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「ふふふ。そう、お察しのとおり、わたくしも優季さんや息吹さんと同じ、神様に選ばれた人間なのですわ」
わたしの両手を握ったまま、ゆりかごさんはそう言い放った。
やっぱり……そうなんだ……。
絶望感がわたしの心を支配する。
それじゃあ、ゆりかごさんとも、戦わなきゃいけないってこと?
――そういうことに……、
「そういうことになりますわね」
わたしの思考を読んで答えを返そうとしたそよぎさんの声を遮るように、ゆりかごさん本人が答える。
「え?」
思わずきょとんと、ゆりかごさんを見つめてしまう。
だってわたしは、声に出して言ったつもりはなかったから……。
「ふふふ、そんなに熱烈に見つめられては、わたくし、照れてしまいますわ。ポッ」
ゆりかごさんは、そうやっておどけてみせる。
だけどすぐに、ふっ……と、軽く笑い声をこぼし、語り始めた。
「ふざけるのはここまでにしましょうか。教えて差し上げます。わたくし、左手で触れた人の考えていることが、手に取るようにわかりますの。それが、神様から与えられた力ですわ」
言いながら、ゆりかごさんは左手にわずかに力を込める。
込められた力は、わたしの右手が、彼女の温もりとともに受け止める。
にこっ。
不意に――。
ゆりかごさんは普段どおりの、温かい笑みを浮かべる。
少なくともわたしにはそう見えた。
ともあれ、それは偽りの笑みだった。
今度は反対の手に、力が込められる。
さっきと同じように、わたしの左手が、それを受け止め……。
――だ……ダメっ!
そよぎさんの悲鳴のような声が、耳の奥で鳴り響いたような、そうでないような……。
いつの間にか、わたしの頭は、なんだかぼーっと呆けたような状態になっていた。
「そして右手で触れていれば、その人の思考を誘導できますの」
ゆりかごさんの声が、わたしの頭の中で温かな響きを奏でる。
「さあ、屋上へ行きましょう」
「……うん……」
わたしはゆりかごさんに手を引かれ、運命に導かれるように、一歩、ゆっくりと足を踏み出した。
――ダメよ!
『ゆりかごさんの言葉に従う』
『腕を振り払って逃げる』
『戦う』
不意に、選択肢が浮かび上がった。
その瞬間、呆けたような状態に陥っていた思考回路がはっきりと通常どおりの働きを取り戻す。
……逃げなきゃ!
戦う、という選択肢は、わたしにはありえなかった。
だから、残ったふたつの選択肢の中から、とっさに逃げることを選ぼうとする。
ただ、ゆりかごさんの両手は、ずっとわたしの両手を包み込んだままだった。
「ふふふ、選択肢ですわね? わたくしには視えはしませんが、なんとなくわかりますわ。……息吹さん、わたくしを拒絶するつもりですの? 親友であるこのわたくしを……。そんなこと、しませんわよね?」
ゆりかごさんが思考を読んで、干渉しようと言葉巧みにわたしを揺さぶる。
されどわたしは、身を切るような思いでその言葉を振り払った。
×『ゆりかごさんの言葉に従う』
○『腕を振り払って逃げる』
×『戦う』
「……ごめんなさい!」
言葉を振り払うだけでなく、ゆりかごさんの両手をも力強く振り払ったわたしは、素早くゆりかごさんから離れる。
そしてそのまま、一目散に手近にあったドアを開けて、渡り廊下から外に身を躍らせた。
あんな爆発があってガレキに埋もれていた中でもドアがすんなりと開いたのは、幸運だったと言えるだろう。
わたしは無我夢中で走った。
ゆりかごさんはそんなわたしを、追いかけてきたりはしなかった。
☆☆☆☆☆
ドアの外は中庭だった。
園芸部が育てている花壇があって、色とりどりの花々が咲き誇っている。
この中庭からは、校庭や裏門へも出ることができる。
でもどういうわけか、わたしはすぐに花壇のそばにある植え込みの陰に身を隠すと、そこで息を潜めた。
どうやら追いかけてきてはいないらしい、ということに気づいていたわけではない。
おそらく無意識のうちに、ゆりかごさんのことが気になってしまったのだろう。
しばらく身を隠し、息を整えたわたしは、そっと渡り廊下のほうをうかがう。
ゆりかごさんの姿は見えない。
ドアの辺りにも、窓ガラスを通して見える渡り廊下の中にも、彼女はいなかった。
――よく決断したわね。
「ひゃああああっ!」
突然かけられたそよぎさんの声に、わたしは思わず悲鳴を上げてしまう。
姿の見えないゆりかごさんが、実はすぐ背後に迫っていたのでは、と勘違いしたからだ。
すぐに口は閉ざしたけど、
「おどかさないでよ……」
小声で愚痴をこぼすくらいは、大目に見てほしいところ。
――うふふ、ごめんなさい。
そよぎさんは、素直に謝ってくれた。
とりあえず辺りをうかがってみるけど、人のいる気配はない。
ほっと息を吐く。
「あ……上履きのまま外に出てきちゃった。はしたないね……」
そんな細かいこと、今は気にしているような状況じゃないのは確かだけど。
少しは心に余裕を持つことができたからこそ、こんな言葉が口からこぼれ落ちたのだとも言える。
「だけど、これからどうしよう……。学校から出るべきかな……?」
――でも外に出たところで、どうにもならないわよ? 神々の戦いが終わるまでは、なにも変わらないわ。
手助けはしないと言っていたわりに、そよぎさんはしっかりと疑問に答えてくれた。
わたしはそれを心強く思っていた。今のわたしにとって、頼れる人はもう他に誰も残されていなかったから……。
そのとき、ふと、さっき昇降口から校舎に入る前に見た光景が思い浮かんだ。
「そうだ……。屋上に、なにかあるはずよね……」
教室教室棟の屋上から昇りゆく、竜巻のような雲の柱。
この学園を取り巻いているどんよりとした暗雲の中心となっているのは確実だろう。
ゆりかごさんは、わたしを屋上へ導こうとしていた。
とすると、罠だという可能性は高い。
それでも、だからこそ屋上に行って決着をつけなければいけないような、そんな気がした。
せっかく逃げてきたのに、という思いもあるけど……。
――うふふ……。
そよぎさんが、微かに笑う。
と同時に、そよ風が吹き抜ける。
『ずっと逃げ続ける』
『ここで静かに隠れている』
『屋上へと突撃する』
選択肢が、わたしの決断を促すかのように、脳裏にその姿を現す。
もう、迷いはない。答えは決まっている。
×『とにかく、ずっと逃げ続ける』
×『ここで静かに隠れている』
○『屋上へと突撃する』
「行くしかないわ!」
わたしは叫び、植え込みから飛び出すと、さっき逃げてきたばかりのドアを通り抜け、渡り廊下の中へと舞い戻る。
――頑張ってね。
静かな口調で、そよぎさんもわたしの心を後押ししてくれた。