立ち姿故のものかもしれなかったが。
「殿下!!またお城を抜け出されたそうですね」
「うっ、リゼッタ。どうして君がそれを」
言い訳に頭を悩ませるウィルに追い打ちをかけるかのようにリゼッタと呼ばれた侍女はウィルの方へと詰め寄ってきた。
「どうしてもなにも、先ほどウォルド様がものすごい剣幕で戻られてました。今この国でウォルド様をあれほど怒らせることができるのは殿下をおいては他にはいらっしゃいません」
「参ったなあ、そんなに怒っているのか、ウォルドは。少しからかいが過ぎたな」
いいながら、ウィルは栗色の癖毛をクシャクシャと掻き回した。それはどうやら困った時の彼の癖のようだった。
「いけません!ウィル様!!お御髪が乱れてしまいます。それに、まあ!!!」
リゼッタはウィルの様子を眺めながら、とんでもないことに気がついたという風に口元に手を当てた。驚きに見開かれた瞳の先にはウィルの着ている衣装がうつっていた。
「また地面の上で寝られたのですか!ああ、もうせっかくのお召し物に芝の端がたくさん!それに泥まで!!」
「うっ」
ウィルはさらにまずいものを見られたという表情を浮かべるとジリジリと後ずさりして逃亡を試みた。しかしそれを許すほど、彼女は甘くもなく、またウィルとの付き合いも短いものではなかった。
ほら、払いますので少しじっとしてください。そういうと彼女は慣れた仕草でテキパキとウィルの衣服に張り付いた汚れをはたいて落としていく。時折叩く力が強くなるのだろう、ウィルは顔をしかめては動いて余計に彼女の機嫌を損ねないように意識を払わなければならなかった。
容赦無くウィルの衣服を叩くリゼッタの様子は、一国の王子に対する侍女の態度ではないが、ウィルの方にはそれを咎める要素は微塵も感じられない。それどころか、ウィルは不遜ともとれる彼女の態度を内心では気に入ってさえいたのだった。
なぜならウィルには年の近い友人がおらず、比較的年の近い他貴族の子息や令嬢はやはりそれなりの、いってしまえば距離をとった態度しかウィルに対してとることができなかったのである。臣下である以上それが当たり前のことではあるのだが、頭では理解していても物足りないというのがウィルの本音であった。
だからウィルにとってこの侍女の身分を気にしない物怖じしない態度は心地が良かったのである。それでいて彼女は愚かではなかった。
ウィル以外の人間のいるところでは主を貶めるような発言は態度は一切取らなかったのである。
「ありがとう、リゼッタ。僕の服よりも、何か用事があったんではないのかい」
一切の汚れを見逃すまいと目を細めている彼女にウィルは声をかけた。ウィルの言葉にはっとした様子で居住まいを正すリゼッタであった。
「そうでした!殿下が戻られたら執務室に来るようにと、国王陛下が」
「父上が?ウォルドめ、もう告げ口をしたのかな」
「いえ、仰せつかったのはウォルド様が戻られる前ですわ」
ふむ、といった感じでウィルは思考を巡らせた。ウィルはまだ今年で十八である。現国王もまだまだ壮健であり、普段からウィルが国王の執政に口を出すことなど皆無と言っても良かった。よって、余程のことがない限り、父親であるといっても国王から呼び出されることなどなかったのである。
(最近は魔物が増えているし、外出を控えろとでもいうつもりかな。ん、そもそもウォルドは何の用で僕を探しに来たんだろう。何か関係があるのかもしれないな……)
一頻り考えたが、思い当たる理由など浮かぶはずもなかった。そうなればやはり直接確認した方が早い、ウィルは考えることを諦めると返答をまってその場を離れられないでいるリゼッタに微笑んだ。
「ありがとう、リゼッタ。もう仕事に戻ってくれて構わないよ」
「ありがとうございます、殿下。それでは」
失礼いたします、と深くお辞儀をしたリゼッタはいつの間にか集めていた先ほどの芝屑を器用にまとめると、その場から去っていった。
ウィルは彼女が視界から完全に消えるのを確認すると、執務室へと足を向けた。
執務室へと向かうには、中庭を通って城の中心部へと行く必要がある。そして大会議室のある二階、謁見室のある三階のさらに上にのぼった国王の寝室がある最上階、その同じ階の真ん中に、件の執務室があるのだ。
面倒だなと思いながら向かっていると、ちょうど大会議室の前で初老の男性が視界に入る。ウィルは片手を上げてその男性の名前を呼んだ。
「おーい、モーゼス!」
ウィルの声は高くも低くもないが良く通る。モーゼスと呼ばれた初老の男性は辺りを見回ししばらくして歩み寄るウィルに気がついた。
「これはぼっちゃん」
「ぼっちゃんはやめてくれよ、モーゼス」
ウィルが近づくとモーゼスは相好を崩した。笑うと長い眉毛に目が隠れなんとも言えない表情になるモーゼスは、その好々爺と思われる外見とは裏腹にこの国の政務の大部分を担っている宰相であった。
「ぼっちゃんはぼっちゃんですよ。あなたのおしめを何度取り替えたとお思いですか」
「そうかもしれないけれど、僕ももう十八なんだ。少しは格好つけさせてくれよ」
「何を仰いますか。そのようなことは少しでも政治に携わってからお申し付けください」
顎髭をさすりながらモーゼスは再び笑った。ウィルはそう言われると何も言い返せない。ばつが悪そうに頭をかくだけだった。
(この城には頭が上がらない人間しかいないんじゃないだろうか。)
ついウィルはそんなことを邪推してしまう。勿論そのようなことはないのだが、昼寝から目覚めて出会った人間を見るとどうしてもそう思わずにはおれなかった。
そんな彼の胸中をモーゼスが知るはずもなく、構わずウィルへと言葉をかけた。
「もしかして、陛下に呼ばれたのですかな」
その言葉にはっとなるウィル。
「そうなんだ、モーゼス、何か心当たりはあるのか」
「やはりそうでしたか。心当たり……あるといえばあるのですが、いえ、憶測で物を語っても仕方在りますまい。私めも陛下に呼ばれておりますので、ここはひとつ一緒に向かうといたしましょう」
モーゼスはそういうと執務室へと足を向ける。奥歯にものが挟まったような物言いにウィルは少しは眉を顰めたが、ここは問い詰めても仕方がない。素直にモーゼスの後をついて行くことにした。
現在、この大陸は大小含めるとそれなりの数の国々があった。ウィルの住むこの国はその中でも比較的大きく、交易の中心、とはいかないまでもそれなりの発達と人々の交流を見せていた。
隣国との付き合いも良好で、おおよそ戦争と呼べるものは歴史書を眺めた方がはやいというくらいのあいだ起きてはいなかった。
それは他の国でも同様であった。人々は安寧を享受し、日々を平和に過ごしていた。時折多少の諍いはあるものの、世界は争いを忘れていた。
それにはひとつの大きな理由があった。魔物である。いつ頃からであろう、大陸には動物とも違う謎の生物たちが現れるようになっていった。
その形態は様々であり、人々はそれらを総称して魔物と呼んだ。そして魔物たちは、まるでそれが使命と言わんばかりに人々だけを狙って襲ったのである。
そのため世界各国の軍はその多くの人員を魔物の討伐や、村々の警護に割くしかなかったのである。つまるところ、戦争など行っている余裕がなかったのである。
それほどまでに、世界は魔物という存在に頭を悩ませていたのである。
ウィルとモーゼスは長い階段を登りきり、執務室の前へとやってきた。モーゼスは咳払いをして、茶色く重厚感に包まれた扉をノックする。
「……入れ」
いくばくかの時間の後中から聞こえてきたのは、低く、落ち着きと厚みを感じさせる声だった。
次かその次から話が動いていくと思われます。懲りずにお付き合いいただければ幸いです。