第七話 会長と迷子
最初に飛び込んで来たのは見慣れた天井だった、カーテンの隙間から光が漏れている。
ああ、朝が来たのかとゆっくりベッドから起き上がり、カーテンを開け放ち部屋に光を与える。
それと同時にドアがノックされ、聞き慣れた声が響く。
「聖羅さん、起きてますか? おはようございます」
「はい、起きております」
「朝ご飯出来てますから早く降りて来てくださいね」
あの声の正体はわたくしの母の声、名前はクリスティーヌ、母はフランス人だ。つまりわたくしこと宝条院聖羅はハーフとなる。
ネグリジェを脱ぎ、真っ白なワンピースを纏って部屋を後にした。
二階を降りたすぐに良い匂いが漂っていた。
「おはようございます、お母様」
ふう、この喋り方は疲れるな。母は日本語がとても上手、ちゃんとした事を言わないと泣き出す。
聖羅さんが悪の道に!
と大騒ぎを起こすので家では違う喋り方だ。
「お父様はもうお仕事に出ましたよ」
「そうですか、わたくしも食事が終わり次第出かけます」
「分かりました……またお見舞いですね、今日は忙しくて一緒に行けません。ごめんなさい」
気にしないで母に言葉を返す。
食事を終えるともう少ししてから出かけると言い残し、自分の部屋へと引き返す。
出かける用意を済ませ、病院の面会時間に合う様に家を出た。
背中越しに母のいってらっしゃいを聞きながら。
「……病室に飾る花を買って行かないとな」
わたくしはある人のお見舞いに病院に歩いているところだ。
その人はわたくしの大切な人。
天気が荒れると聞いていたがその逆、雲一つない晴天。痛いくらいの太陽光がわたくしに降り注いでいる。
太陽光がジリジリとアスファルトを焼き町全体の温度を上げる。ヒートアイランド現象とは厄介だ。暑い、まだ夏前なのになんだこの暑さは。
額にうっすらと汗が光る。ハンカチで汗を拭う。
「ふぅ、冷たい物が欲しいな、どれジュースでも飲むか……ん?」
違和感を感じる、それは後ろから。
ワンピースの下の部分を誰かが引っ張っている。
まさか、こんな昼間から堂々とした痴漢か?
馬鹿め、わたくしの回し蹴りでノックアウトにしてやる。
「誰だ! わたくしの……」
くるりと後ろを見ると誰もいない。そんな馬鹿な、まだ引っ張られている感触はあるのだぞ?
視線を下を向けるとそこに居たのは小さな子供、茶色の短い髪、Tシャツに短ぱん。多分5才くらいの男の子。
「なんだ一体? おい、なんでわたくしのワンピースを引っ張っているんだ?」
「……ぐす、ぐすっ」
こいつまさか泣いている?
「どうして泣いているんだ? 話してみろ」
「うぅ……ひぐっ」
「泣いているばかりでは何も解決しないぞ、さ、わたくしに何があったか言ってみろ」
まったく、わたくしは急いでいるんだがな。
でも、泣いている子供をこのままにして行ったらいい気分はしないな。
しゃがんで子供と同じ目線にして落ち着くのを待つ、しばらくしてようやく子供が話し始めた。
「ぐす……お、お兄ちゃんとかけっこしてたの。でもね、ぼくが転んで前みたらお兄ちゃんがいなくなってた。さがしまわったんだけど……ぐす、ここどこなのかわかんなくなっちゃった」
そう言ってわんわんと泣き出した。
泣くなと言っても泣き止まない。不意に通行人達の厳しい視線が集まっているのに気が付いた。
「なんだ、いじめか?」
「嫌ね~、あんな小さい子をいじめて、最近の若い人は……」
ここはまずい! 白い目に睨まれながらわたくしは子供の手を取り駆け出した。
なんでわたくしがこんなめに会わなければならないんだ!
息が切れる。男の子を連れて走り回り、ようやく休める場所へとやって来た。
そこは公園、辺りが芝生に覆われた自然公園だ。確かここは朝霧公園って名前ではなかったかな? まぁ、名前などどうでもいいか、今は休む事が先だ。
「はぁ、はぁ、まったく、こんなに走ったのは学校のマラソン大会以来だぞ……取りあえず落ち着いたか?」
「ぼく、お兄ちゃん探さなきゃ、きっとお兄ちゃんもぼくを探しているはずだもん」
前向きな言葉、だが、わたくしが掴んでいる男の子の手は震えていた。強がってもまだ子供、怖くて淋しいのだろうな。
……お兄ちゃんか。
「ふぅ、仕方ないな、特別だそ? わたくしもお前の兄を探してやる。有り難く思え!」
「ほんと?」
「ああ、本当だ! 取りあえずお前の名前は? わたくしは聖羅だ」
「ぼく、あきと。川上秋人」
「川上秋人だな、よし川上、まずは何処で遊んでいたんだ? その辺りから探そう」
「うんとね……えっとね……分かんない」
分からないとは一体どう言う事だ?
詳しく理由を尋ねると、かけっこをしていて、兄の背中しか見ていなかった。周りの風景が分からないらしい。ついでに家の方向すら分からないと付け足した。
はぁ、これは適当に歩き回るしかないな。
「……取り敢えず商店街の方を探そう。よし、わたくしに付いて来い」
「うん」
「川上、目上の人間には敬語を言わないと行けないぞ?」
そう言うと、敬語って何? と疑問をぶつけて来る。ああそうか、まだ小さな子供だ。分からないんだな。取りあえず返事だけはちゃんとさせないとな。
「返事は、はいだ! 分かったな?」
「うん、……あ、はい!」
ふふ、慌てて言い直している。取りあえず商店街を探し歩く事にした。
さて、何処にいるのやらと思いながらしばらく商店街を歩いていると、何やらいい匂いが漂って来る。この匂いの正体はメンチカツだ。惣菜屋から揚げたてが店頭に並んでいる。
「メンチカツか、確かこの店のメンチカツが美味しいと皆川が言っていたな」
誘われたのか川上のお腹の虫が泣いた。腹が減っているのか、川上はじーっとメンチカツをキラキラした瞳で見つめていた。
仕方のない奴だな、まったく。
「食べるか?」
「え! いいの!」
「腹が減ってはなんとやらだ。まったく、ありがたいとおも……」
喋っている間にさっさと惣菜屋に駆け出していた。わたくしを置いて行くとはやれやれだ。
メンチカツを買ってやりすぐ近くのベンチに腰掛け食べ始める。
「うまいか?」
「うん! とってもおいしいよ!」
満面の笑顔、結構可愛いじゃないか。
それにしてもよく食べる、それに口の周りにメンチカツにかかっていたソースまみれだ。仕方ないなとハンカチを取り出し、川上の口の周りを拭ってやる。
「ん~、いいよ、ぼく一人でふけるもん」
「まったく、このわたくしが拭ってやっているんだ。有り難く……ん?」
誰かの視線を感じる、嫌な予感だ。ゆっくりと後ろを振り向くとそこにいたのは……。
「あれ? やっぱり会長さんです!」
生徒会のエージェント、柳刃誠十郎。
格好は素っ気ないTシャツにデニム、あまり女の子らしい格好では無いな。なんでこんなところにいるのだ。
「や、柳刃か、どうしてこんな所にいるんだ?」
「ボクは本屋さんに頼んでた小説を取りに行くところです。そちらの方は会長さんの弟さんですか?」
「いや、弟ではない。こいつは……」
「黒髪のお姉ちゃん、ぼく、誘拐されたの!」
突然、川上が冗談を言った。ちょっとしたジョークのつもりで言ったんだろうが、相手が柳刃だ、大変ややこしくなるぞ。
「はぅうー! 本当ですか! か、会長さん、行けません! まだやり直しはききます! すぐに自首するべきです!」
川上がぽかんとしている。まだ小さくても、どう反応するか予想はできていたはず。予想以上の事にどうしたらいいのか分からない様だ。
「柳刃、冗談だ、本気にするな」
「ふぇ? 冗談……ですか? な、なんだ、びっくりさせないで下さい!」
びっくりしたのはこっちだ、まったく。
もしかしてサンタクロースとかをいまだに信じているかも知れないな。ちょっと尋ねて見るか。
「柳刃、サンタクロースて実は空想だと知っていたか?」
「えぇ! サ、サンタクロースさんはいないんですか! ボク、サンタクロースさんに会うために毎年朝まで起きていたのにです!」
やっぱり。
取りあえず事情を話し柳刃を落ち着かせた、なんだろうドッと疲れがでて来た。こんな事で川上の兄を探せるのか? ちょっと心配になる。
「そうだったんですか、会長さんがとても嬉しそうに接していたので、弟さんと思っちゃいました」
嬉しそうにしていただと? わたくしがか? まさか、そんな分けないだろう。
まぁいい、こうなったら、こいつにも手伝わせてやる。
「剣姫、会長命令だ、わたくしと一緒に川上の兄を探せ!」
「わ、分かりました! 頑張ります!」
とは言ったものの、何処から探すかな。さっきの様に商店街を彷徨うか。
そうだ、大切な事を忘れていた。
「川上、お前の兄の特長を教えろ。そうすれば早く見つかる」
「えっとね、お兄ちゃんはね、ぼくと同じ髪の色で、短くて、ツンツンあたまで、えっと、パン空くんの白いTシャツ着てるの!」
パン空くん? なんだそれは?
「なんだその……パン空くんと言うのは?」
「あれ? 会長さんは知らないんですか? 今テレビやっている子供に大人気のアニメです。西遊記をモチーフにしていて、孫悟空がパンダなんですよ」
「な、何! パンダだと!」
わたくしは動物が好きだ、特にパンダがお気に入りだ。
そうか、パンダか……今度見てみよう。だが、わたくしがパンダを好きだなんて口が裂けても言えん。
「会長さん、パンダが好きなんですか?」
「な、なんだと! 何故分かっ……じゃない、どうしてそう思うんだ?」
「だって、パンダって聞いてから、会長さんのほっぺたが真っ赤っかです!」
何! くそ、不覚だ、大不覚だ!
「そんな事はどうでもいい、早く探すぞ!」
うむ、ポーカーフェイスを練習した方がいいかも知れん。
それから三人で歩き回ったがなかなか見つからない、心当たりを次々と回るが結果は皆無。
どれだけ探したか、約二時間は探している。さすがのわたくしも疲れ、近くにあった公園のベンチに腰掛け休息を取る事にした。
「はぅ~、見つかりませんね」
「そうだな、もしかしたら向こうも、川上を探して行き違いになっているのかも知れんな」
川上に視線を合わせると瞳に涙を溜めて泣くのを我慢していた。まだ小さな子供、どれだけ不安かどれだけ恋しいか。
そっと頭をなでてやった。
「川上、絶対に見つけてやる。だから泣くんじゃない。いいか、涙はな、兄と会うまで取っておけ。今泣いたら嬉し泣きが出来なくなるだろ?」
「……うん、我慢しゅる、うぐ、ぼく、お兄ちゃん見つけるまで、我慢する!」
「それでいい、さすがは男の子だ!」
ふと柳刃が満面の笑顔でこちらを見ている事に気が付く、なんだその笑みは?
「会長さんは、子供好きなんですね、やっぱり、尊敬すべき会長さんです!」
こう言われた途端に何故か恥ずかしくなる。
「会長さんは、頬を赤く染めて、笑顔で秋人さんとお話していました。何だか、お母さんって感じを受けます。だから子供好きだと思いました」
「な! そ、そそそんな訳あるか! わたくしは、そんな……」
「照れなくてもいいですよ! 子供を好きな人に、悪者はいないとお母様が言ってました」
顔が熱い、なんだこの感覚は。まさか図星だとでも言うのか。
睨みをきかせたが柳刃は一向に笑顔をやめない。
「どうかしたの? 聖羅お姉ちゃん」
「な、なんでもないぞ! さ、さぁ、探すぞ!」
子供好きか、そう言われればそうなのかも知れないな。
小さな子供が無邪気に遊んでいる姿を見ると何だか心が和む。この感情が子供好きと決定的にしているじゃないか、まったく、わたくしは自分の事をあまり理解出来ていないらしい。
川上と手をつないで歩いていると、昔を思い出すな。
休息を終え再び捜索を再開しようと立ち上がると川上がじーっと、ある一点を注目していた。
「どうした川上?」
その瞳は涙であふれている。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんだ!」
そこには男の子が居た。汗まみれの身体、膝の部分は汚れ、血が少し流れていた。弟を探し回って、何度も転んだんだろう。
「秋人!」
「お兄ちゃん!」
二人が駆け寄り、弟は兄にしがみついた。力強くパン空くんのTシャツを握り締めていた。
「ばか秋人! 心配かけんな!」
「うぐ、ごめんなしゃい、お兄ちゃん」
良かったな川上。兄は弟の頭をなでて、無事を確認している。仲がいいんだな、この二人を見ているとあたたかな気持ちが湧き出て来る。
川上の兄がわたくし達に気付き駆け寄る。
「お姉さん達、秋人を助けてくれて、ありがとうございました!」
ほぅ、なかなか礼儀正しいな、気に入った。川上兄の名前を尋ねてみた。
「おれは川上夏輝、上にもう一人お姉ちゃんがいます……あれ?」
川上夏輝は柳刃の顔を見るなり、何かを思い出す素振りをする。しばらくして、どうやら何かを思い出した様だ。
「あの、もしかして柳刃さんですか?」
「え? ボクを知ってるんですか?」
「やっぱりそうだ。去年、剣道大会で優勝したんですよね? 俺達は決勝で戦った人の弟です」
「えっと、戦った人ですか? えっと……あ! もしかして、春菜さんの弟さん達なんですか?」
「春菜? 柳刃、戦った相手と知り合いなのか?」
「はい、川上春菜さん、ボクと同じクラスです!」
意外な繋がりだな。そう言えば、柳刃の学校生活はどんな感じなんだ? なんでも人の言う事を信じてしまうこいつがちゃんとやって行けているのか?
考えていたら心配になった、今度こっそりと覗いてみよう。
何はともあれようやく兄弟が再会出来て良かった。
「聖羅お姉ちゃん、黒髪のお姉ちゃん、ありがとう!」
「礼など無用だ。川上秋人、もう離れるなよ?」
「うん!」
二人はバイバイと手を振りながら帰って行った。騒がしい奴がいなくなると急に静かになったな。
「また、会いたいですね」
「そうだな。ん? 何かを忘れている気が……ああ! お見舞い!」
「忘れている事ですか? ……あ! ボクは本屋さんに行く途中でした!」
「まだ時間は大丈夫だな。柳刃、今回は世話になったな、礼を言う。わたくしは急いで行かないといけない、さよならだ!」
「はい、お役に立てて良かったです。それでは失礼します」
頭をぺこりと下げ柳刃は去って行った。
さて、花屋で買い物をして向かうか。
わたくしは買い物を済ませ、病院を目指し進む。しばらくして白い建物が見えて来る。
ここが目的の場所だ。
中に進み、目的の部屋の前にたどり着いた。ドアをノックして入室。
そこは個室、清潔な白いベッドの上にあの人がいる。
「お見舞いに来たよ!」
口調が変わる。この人の前でしか見せないわたくしの素顔とでも言うのかな? 大切な人、わたくしの大切な存在。
「ほら、お花を買って来たんだよ? 綺麗でしょ? わたくしが選んだんだよ? 今飾るね?」
ベッドの横に棚に青い花瓶が少ししおれた花を飾っている。それを取り換え、新しい花へと交換した。
「ねぇ聞いてよ、さっきね……」
迷子の子供にあった話をする。わたくしの顔は笑顔、ずっとわたくしは語り続ける。
返事をしてくれなくても。
ベッドの横に様々な機械が定期的な音を奏でながら、生きている事を知らせてくれる。
この人は眠っていた。
もう一年も。
ある事故で眠ったまま、目を覚まさない。わたくしは毎日、お見舞いに来ている。
だって、大好きだから。
一方的な話を返事をくれないのに語りかけた。そうしていればいつか返事を返してくれると信じている。
渇れることのない言葉を紡いでいると窓の外は暗くなり始めていた。
もう、帰らないと。
「それじゃ帰るね、また明日来るからね?」
病室のドアを開けて出て行こうとしたが、いつもの様に、名残惜しくなって振り返りもう一度言葉をかける。
「バイバイ……お兄ちゃん」
病室のドアが乾いた閉鎖音を奏でた。




