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シリーズ日常会話。

なんてことない日常会話。5  蔵書編

作者: かすみづき

 扉と窓以外の壁にみっしりと棚が備え付けられた洋間で、段ボール箱に囲まれて作業している少年が居る。開かれた箱のひとつに小柄な上半身を突っ込んでごそごそとやっていたかと思うと、あ、と小さく呟いて顔を上げた。


「伯爵ー、さっきの続きこっちにあったー」


 一冊の本を手に振り返りながらそう声を上げると、その視線の先で棚に本を納めていた人物が振り返る。


「さっき、というと」


 どれでしたっけ、と小さく首を傾げたのは、欧州系の顔立ちをした背の高い青年だ。腰まで伸びた癖のない長髪は真っ白で、薄く色の付いた眼鏡を掛けている。それっぽいからという理由にもならない理由で、少年から伯爵と呼ばれている彼は、現在二人が居る洋館の主である。


「あれだよ。『探偵安楽椅子』シリーズの、椅子に推理が務まるか編」


「ああ、それですか。論破編はありませんでした?」


「待って、探してみる」


 少年は手に持った本を絨毯の上に置き、再び段ボール箱をごそごそと探りだす。


「そもそも、これ何巻まであるの?」


 探しながら話しかけると、伯爵の方も右手に十冊ほど抱えた本を棚へと並べながら答えていく。


「結構長いですよ。えーと確か、事件編・登場編・推理編・反論編・激論編・論破編・椅子に推理が務まるか編・犯人は認めない編・逆点じゃない逆転だ編・椅子は真犯人を認めるか編……」


「多いなっていうか、後半のタイトルおかしくない?」


「ええ、まあ。何しろ安楽椅子が探偵役の小説ですから」


「え、安楽椅子探偵の倒置法とかじゃないんだ!?」


 予想外の事だったらしく、少年は先ほど自身が床に置いた本をまじまじと見つめた。


「そうですね。激論編辺りになると事件そっちのけで、椅子の推理が司法の場で有効なのかに争点を置いた法廷サスペンスになっていきます」


「それは果たして法廷サスペンスなのか激しく疑問だけど、じゃあそれまでは?」


 目当ての本は見付からないらしく、少年は段ボール箱から本を取り出しては次々と棚へ納めて行く。


「推理小説ですよ。事件が起こって探偵がそれを調べる、オーソドックスな探偵ものです」


「でも探偵は椅子なんだよね?」


「ええ。ですけど謎の部分はとてもしっかり作り込まれていますよ」


「気になるなぁ。今度借りてって良い?」


「どうぞ。人間ドラマも素晴らしいですよ」


「主人公椅子だけどね。あ」


「どうしました?」


 少年の視線は、新たに開けた段ボール箱の中へと向かっていた。


「続きあったんだけどさ」


「はい」


「椅子編、だって」


「ああ、最新巻ですね」


「最終巻じゃなくて?」


「以下続刊です」


「完結してなかった! ほんとに何巻あるの!?」


「さあ、百は行ってないと思うんですけど」


「本気で長いね!?」


「長いですよ。激論編まではこちらにありますから、まだまだ出てくる筈です」


 伯爵のその言葉に、洋間の床に所狭しと置かれた段ボール箱の群れに目を向ける。その中身は全て伯爵の蔵書だというのだから恐れ入る。

 この惨状を目にした時、少年は「うちのクラスで机バリケード作った時がこんな感じだった」と表した。洋間の広さと箱の数が、少年の教室と机の数を彷彿とさせたらしい。伯爵は机バリケードを作るに至った経緯が気になったが、少年の遠くを見る目に気付き、詳しく訊きはしなかった。


「じゃあそっちじゃなくて、あっちのまだまだ広いスペースに置いて行こうよ。絶対そこじゃ入りきらないって」


 今まで出てきた『探偵安楽椅子』シリーズは伯爵の居る壁際の棚に置かれているが、あと十数冊程度しかスペースが空いていない。百は無いという事は、少なくとも二、三十冊ではきかない量が出てくるだろうシリーズ本を納めるのは無理だろう。


「そうですね。激論編ってシリーズ五冊目ですから」


「序盤だね」


「ですけどクライマックスですよ。探偵と犯人が一対一で対話するんです」


「椅子なのに!?」


「これ以上は、読んでからのお楽しみです」


 人差し指を立てて唇にあてた伯爵が、うっすらと微笑んで少年に告げる。


「ものすっごく気になるね! あ、裁判長は座らない編が出てきた」


「ああ、法廷を後にした探偵が」


「法廷編終わってる!? いや待って、言わないで。気になりすぎるからもう何も情報は言わないで!」


「分かりました。ところでユカリ君」


「今度は何!?」


「そろそろ休憩しませんか?」


 その時館のどこかで三回、ボーンと低い音が鳴った。

 時刻は丁度、午後三時。




 * * *




「ユカリ君は、図書館司書とか向いてそうですよね」


 洋間を出てリビングルームへと移動すると、伯爵の手によりアップルパイと紅茶が振る舞われた。伯爵自身もずっと本の整理をしていた筈なのだが、一体いつの間に用意していたのか。謎である。

 まだ熱々のパイをかじると、生地はサクサクで中のリンゴはしっとりと甘かった。一緒に出されたストレートティーはすっきりした後味で、絶妙の取り合わせだなと、食に拘りのないゆかりでも思った。

 そんな休憩の一時に、伯爵が言ったのが先ほどの一言だ。


「いや、伯爵が気にしなさすぎなんだよ」


 そもそも伯爵の蔵書をなぜ縁が片付けているのかといえば、それは彼が本好きだから、としか言いようがない。


「せっかく広い書斎があるのに、箱に詰めたまま放置とか」


 先ほどまで二人が居た洋間の話だ。

 書斎とは名ばかりのまるで在庫置き場のような部屋の存在を知り、その現状に耐えかねた縁が本の整理を申し出た。さすがに任せっ放しにはできないと伯爵も一緒に片付けを開始したのだが、本を棚に並べるだけでも一苦労である事が判明。そもそもが入手順に棚に放り込んであっただけの本達を、引っ越しの際サイズ別に適当に箱に詰めたそのままの状態なんだそうで、著者もシリーズも見事なまでにバラバラになってしまっていた。中にはさきほど話題に上ったように百冊近いシリーズも点在していると言うのだから、正直言って笑えない。

 本の置き場に困った挙げ句、自室に平積みタワーを量産している縁からすれば、伯爵の書斎の現状はもったいないとしか言いようがなかった。


「何の本があるか分かっていれば良いんですよ」


 それが伯爵の言い分で、実際彼は持っている本をきちんと把握しているようではあるのだが。


「何があるか分かってても、どこにあるか分かってないなら意味は半減だよね」


 以前縁がとある本を探していた時、持っているから貸そうと言ってくれたが、伯爵がその本を見付けるよりも、近所の図書館でリクエストが叶えられる方が早かったという事があった。


「必要な時に必要な本がすぐ出せないと、伯爵だって不便じゃないの?」


 伯爵は翻訳家である。色々と参考文献などが必要な場面も多そうなものだが。


「仕事で使う本は仕事部屋に置いてありますから。あの部屋にあるのは献本か、趣味で買った読み物ばかりなので」


 大丈夫ですよ、とほわりと笑って紅茶の入ったカップを傾ける伯爵だが、縁にとっては読みたい本がすぐ出せない状況が平気というのがもう分からない。だが周囲から本の虫だ活字中毒だとよく言われる為、自分の本に対する姿勢が世間の平均ではないという自覚が、縁にはあった。


「伯爵がそれで良いなら、まぁ良いけどさ」


 その自覚が、それ以上突っかかるのを思い止まらせた。


「話を戻すけどさ、僕に図書館司書は多分無理だと思う」


「おや、どうしてです?」


 こてりと首を傾げて、不思議そうに伯爵が言った。

 図書館司書とは、図書館における資料のスペシャリストの事であり、当然大量の図書に接する仕事だ。本好きなら、本に囲まれた仕事場は本望なのではと思ったのだろう。

 だが縁に言わせれば、そんなものは幻想だ。


「手当たり次第に読み始めちゃって、仕事とかできる気がしない」


「なるほど」


 仕事そっちのけで資料を読み耽る司書など司書ではない。

 そこに本があれば読んでしまう縁には、図書館勤務など想像だけで無理と分かる話だった。

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