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その瞬間、わたしは思い出した。
幼い日、お母さんと交わした、あの約束を。
「勝つんですよ! 未来のために!」
「うん、わたし、まけない! ぜったい、かつ!」
もしかしたらお母さんは、わたしにこういう事態が訪れることを知っていたのかもしれない。
神様であるそよぎさんがわたしに与えてくれた能力は、選択肢が視えるというもの。
お母さんはおそらく、そうなることもわかっていたのだろう。
だからこそ、小さなわたしと手をつなぎ、いろいろと質問して選ばせていたのだ。
神々の戦いで能力を存分に使えるための訓練として……。
キッ……と、決意を込めた鋭い視線を小百合さんに向ける。
今まで見たこともないわたしの迫力に、小百合さんはどうやら戸惑っているようだ。
「あ……あら、反抗的な目つきですわねぇ~?」
「お母さんとの約束だから……。わたしは、絶対に負けません!」
力強く言い放つわたしに、小百合さんは明らかな不快感を表す。
一歩一歩踏み出されていた彼女の足も、無意識にだろうか、いつの間にか止まっていた。
「いまいましいですわねぇ~、あの女……。死んでもなお、わたしの邪魔立てをしてくるなんて~……」
苦々しく吐き出されたその言葉に、わたしはショックを隠せない。
「さ……小百合さん……! 小百合さんはお母さんの親友だったんじゃないの!?」
わたしの悲痛な叫び声を浴びた小百合さんは、ふっ……と哀れみのような視線を向けてくる。
「親友~? ふふっ、わたしはあの女を、ずっと恨んでいたのよ~?」
小百合さんの艶やかな唇が開かれるたびに、わたしの心はズタズタに引き裂かれてゆく。
お母さんのことを――親友だったと聞いていたお母さんを、あの女呼ばわり。
憎しみをありありと浮かべた般若のような形相の小百合さんを見れば、恨んでいたというのが嘘や偽りでないことは明らかだと思えた。
ズキズキと痛む胸を右手で押さえるわたしに、小百合さんはさらなる衝撃をぶつける。
「わたしから爽時さんを奪った、あの女を……!」
えっ……!?
疑問も質問も詰問も、いや、どんな言葉でさえも、わたしの口からこぼれ落ちることはなかった。
どういう……こと……?
頭の中でゆっくりゆっくり考えてみる。
爽時……というのは、わたしの本当のお父さんだ。
つまり、本当のお母さんと結婚して、わたしを育ててくれた人ということになる。
小百合さんはお母さんと学生時代からの親友で……。
お父さんを、お母さんが、小百合さんから、奪った……?
でも……でも……小百合さんには今、旦那さんが……幸人さんがいるじゃない。
忙しくてすれ違いも多いみたいではあったけど、幸せそうだとずっと思っていた。
それに、お父さんとお母さんが交通事故で死んでしまったあと、わたしを引き取って育ててくれたのに……。
小百合さんがお母さんを、ずっと恨んでいたのなら、どうしてそんなことを……?
――もしかしたら、タイミングさえあれば、息吹さんを亡き者にしようと考えていたのかもしれないわね。
そよぎさんがわたしの思考に割り込んでくる。
ズキズキズキ。胸が痛み続ける。
――それどころか……もしかしたら、あなたの両親の事故に小百合さんが関与していた、なんてことだってあるかもしれないわ。
少々遠慮がちにではあったけど、そよぎさんは苦々しい声を響かせる。
そ……そんな……ありえない……!
とは思うものの、すべてを否定しきれるような状況でもないだろう。
現に今、小百合さんはわたしの目の前で、憎々しげな鋭い瞳を向けているのだから……。
「お母さんの事故……」
わたしは思わずつぶやきを漏らしてしまっていた。
小百合さんはわたしに冷たい視線を向ける。
途中で止めはしたけど、わたしの考えていることは伝わってしまったのだろう。
「……あらあら、あの交通事故もわたしが起こしたのかって訊きたいのね~? ふふっ、さて、それはどうかしらねぇ~?」
にやりと、冷めた微笑みをこぼす小百合さん。
否定してほしかったのに……小百合さんは曖昧に言葉を濁しただけだった。
やっぱり、そういうことなの……?
両足がガクガクと震え、今にも倒れてしまいそうなわたしの姿を目にしても、小百合さんはいつもような優しい笑顔を見せてくれはしなかった。
「……ともかく、神の力を得たわたしたちのような人間が、すべてを支配するのは当然の権利なのよ~!」
小百合さんは大きくそう叫びながら、でもなぜか、一歩その身を退ける。
「作戦変更です。さあ、ふたりとも~、息吹さんにすべての力をぶつけて、黙らせてあげなさい!」
号令を聞くやいなや……いや、状況を見て予測していたのだろう、号令と同時、もしかしたらそれよりも早く、ゆりかごさんと優季くんが飛びかかってきた。
友達であるはずの、わたしに向かって!
――わっ、これはヤバいわ! ふたりとも、全力をぶち込んでくる気よ! 息吹さん、どうするの!?
そよぎさんも慌てた声を上げる。
だけど、どうしたらいいっていうの!?
飛びかかってくるふたりの姿は、尋常でないほどのパワーを溜め込んでいるのか、ビカビカと光り輝き、薄暗い暗雲の垂れ込める屋上を照らし出しているように見えた。
おろおろするだけのわたしを奮い立たせるように、そよぎさんのさらなる大声が響く。
――あんなのを食らったら、確実に死んでしまうわ! 死なないためには、力を跳ね返すしかないっ!
で……でも、そんなことをしたら……。
わたしの嫌な想像は、的確に真実を捉えていた。
――ええ、ふたりが……死ぬわ!
ゆりかごさんと優季くんが、死ぬ……?
すぐには理解することができなかった。
いや、理解したくなかった。
ふたりが飛びかかり、わたしに力をぶつけてくるまでの時間は、ほんの一瞬でしかなかったはずだ。
だけどその時間は、わたしにはスローモーションがかかっているように感じられた。
とはいえ、時間が止まることはない。
どんなに一生懸命願っても、残酷に過ぎ去ってゆく。
ゆりかごさんと優季くんの姿は、もうすぐ目の前にまで迫っていた。
刹那、頭の中に選択肢が浮かび上がる。
『力を跳ね返して、ふたりを吹き飛ばす』
『観念して、自分が犠牲になる』
――息吹さん、早く!
選択を急かすそよぎさんの声が、わたしの脳裏いっぱいに広がった。