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どんよりとした低い雲が、空一面を覆い尽くしていた。
わたしはいつもどおり、ゆりかごさんとふたりで曲がり角に立っている。
もちろんそれは、優季くんが通りかかるのを待つためだ。
以前と違っているのは、優季くん本人が、それをわかっているということ。
だから、クラスメイトの由梨絵さんを待っている、なんて下手な小芝居は必要なくなっている。
他愛ないお喋りを続けながら、優季くんが通るのを待つわたしたち。
学校が違うわけだから、朝は会えたとしても挨拶を交わす程度でしかないのだけど。
それでも毎日顔を合わせられるだけで、わたしは嬉しいのだ。
辺りはどんどん薄暗くなってきている。
朝なのに、夜明け前のよう。
雲が次第に厚みを増してきているのだろう。
まだ梅雨時期ではないのに、じめじめした雰囲気。
天気予報は見てこなかったけど、おそらくもう少ししたら、あの真っ黒な雲から雨粒がこぼれ落ちてくるに違いない。
それにしても優季くん、遅いな……。
もうそろそろ、通ってもいい時間帯なのに。
というか、今日はなんだか、おかしい気がする。
どういうわけか、全然人が通らない。
いつもなら春雨高校の生徒が何人も通っていくし、今くらいの時間なら藤星女学園や藤星女子大の生徒だって登校しているはずなのに……。
「来ませんわね、優季さん。遅刻してしまいますし、そろそろ行きましょうか?」
「……そうね、行きましょう」
ゆりかごさんに促され、わたしは学園へと向かって歩き出した。
☆☆☆☆☆
歩き出してからも、周囲の不自然さは変わらない。
誰ひとりとして、通りかかる人の姿を見つけられなかった。
少なくとも学園に近づけば、登校するたくさんの生徒たちが、ゆったりとした足取りで歩いているはずなのに。
ちょっと、遅くなりすぎた?
それとももしかして、今日って休日?
あっ、それとも、創立記念日とか……?
もしそうだったとしても、わたしだけならともかく、ゆりかごさんまで間違えるなんてことが、あるはずもない。
創立記念日は確か冬だったはずだし。
それに、今日が金曜日だということにも間違いはないはずだ。
昨日優季くんの家でお勉強会をしたあと、「週明けからテストだし、明日の放課後と土日の三日間、しっかり勉強会を続けて頑張りましょう」って、誓い合ったのだから。
それなら、急遽お休みになったとかは?
連絡網で回ってくるとは思うけど、わたしたちは優季くんと会うために早く家を出ているから、間に合わなかったとか……。
でも、それにしたって、まったく人がいないというのは、あまりにも不自然だ。
いくら通学路といっても、通勤時間帯でもあるのだから、駅に向かう人だって通りかかったりはするはずなのに。
わたしが怪訝な表情をしていることに、ゆりかごさんは気づいていないのか、わたしのすぐ右隣を寄り添うように歩いている。
ただ、空は明らかに暗くなっていた。
それどころか、学園に近づくにつれ、空気すらも重くなっていくかのように思えた。
藤星女学園の敷地を中心に、なにか禍々しいものが渦巻いている。そんなふうにすら感じられるほど。
そして、わたしのその感覚は、どうやら間違いではなかった。
学園の前までたどり着くと、いつもどおり正門が開かれていた。
開かれている、にもかかわらず、中が見えない。
正門の高さより上は、うっすらとではあるものの見えていたから、そこに校舎が存在していることだけは確認できた。
だけど正門のある場所には、来る者を阻むかのように真っ暗な壁のようにも見える、渦巻くなにかが立ちはだかっていたのだ。
それが煙なのか雲なのか、はたまたもっと別のおぞましい物体なのか、それはわからない。
いずれにしても、足を踏み入れるには、どうしてもためらいが生じる。
ぎゅっ。
ゆりかごさんが、わたしの右手を握る。
言葉はない。それでも、じっとりと汗をかいているのは伝わってきた。
彼女も目の前に広がる不可思議な現状に、不安を感じているのだ。
『踏み込む』
『帰る』
正直、すぐにでも引き返して、自分の部屋にこもって頭から布団をすっぽりとかぶりたい気分だった。
夢ならば早く覚めてほしい。
ともあれ、ゆりかごさんの手の温もりと汗の感触は、確実にわたしを現実へと引き戻す。
「そよぎさん、どうすればいいの……?」
小さく、つぶやいてみた。
返事は……ない。
自分で決めなくちゃダメってこと……?
気づけば黙ったまま、ゆりかごさんがこちらに瞳を向けている。
息吹さん、どうしましたの?
声には出さないものの、瞳でそう尋ねているようだった。
わたしは覚悟を決める。
○『踏み込む』
×『帰る』
「ゆりかごさん。行くわよ?」
「……ええ」
彼女もぎゅっと、よりいっそう強く手を握り返しながら答えてくれた。