歪んだ兄妹
「ここがフランス。その上にあるのが今僕らがいるイギリスで、フランスの右にあるのがドイツなんだよ」
「すごいすごい! お兄ちゃん物知りだね!」
肩を寄せあってボロボロな地図を広げる小さな兄妹。二人を強く打ち付ける風は徐々に強くなりつつある夕暮れ時で、大勢の人が大通りを行き来し、馬車に変わる大きな音を立てて走る車を走らせる。
その二人の兄妹が纏っている衣服はぎりぎり衣服と分かる程度で、ボロ布と見分けがつかないほどだ。そんな二人が座って嬉しそうに話し合っている場所を、大人たちは一度も見ない。時々気づかずに蹴ってしまうが、彼らに気付いた瞬間、ゴミをみるような視線を投げつけて、早々に立ち去って行ってしまう。全員が同じ反応というわけでもなく、その場で明らかに彼らが纏っている服よりも綺麗な布で、しっかりと履いている革靴を、みせつけるかのように拭きとる者もいた。そんな境遇に立たされてなお、この二人は笑みを浮かべていた。
「ユーミットお兄ちゃん! 今日ってあれなんだよね? イエス様が生まれた日なんだよね?」
「そうだよ、ネリィ。こうやって、彼らが僕らを見捨てるという行為も全部、神様はみているからね」
少しずれた解答を提示するユーミット。その笑みに何が含まれているのかは分からないが、とにかく物知りとしか思っていないネリィは、嬉しそうに笑う。
「世界は残酷だけど、美しい」
地図をたたみながらユーミットは呟く。
「ねえ、ネリィ。ネリィは何の色が好きなの?」
「え? うーん……」
なんだろう、と考え込みながら大通りに目を向けると、ネリィの目に一人の年配の女性が目に映った。真紅のドレスを着飾り、これからどこかの舞踏会に出席するのだろう。その姿がまだ幼いネリィにとってとても綺麗に映ったのだ。
「そっか。僕もだよ」
「いっしょ?」
「そう、いっしょ」
「いっしょ! いっしょだね、お兄ちゃん!」
「うん。そうだ、一つのお花を咲かしてあげる」
そう言ってユーミットは十字に手を切ると、目を閉じて神に数秒祈る。そしてそのままスッと立ち上がると、とある物を腰から取り出して、大通りへと歩いて行った。
人が右から左、もしくは左から右へ。人が横断していく中、ただ真ん中を通れば何が起こるかたやすい。ユーミットは一人の男性にぶつかった。
「おい、クソガキ。……本当にクソガキだな! なにぶつかってんだよ、この泥鼠が!」
「……ふっ」
ストリートチルドレンの蔑称、泥鼠。汚く、不衛生で、一日に何千と増え続けている。そのため、このような蔑称がついたのだ。
しかし、ユーミットは小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。すると、男性は怒りで顔を真赤に染めた。
「てめ……あ、え?」
スパッと切れる感覚が喉に走ったと思った同時に、男性の目の前で赤い液体が噴き出してくるのが見えた。
「なん、だこれ……」
そう呟くも、すぐに彼は事切れて前のめりに倒れこんだ。
その場に立っていたのは、ユーミット。鈍く太陽の光を乱反射させた銀色のナイフを、振りぬいた形で持っていたのだ。
「…………もっとだ」
誰かの悲鳴が響くが、それを無視して素早く、今度は近くにいた少し若い少女に向って、腹を切り裂き、喉を割く。血が吹き出す。近くの人に近づく、喉を裂く。それの繰り返し。老若男女問わず、ユーミットは殺し続けた。ただ、二人だけ、ユーミットとネリィと同じ身長の人だけは、後ろから首を突き刺して血をほとんど吹き出さないようにしたが。
「ネリィ、おいで」
暫く、三〇人は殺したあと誰もいなくなった大通りで、ネリィを呼ぶ。
「お兄ちゃん……」
顔が見えないように俯きながらとことことやってきたネリィに、すでに衣服を剥ぎとって血糊がついた服から着替えていたユーミットが抱きかかえる。すると、しっかりとその表情を見ることが出来た。
「……お兄ちゃん、すごいね!!」
喜色満面とユーミットを強く抱きしめ返す。
「人がバッタバッタって! バッタバッタって!」
「僕らも人間だけどね。人間はひとそれぞれ役目を持っている。それは簡単に言うと、良いことをすること。でも、彼らは僕らをみてただ暴言を吐いてくるだけだよね? だったら、彼らに罰を与えるのはだれだい?」
「お兄ちゃん!」
笑顔のまま答えたネリィ。
「そうだよ」
そう微笑み返すユーミット。
もしここに第三者がいれば、ユーミットの笑みがとても狂気を帯びていたことがわかっただろう。しかし、そこには泥鼠と食い散らかされた|エサ(人間)のみ。
そして、二人はそっと路地裏に消えた。
その後、同じような事件が何件も起き、彼らの目撃証言からこう呼ばれるようになった。
“壊れた兄妹”
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