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第二十話 立ち向かう強さを

 

 まだ手が痛かった。

 暗闇の中、ボクは自分の手を見つめている。

 大切な人をこの手で叩いてしまった、お父様の話を聞きたくなくて。

「……ボクは最低です」

 かなめさんはボクを嫌いになって無かった、ボクの為に一生懸命で。それなのにどうして叩いてしまったのだろうか。

 かなめさんが置いていった封筒、お父様が書いた手紙。

 何が書いてあるのだろう。ボクをどう思っていたのだろうか。

 見てみたい。

 ――でも怖い。

 あの日の光景が今も脳裏に焼き付いて離れない。

 真っ黒な木刀を掲げたあの姿、思い出すだけで身体が震える。

「嫌だ、嫌です……」

 肩を抱きしめて震えを押さえようと力強く必死に掴む。

 怖い、怖いよ。

 果てしない暗闇に飲まれていく感覚は鳥肌を誘発し、どこまでもどこまでも落ちる。這い上がろうとも上には行けずに深淵へと引き摺り込まれて現実逃避に心を委ねる。

 もうこのまま大好きな彼にも会えない、そんな妄想に涙が伴う。

 ボクは、臆病者だ。

 絶望に立ち上がる勇気がなくなった頃、唐突に大好きな彼の顔が頭に浮かんで来た。

 さっきまでボクに一生懸命だった彼の姿が。

「……かなめさん」

 酷い事を言った。

 嫌だからと叩いてしまった。

 それなのに彼はボクに変わらない気持ちを伝えてくれたんだ、好きだと言う気持ちは変わらないって。

 封筒を見つめ、手を伸ばそうと努力する。でも、脳裏にあの日の光景が現れて身体を震えさせた。

 怖い、お父様の手紙を読むのが怖い。

 恐怖が頭を巡る中、さっき彼が言ってくれた言葉が再生を始める。『いい加減逃げるのは止めよう。お父さんから、何より自分自身から』自分自身からボクは逃げている、自分自身の恐怖を感じる心から逃げているんだ。

 ボクが何度も拒んだのに彼は逃げる事なく言い続けたじゃないか。

 逃げていた。お父様から、何よりも自分自身から。

 何が書いてあるかは分からない。怖いけど……でも、逃げていたらボクはこれから先、未来に進めない気がするから。

 立ち向かおう。そして、かなめさんに謝らなきゃ。

 ゆっくりと封筒に手を掛けた。

 封筒の中に数枚の紙があった。これには何が書いてあるのだろう。いざとなるとやはり怖い。でも、かなめさんが必死にこれをボクに届けたんだ。

 読まなきゃ。

 部屋の明かりを点け、静かに読み始めた。

『誠十郎へ手紙を書く。私は手紙を書くのは苦手だ。だから読み難いかもしれん。そこは了承してもらうと助かる。さて、何から書けば良いのか、悩みながら筆を持っている。書く事は悩む必要は無いのだろう。私が言いたい事を書けば良いのだ。もしかしたら読んで無いかもしれない。私は酷い親だったからな。それでも私は書かなければならない、

 今更かもしれない、それでも、それでも言わせてくれ。済まなかった。言い訳に聞こえるかもしれないが、柳刃家は由緒正しい剣の家柄だ。私の父からずっと言われ続けて来た、この家を守るのは義務だと。だから私は必死だった、柳刃家を守るのに必死だったのだ。その必死さが周りを見えなくしていたのだと思う。跡継ぎは男でなければならない。そんな理由で私はお前を傷つけた。

 身体にも、心にも深い傷を残してしまった。

 殴った日、私は血を流し震えるお前を見た時、今自分がした事を後悔した。家の為に娘を傷付けて、私は最低の人間だった。何をやっているんだと何度も自分を責めて夜は眠れなかった。次の日に謝ろうとお前に声を掛けたが身を縮めて震え、私の目を見ようとして無かった。改めて私がやってしまった事を実感させられたよ。

 数年、まともに話せず苦しかった。だがこんな苦しみに比べたら、私がお前にやってしまった事の方が何倍も苦しい。本当に済まなかった。許してもらえないかもしれない。それでも、私は謝るしかお前にしてやれない。

 この手紙は今病室で書いている。もう私も長くないだろう。私が癌になってしまったのは罰なのだろう。誠十郎、勝手なのは重々分かっているのだが、女の子として生きて欲しい。名前も変えても良い。本当に済まなかった、済まなかった』

 手紙を読み終えた。しばらく何も考えられなくて手紙を見つめるしか出来ない。これがお父様の気持ち。少し信じられなかったけど、確かにお父様の字だ。

 お父様はボクが嫌いなんだとずっと思っていた。

 でも、ずっと後悔していたんだ。それも何年も長い間。

 ボクはお父様の気持ちを理解してあげられなかった。最後の最後まで。

 柳刃家の為に努力し、悩んでいたんだ。お父様がやった事は許されないと思う。でも、何年も後悔して苦しんだんだ、お父様だって苦しかったんだ。

「……お父様」

 不意に遠い日を思い出す。あれはお父様が亡くなる寸前だった。

 衰弱し、抗癌剤の影響で髪の毛が抜け落ちてしまった姿。親戚の人達とお母様とボクが側にいた。はっきりしない意識の中でお父様はボクを見つめていたのを覚えてる。

 きっと、謝りたかったんだ。それなのにボクは視線を逸らしてしまった。

「あ、ああ……ボク、なんて事を……」

 最後まで理解してあげられなかったんだ。謝ろうとしていたのにボクは拒むばかりで殻に閉じこもって……。

 ごめんなさい。お父様の気持ちを分かってあげられなくてごめんなさい。

「ごめん、なさい……ごめんなさい」

 歪む視界。涙で濡れて周りが歪んでしまう。泣いた、泣き続けた。涙が涸れてしまうのではないかと言うぐらい。

 ボクは立上がり部屋を飛び出す、目指すはお父様の部屋。廊下を駆け、部屋に辿り着く。障子を開けるのを躊躇してしまう。

 今まで怖くて見る事すら出来なかったから。

 でも、弱い自分に立ち向かわなくては。かなめさんが教えてくれたんだ。

 逃げちゃダメだって。

 木刀を掲げたお父様の姿が脳裏に現れる、それを思い返す度に身体が震える。

 このまま逃げ出してしまいたい。怖い、怖い。

 ――逃げちゃダメだ。

 ボクは障子に手を掛けた。

 何年ぶりだろう、お父様の部屋に入るのは。部屋中に賞状がたくさん飾られていた。剣道大会で優勝したものがほとんどだ。

 部屋の奥には仏壇がある。位牌にはお父様の名前が。あの日のトラウマを不利払う様に頭を振り、それから進む。

 近付く事に心臓がドクン、ドクンと激しく鼓動。

 逃げちゃダメだ。ボクはお父様とちゃんと向き合わなくちゃ。

 そしてようやく辿り着き、座布団に正座した。

「……お、お父様、手紙を読みました。お父様は謝ろうとしてくれてたんですね……ボクはそれを知らずにただ拒むばかりで……お父様の気持ちを考えてあげられませんでした。ごめんなさい、ごめんなさい! ボク、自分が恥ずかしいです。お父様の事を考えてあげられなかった、目を合わせようともしなかった、あまつさえ……亡くなる最後までお父様に話しかけませんでした! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 何度も謝る。何度も、何度も。

 どれだけ謝っても、お父様はこの世にいない。それでも謝りたかった、自分の腑甲斐無さが許せなくて。

 そんな中、部屋にお母様が入って来た。今の話を聞いていたんだろう。

「……お母様、ボク、お父様の気持ちを考えてあげられませんでした。ボク、ボク……」

「誠ちゃん!」

 温かいぬくもりがボクを包む。それはお母様の温もり。

 駆け寄り抱き締められた。

「誠ちゃんだけが悪いんじゃ無いのよ、わたしもちゃんとあの人と話し合って誠ちゃんを普通に育てるべきだったのよ。ごめんなさい……でもお父様の気持ちを分かってくれてありがとう。お父様だけじゃない。わたしも、悪かったわ……誠ちゃんに辛い思いをさせてしまったんだから。ごめんなさい、ごめんなさい」

「お母様……」

 ボクも謝りながら泣いた。それぞれが過ちを認め、謝罪し合う。

 この日、ボクはお父様の気持ちを理解出来た。それは彼のおかげで。

 泣き合いながら時間が過ぎて行く。ようやく落ち着き、二人に笑顔が生まれ始める。

 これからをちゃんと進んで行こう。それを決意する笑み。

「お母様、ボク、まだやる事があります。かなめさんに謝らなきゃ」

「そうね。かなめくんのおかげで向き合えたんですものね……ねぇ誠ちゃん、女の子の服を来てみたら? きっとかなめくん喜ぶわ」

「女の子の……服」

 確かにそうかもしれない。今まで女の子らしい格好をかなめさんに見せた事が無い。

 制服や水着はあるけど、ちゃんとした服を見せて無い。

 でも、着られるだろうか。

 今まで女の子らしい格好をするとトラウマのせいで吐き気が。でも、かなめさんに見て欲しい。ボクの女の子らしい格好を。

「ボク、着ます! 頑張って着てみます。そして……かなめさんに謝るんです。謝って、次は感謝の言葉を伝えなきゃです」

「うん、そうね誠ちゃ……ああ! そう言いえば誠ちゃん、女の子らしい服持って無いでしょ? お姉ちゃん達はみんな持って行っちゃってるし……どうしようか? もう夜も深い。お店閉まっちゃってる」

「……そうだ、鈴ちゃんに頼んでみます! お母様、ボク電話して来ます!」

 部屋を飛び出し電話を目指す。

 自分の部屋に戻り携帯を取り出し、鈴ちゃんへとかける。

 すると直ぐに電話に出てくれた。

『せい? どうしたのこんな夜遅くに。それに二日も学校休んで……まぁそれはいいか。それで? どうしたのせい?』

「鈴ちゃん、ふ、服を……鈴ちゃんの服を貸して下さい! お願いです!」

『え……あたしの服って……わ、分かったわ、今から家に行くから!』

 今まで女の子の服を着た事の無いボクが夜遅くに服を貸してと言ったから、タダごとじゃ無いと察してくれたんだと思う。

 それから数分後、鈴ちゃんが来てくれた。ボクの部屋に案内して理由を話す。

「……そう、そんな事があってたの」

「はい。……ボク、やっとお父様と向き合えました。まだ恐怖は消えてませんけど、けど、少しずつそれを薄めて行きたい思ってます。かなめさんのおかげだから、だから女の子の服を来て、かなめさんに謝りに行きたいんです」

「そっか。……せい、実はあなたに謝らなければならない事があるの。あたしが後藤かなめにせいの過去を教えたわ。ごめん、ごめんなさい。まさかこんな事になってるなんて思いも寄らなかったから……ごめん、あたし、昔からダメだね。あたしがせいに女の子の服を着るなんて言わなかったら傷つく事は無かったのに……ごめんなさい」

 大粒の涙が地面に染み込む。鈴ちゃんが泣いている。

 ボクは鈴ちゃんを優しく抱き締めた。

「せ、い?」

「鈴ちゃんは何も悪くありません。ボク、本当に嬉しかったんですよ? 鈴ちゃんの様に可愛らしい格好が出来て……嬉しかった。あの日起こったのは決して鈴ちゃんのせいじゃないです。だから自分をもう責めないで。ボクはもう大丈夫ですから。今度は鈴ちゃんが楽になる番です。ボクは鈴ちゃんを恨んだ事なんて一度も無いです」

 過去を無かった事には出来ない。でも、それを教訓に過ちを繰り返さない事は出来るはず。

 前を見よう、より良い未来を目指して。

 しばらく鈴ちゃんは腕の中で泣いていた。もう自分を責めないで欲しい。

 ボクも逃げない。弱い自分から逃げないで戦うから。

「ありがとう、せい。あたしを許してくれてありがとう」

「ボク、最初から恨んでいませんでしたよ?」

「分かってる、分かってるけど、それでもありがとう……ぐすっ、ごめんね取り乱して。ほら、これ」

 鈴ちゃんが紙袋を差し出す。それを受け取り中身を見てみる。

 紙袋の中には水色のワンピースが入っていた。

「それで良かったかな? これはもしせいが服を着られる様になったらプレゼントしようとしていた奴なの。これあげるわ、それを着て……後藤かなめのところに行ってきなさい」

「ありがとうです。ボク、大切にします。本当にありがとう」

 笑顔で「頑張って」と言って鈴ちゃんは帰って行った。

 さあ、着よう。自分自身に勝つんだ。

 いざ着るとなるとやはり緊張してしまう。今までトラウマのせいで女の子の服を着ると吐き気が出てしまうから。過去の恐怖がそう言った形で表れてしまう身体。

 でも、ボクは逃げずにお父様と向き合ったんだ。だから、このトラウマを克服しなきゃ。

 服を脱ぎ捨て、青色のワンピースに挑む。

「くっ……はぁ、はぁ、大丈夫、大丈夫……ボクはもう逃げてばかりの女じゃない」

 意を決し、ワンピースに着替えた。

「……あれ? 吐き気が無い。無いです……普通に着られる」

 どうして? 今までならこんなに普通ではいられなかったのに。

 もしかして、お父様とちゃんと向き合えたから?

 それしか考えられない。ボクは変わったんだ。

 嬉しさが込み上げて来て、直ぐに鏡を覗き込む。

 鏡の世界には、女の子の柳刃誠十郎が笑っている。

 その身に青いワンピースを纏って。

 ――遠い記憶が蘇る。

 あの日、鈴ちゃんが着せてくれた服を食い入る様に見ていたんだ。

 あの時と同じ光景。でも、見せる相手が違う。

「行かなきゃ」

 部屋を飛び出す。目指すは大好きな彼の元へ。

 謝らなきゃ、ごめんなさいって。

 その前にお母様のところに行っておかなくちゃ。ボクがトラウマを克服出来た事を伝えなくちゃ。

 お母様の部屋に来た。襖をノックすると中からお母様の声が。それと同時に襖が開き、お母様が出て来てボクを見つめる。

「可愛いわ誠ちゃん。あなたは誰が見たって可愛い女の子よ……さ、行ってきなさい」

「はい、行って来ますお母様」

 こうして夜の世界へ駆け出す。

 暗い夜道をひたすらに走る。伝えなきゃ、謝罪と感謝を彼に。

 息が切れる。二日もの間、部屋に閉じこもっていたから体力が落ちたらしい。

 でも、そんなのどうだって良い。ボクは大切な人を傷つけてしまった。

 拒絶の言葉を言ってしまったんだ。謝らなきゃ。

 商店街を抜けた。もうすぐ彼の家に辿り着く。

「あれ? 柳刃ちゃん?」

 後ろから声を掛けられた。走りを止め、振り返るとそこにいたのはかなめさんのお姉様、後藤まりあがそこに。

 どうやら仕事帰りらしい。

「あ、まりあさん」

「どうしたのこんなところで? ……ふに? その格好……」

 驚いきながらボクを見ている。この格好で驚くって事はまさかまりあさんもボクの過去を知っているって事?

「まりあさん、もしかしてボクの過去を知ってるんですか?」

「ふに、えっと、その……」

 まりあさんが申し訳なさそうに何故知っているのか話してくれた。文化祭の保健室でボクが眠っていた時に鈴ちゃんから聞いたそうだ。

「ごめんなさい。嫌だったよね知られるの」

「もう良いんです。ボク、かなめさんのおかげでお父様と向き合えたんです。かなめさんにボクは酷い事を言ってしまったんです。だから、今から謝りに行くところなんです」

「そう。なら行こう、かなめちゃんと早く仲直りして……かなめちゃんを振り向かせる勝負をまたしよ! まりあは負けないからね!」

「ボクだって負けないです!」

 二人して笑い合う。さぁ、謝りに行こう。待ってて下さいかなめさん。

 まりあさんと二人で歩く。もうすぐかなめさんの家だ。

 もうすぐ……。

 突然だった。まりあさんの携帯が鳴り響く。

「ふに~? 誰から……あ、お母さんからだ。はいもしもし?」

 どうしてだろう。電話に出てからまりあさんの顔が厳しくなって行く。

 一体どうしたのだろうか。

「……嘘。お母さん、今言ったの嘘だよね? 何かの間違い……だよね? まりあ信じない、信じないもん!」

「まりあさん? 何かあったんですか?」

 おかしい。あんなに動揺したまりあさんを見るのは初めてだった。

 まりあさんは震える口で訳を話し出す。

「か、かなめ……ちゃんが……意識不明で救急車で病院に運び込まれたって……」

「……え?」

 何処かで何かが壊れる様な音が聞こえた気がする。ああそうか、ボクの心が悲鳴をあげたんだ。かなめさんが意識不明? 病院に運び込まれた? なんだそれは、なんて悪質な嘘だ。

 嘘に決まっている、だってこれから家に行ってかなめさんに謝るんだから。

 きっと、別人だよ、きっと、きっと……。

「う、嘘、嘘です!」

「ま、まりあだって嘘だって思うけど……だけど……とにかく家に急ごう。お父さんとお母さんが今から病院に行くみたいだから」

 そのまま走り出す。かなめさんに一体何があったの? だってさっきまでボクに逃げるなと教えてくれてたのに。嘘であってほしい。間違いであってほしい。かなめさんは無事だと言ってほしい。

 かなめさんの家が見えて来た。息を切らしながら近付いて行くと、家の前にめいさんが立っている。ボク達に気が付くとこっちに走りよって来た。

「姉さん! 早く! 今から病院に行くから!」

 めいさんの手が震えている。かなめさんが心配でそうなっているんだ。

 家から車が出て来た。運転しているのはかなめさんのお母様だ。助手席にはお父様が乗っている。

「あ、あの、ボクも連れて行ってくれませんか? お願いします!」

 するとみんなが了承してくれた。急いで車に乗り込み、夜道を進む。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」

 ブルブル震えながらめいさんがかなめさんを心配している。何度もお兄ちゃんと口にしながら。

 まりあさんはめいさんを抱き締めて一緒にかなめさんを思う。

「大丈夫だよ、かなめちゃんは大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫……」

 お父様とお母様達は無言だった。心配で緊張している顔だ。

 両手を胸の前で組み、ボクもかなめさんの無事を祈る。

 かなめさん、無事でいて下さい。ボク、まだ謝って無いんですよ。

 もう一度かなめさんと楽しい日々を取り戻したいんです。

「かなめさん、かなめさん、かなめさん……」

 怖い。両手から幸せが床に落ちてバラバラに。

 そんな不吉な事しか考えられないなんて。考えたくない、考えなくないよ。

 かなめさんが居なくなる事なんて。

 しばらくして車は病院に到着した。直ぐにドアを開けて走る、ただひたすらに。

 受付でかなめさんが居る場所を聞くと、今手術中らしい。急いでそこへ向かう。手術室へとやって来ると、そこに誰かが居る。男と女の人だ。ボク達に気が付いてこっちに近付く。

 女の人が話し出す。

「後藤かなめくんのご家族ですか? 私は浅倉と申します。こっちは田中、私達は警察の者です」

「一体息子に何があったんですか?」

 かなめさんのお父様が警察の人に事情を尋ねる。

 どうして警察の人がいるの? かなめさんに一体何が。

「えっとですね、どうも同じ学校の子と喧嘩をしていたらしいのですが、喧嘩相手がバットでかなめくんの頭を殴って逃亡してます。傷害の疑いで捜査しているんですがまだ見つかっていません」

 かなめさんが喧嘩? そんな馬鹿な。きっとその喧嘩に巻き込まれただけなんだ。

「喧嘩相手は秋津光一と言うんですが、何か知っている事はありませんか? どんな些細な事でも構いません」

「秋津光一……初めて聞く名前です。みんなは知っているか?」

 お父様の問い掛けだったがみんな知らないと言うばかり。

 ボクも聞いた事の無い名前だ。秋津光一、そいつがかなめさんに酷い事を。

 それからいろいろ質問に答え、かなめさんがどう言う状況下を訊く。

「医者の話では難しい手術らしいです。……では私達は失礼します。行くわよ田中」

「あ、待ってよ百合ちゃん!」

 警察の二人が行ってしまう。手術はまだ終わらないみたいだ。

 かなめさん、大丈夫ですよね?

「……とにかく待つしかない。ほら、みんなイスに座ろう」

「お父さん、大丈夫だよね、お兄ちゃん大丈夫だよね!?」

「大丈夫さ、だから手術が終わるのを待とう、めい」

 今にも泣きそうな顔だ。それだけかなめさんを心配している証拠。それから近くにあったイスに座り、待った。ただひたすらに。

 かなめさんにこの格好を見てもらいたかったのに。

 かなめさんに謝りたかったのに。

 かなめさんの笑顔が見たいだけだったのに。

 頭の中はかなめさんで埋め尽くされて行く。きっと大丈夫、だから信じて待つしかないんだ。

「ダメですよまだ動いちゃ!」 

 突然の声、後ろを見るとそこに看護師さんが包帯姿の誰かを心配していた。その人は壁に寄り掛かりながらこっちに近付いて来る。

 身体中傷だらけ、服もボロボロ。包帯だらけだったけど、金髪のツンツン頭が印象的だ。あの人は確か同じ学校の人。そうだ、かなめさんの知り合いだったはず。名前は確か……霧島零。

「ぐっ……くっ」

 今にも倒れてしまいそうなほどフラフラだ。それでも近付いて来る。

 近付いて来たのに気が付いてみんなで霧島零を見つめる。

「あら? あなたは零くんじゃない?」

「え? かなめさんのお母様、この人を知ってるんですか?」

「ええ、かなが小学校の頃、仲良しだった子よ。良く家に遊びに来ていたのに中学になってから遊びに来なくなったけど……もしかして、かなの事何か知ってるの? 零くん」

 すると霧島零は床に倒れる様にしゃがみ、土下座して言葉を放った。

「すいませんでした! オレがかなめを巻き込んだんです! ぐっ……痛っ、す、すいませんでした!」

 霧島零は目に涙を浮かべ、謝罪の言葉を紡ぐ。

「一体何があったの? 詳しく話してくれない?」

 お母様がそう問い掛けると、語り始めた。霧島零が上級生と喧嘩をしていたところにかなめさんが助けに入った。その上級生が秋津光一。彼はバットでかなめさんの頭を殴り、そのまま逃げているらしい。

 意識が無くなったかなめさんを担いで運んで来たのは霧島零だ。警察に事情を話したのも彼だった。

「そう。……かならしいね」

「うん、かなめちゃんらしい。目の前で苦しんでいる人を見逃せない」

「お兄ちゃんは自分の信念を貫いたんだ……」

「そこはかなめを褒めるべきだが……」

 悲しそうで、辛そうに後藤家全員が手術室を見つめている。

 少しして、かなめさんのお父様が霧島零に近付いて行く。

「顔を上げてくれないか霧島くん。君だけが悪い訳じゃない。それに君はかなめを病院に連れて来てくれたじゃないか、そんな身体で。かなめは大丈夫だから、だからもう頭を下げないでほしい」

「……はい、本当にすいませんでした」

 看護師さんが霧島零を連れて行く。誰かの肩を借りないと歩けないくらいボロボロな身体なのに、かなめさんを病院まで。

 どれだけ申し訳なかったかは、彼の涙が表してくれてた。

 彼を責める人はここにいなかった。責めて何になる? もう起こってしまった事、今出来るのはただ信じて待つだけ。

 残酷だけど、それしか出来る事は無い。

 かなめさん、ボク、信じて待っています。ずっと待ってます。

 かなめさんがまた笑顔になってくれる時を夢見ながら。



 数時間後、かなめさんの手術は無事終了したのだが、まだ油断ならない状態なので面会は出来なかった。

 ボクの謝罪はかなわない。

 もう夜中、かなめさんのお父様が家まで送ってくれると言ってくれた。

 本当はずっと居たかった。でも、こんなに遅いときっとお母様が心配しているはず。

 だから帰る事にした。

 車の中は無言、静かで車のエンジン音しか聞こえない。

 家に付く。車から降りて力無く歩く。

 通り過ぎて行く車を見送りながら、寂しさを覚える。

 そして嫌なビジョン。あのままかなめさんが何処か遠くへ行く悪夢。

 完全に車は視界から消えた。どうして車とかなめさんをダブらせてしまったんだろう。

 嫌な想像だ。

 無事に手術は終わったじゃないか、終わったんだよ。

 でも、胸に穴が開いた様な寂しさは今もその穴に風を通していた。


 

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