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いつの間にか晴れ渡った空のもと、特別教室棟の屋上には、ガーデンチェアーに腰かけた四人の姿があった。
それはもちろん、わたしとゆりかごさん、優季くん、そして小百合さんだ。
全員が腰を落ち着け、改めて紅茶が用意されたあと。
そよぎさんは、そよ風のような穏やかな声で喋り始めた。
――吐息さん……息吹さんのお母さんは、あたしと心を通じ合わせていたの。
わたしたちは黙って耳を傾ける。
そう、わたしたち。
わたしだけでなく、ゆりかごさんと優季くんと小百合さんにも、そよぎさんの声は聞こえているようだった。
どうやら、頭の中に語りかける範囲をある程度広げることも可能らしい。
――つまりね、吐息さんはあたしが選んだ人間だったのよ。息吹さんの前に、ね。
だからこそ、お母さんはわたしの手を引きながら、あなたは神様だから頑張らなくてはいけない、と言って、質問を繰り返しては答えさせ、選択肢能力を訓練していた。
そよぎさんはそう語った。
――小百合さんたち三人は、神々の派閥のうちのひとつ、そよ風連合のメンバーよ。さらに吐息さんも、同じ連合メンバーのひとりだったの。
「ですが吐息さんは、亡くなってしまった……。それによって連合からは除名扱いになっていたの~」
小百合さんがそよぎさんの言葉を継ぐようにつぶやいた。
「連合のメンバーは普通、十五歳になったら、親から役目を受け継ぐらしいんだ」
「ですから、わたくしも優季さんも、すでに役目を継いでいましたの。小百合さんはお子さんがいらっしゃらないので、継続しておりますが」
優季くんとゆりかごさんも、説明を加えてくれる。
――息吹さんをどうするかは、連合でも意見が分かれていたの。吐息さんは除名されていたけど、娘である息吹さんがすでに十五歳になっていた。これを機に復帰させてもいいんじゃないかって。
「それで今回、再加入のためのテストが実施されることになった、というわけなのよ~」
「騙してしまうような形で、心苦しかったけどね」
優季くんはわたしに向けて困ったような苦笑を浮かべていた。
そっか……。やっぱり優季くんは、わたしのことなんて……。
沈んだ表情になったわたしに、ゆりかごさんが優しく話しかけてくれる。
「優季さんは、息吹さんの親戚にあたる人なんですのよ? あなたのお父さん――爽時さんの弟さんが、優季くんのお父さんなのですわ」
「え? そうなの……?」
全然知らなかった……。
小さい頃から、親戚づき合いとか、まったくなかったし……。
「だけど、そうするとやっぱり、わたしは……」
優季くんと、おつき合いするとか、そういう対象ではないってことよね……。
そんなわたしの考えは、思いっきり顔に出てしまっていたのだろう。
ゆりかごさんが、にやりと笑いながら言い放った。
「でも、いとこ、ということになりますから、結婚だってできるんですわよ?」
「け……!?」
結婚って! そそそそそ、そこまで考えてなんて……!
慌てて真っ赤になるわたしを、ゆりかごさんは面白そうに指差しながら、おなかを抱えて笑っていた。
ゆりかごさんの笑い声が消えると、不意に小百合さんがポツリとつぶやいた。
「吐息さんは、ちょっと変わった人だったわ~」
そして、どこか遠くを眺めるような瞳を青く澄み渡った空へと向ける。
「吐息さんはわたしと一緒に藤星女学園に通っていたお嬢様だったの~。
学生だった当時、吐息さんと一緒にお散歩していたときだったかしら、春雨高校の生徒だった爽時さんと偶然知り合って、それからずっと仲よくしていたわ~。
吐息さんと同じように、実はわたしも爽時さんに惹かれていたの~。ふふっ、爽時さんは、優季くんとそっくりだったのよ~。優しそうな笑顔が、とってもまぶしかったわ~。
でも、爽時さんが選んだのは吐息さんだった。高等部を卒業したあと、吐息さんは家族の反対を押し切って、爽時さんと結婚したの~。
裏切り者、なんて思いがないわけではなかったわ~。でもね、わたしは吐息さんのことを恨んでなんていないわよ~。あの子は――吐息さんは幸せそうに笑っていたから……。
それからしばらくして、わたしも今の夫と知り合って幸せになったの~。吐息さんを羨ましく思っていた気持ちにも、終止符を打てた瞬間だったわ~」
いつもどおりの、やけにのんびりとした口調で、小百合さんは長い長い思い出の時間を噛みしめるように語ってくれた。
「小百合さん……。さっき、お母さんのことをずっと恨んでたとか、いまいましいとかって言ってたのは……」
「もちろん演技よ~。吐息さんとわたしは、とっても仲よしだったわ~」
しれっと答える小百合さん。
それでも、にこっと咲かせた小百合さんの笑顔は、わたしの心を温かく包み込んでくれた。
「あっ、それじゃあ、お父さんとお母さんの事故は……」
「わたしが起こしたわけじゃないわ~。そんなこと、できないもの~。隣を走っていた大型トラックのタイヤがパンクして、巻き込まれる形で起きた悲しい交通事故だったみたいね~。ただ、わたしが息吹さんを預かったせいで、ふたりで出かけることになったのだから、責任を感じる部分はあるけれど……」
わたしの言葉に答え、小百合さんは目を伏せてしまう。
「そ……そんなの小百合さんのせいじゃないです! 責任を感じる必要なんて全然ないですよ!」
慌てて取り繕うわたしに、小百合さんは小さく、ありがとうとだけ言葉を返してくれた。
小百合さんの気持ちが落ち着くまで少し待ってから、そよぎさんを筆頭とするそよ風連合メンバーの一同は、さらに説明を続けた。
全世界規模のウィルスというのは、実はまったくのでたらめだった。
とはいえ、一応神であるそよぎさんたちは、学園内程度の範囲にならば力を及ぼせる。
――あたしってば神様だからね、これでも。うふふ、思う存分敬いなさい!
なんて言っているそよぎさんは、すっぱりと無視させてもらったけど。
とにかく、そうやって学園内を暗雲で覆い尽くし、生徒たちの精神にも影響を与え、舞台を整えた。
学園にたどり着くまでは、そよぎさんが力を使って、わたしに幻覚を見せていた。
登校してくる途中に誰も人が通らなかったり、学園を暗雲が覆っているように見えたりしたのも、その幻覚によるものだ。
実際には、外から学園を見ても普段どおりの風景にしか見えず、騒ぎになったりもしていないようだ。
お嬢様たちが地べたに寝っ転がっていたのは、起きたまま夢を見させているような感じだったらしい。
あんな状態ではあったけど、記憶にも残らないから心配はいらないと、そよぎさんは言いきった。
どう考えても制服とかが汚れていると思うし、ホントに大丈夫なのかな……?
それから、ゆりかごさんが見せてくれたケータイの映像は、そよぎさんの力で映し出した架空の映像だったという。
――今どきの神様は、ハイテク機器にも精通しているのよ。神様の力ってのは、すごいんだから!
と胸を張った様子で言っていたけど、それならもっとスマートなやり方でわたしをテストしてもよかったんじゃ、と思わなくもない。
スマートじゃないやり方といえば、優季くんと渡り廊下で言い合いをしていたときの爆発も、ひどかったと思う。
あれもどうやら、そよぎさんの力によるものだったらしい。
――もしあそこで抱き合ってラブラブ状態になったりしたら、テストもへったくれもなくなっちゃうでしょ?
そんなことを平然と言い放つそよぎさんではあったけど、そのせいで顔にすり傷ができたとゆりかごさんから文句を言われると、素直に謝っていた。
神様なのに、ゆりかごさんには敵わないのかも。そよぎさん、ちょっと可愛い。なんて考えたら、思わず笑みがこぼれた。
それはともかく。
神々の覇権争いがどうのこうのという話自体は、どうやら嘘ではなかったようだ。
――神様の世界ってのも、なかなか面倒なものでね。上手く力関係の均衡を保つ必要があるの。だからね、息吹さん。あなたの力が、あたしたちの連合には必要なのよ。
「う~ん、なんていうか、仕方ないけど人手が足りないから、除名されてるわたしを復帰させよう、みたいなノリにも思えるんだけど。……気のせいかなぁ?」
わたしのつぶやきに、なぜだか誰も答えてくれなかった。
――と……とにかく、これからもお願いね!
「……うん」
ちょっと納得のいかない部分はありつつも、わたしは頷く。
「それでは、こう言うべきかしらねぇ~?」
小百合さんが場を締めくくるようにガーデンチェアーから立ち上がると、こう言った。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
空の上から見守ってくれているお母さんの意思が、わたしの口を通じて滑り出していったような、そんな気がした。