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「おはようございます、息吹さん」

「あっ、おはよう、ゆりかごさん」


 わたしが住宅街の真っただ中にある曲がり角まで差しかかると、いつものように制服姿の女の子から声がかけられた。


 彼女は華美月(はなみづき)ゆりかごさん。

 お嬢様学校と呼ばれる藤星(ふじほし)女学園に通う彼女は、毎日この曲がり角の隅に立って、わたしを待ってくれている。

 もちろんこのわたし、神奈息吹(かんないぶき)も、れっきとした藤星女学園の生徒だ。


 藤星女学園では、下の名前にさんづけで呼ぶのが通例となっているので、わたしたちもお互いにそう呼び合っている。

 どんなに仲よしの相手でも、呼び捨てにしたりはせず、名前にさんづけで呼ぶ。それが学園のルール。

 べつに規則になっているわけではないけど、学園の雰囲気もあってか、そのルールは堅実に守られているようだ。


「それでは、参りましょうか」

「ええ」


 ゆりかごさんは優しげな笑みをたたえながら、ゆったりとした動作でくるりと百八十度回転して歩き始めた。

 制服のスカートがふわりと微かに舞うことすら、優雅さを演出してくれているかのよう。

 ウェーブがかった彼女の長い髪も風に揺れ、全身でひとつの芸術作品みたいに思える。


 この制服を着ているだけでお嬢様とささやかれるくらい有名な学校だから、わたしなんかだと登校時にも周囲の目が気になってしまうのだけど。

 そんな視線を受けてもまったく気にする様子もなく、ゆったりと歩くゆりかごさん。

 彼女は完璧に、お嬢様だった。


 それに比べてわたしは――。


「……どうかなさいました?」

「……いえ、なにも……」


 ゆりかごさんがそっと見つめてくれる中、わたしはただうつむいて答えるだけ。


 今でこそ少しはマシになってきているものの、わたしは昔から気が弱くて、人と話すのが大の苦手だった。

 声が小さいのも、自分に自信がないことから来ているように思う。

 それに決断力も弱いため、なにをするにしてもなかなか決められなくて、優柔不断と言われてしまう場合も多い。


 ゆりかごさんは、そんなわたしに愛想を尽かすことなく、中等部の頃から一緒にいてくれている大切な友人だ。

 親友と言ってもいい関係だろう。


 わたしがゆりかごと出会ったのは、中等部に上がった初日。

 新しい学校の新しい教室に入る決意がなかなかできず、ドアを前にしておどおどしているときだった。

 ゆりかごさんはいきなり、わたしの手をぎゅっと握って、一緒に教室へと入ってくれた。

 あのときの手の温もりは今でも忘れられない。


 それから丸三年とちょっと。

 わたしはその頃とあまり変わっていないけど。

 ゆりかごさんはいつでも、わたしのすぐそばで微笑んでくれていた。


「そうですか。それでは今日も一日、頑張りましょうね」

「……うん」


 優しく包み込んでくれるゆりかごさんの横に並んで歩きながら、わたしは控えめに頷く。

 わたしはただうつむいて歩くだけの状態だったのだけど、


「藤星女学園の生徒さんたちよ」

「やっぱり優雅ね~」


 ゴミ出しをしに来たらしいおばさんふたりが、ひそひそと話すそんな声が聞こえてきた。


 ……わたしは、全然優雅なんかじゃないのに……。


 沈んでいるわたしのそばにいるとき、ゆりかごさんはいつだって、余計なことなんか言ったりせずに寄り添ってくれていた。



 ☆☆☆☆☆



 そんなわたしだけど、実はちょっと変わった能力を持っていたりする。


「桜……もうすっかり散ってしまいましたわね~」

「うん、そうね」


 校内をゆっくりと散策するわたしとゆりかごさん。

 といっても、お昼休みや放課後ではない。


 今は一時間目と二時間目の合間にある休み時間だ。

 藤星女学園では、移動教室の場合でもゆったりと慌てず騒がず歩いていけるよう、休み時間が長くなっている。

 その分、午後の授業が終わる時間は遅くなってしまうのだけど。


 ともかく、そんなゆったりとした時間経過の中で、藤星の学園生活は成り立っていた。

 現に今だって、とくに移動教室というわけでもないのに、ゆりかごさんとふたりでお散歩しているわけだし。


 学園の敷地はかなりの広さがあって、毎時間歩いていても飽きることはない。

 ……っていうのはさすがに大げさかもしれないけど。


 藤星女学園は、初等部から高等部までがひとつの敷地内にあり、さらには藤星女子大もすぐ隣に並んで存在している。

 女子大の敷地自体は一応、高等部までとは分かれていて、両校のあいだには高い壁が立ちはだかっているのだけど。

 実際には何ヶ所かある通用門からお互いに行き来することが可能で、警備の人にチェックされたりするわけでもないから、ほとんど同じ敷地内と言ってしまっていいくらいだった。

 わたしもゆりかごさんも、たまに大学の食堂まで行ってお昼ご飯を食べたりするし。


 もっとも藤星女学園も女子大のほうも、不審者が敷地内に入らないよう、正門と裏門は厳重に警備されている。

 だからこそわたしたちは、こんなにもゆったりとした学園生活を送ることができているのだろう。


 ――と、不意に。


 微かな風が、ツインテールにまとめているわたしの髪の毛を揺らす。

 そしてそれと同時に、わたしの頭の中に浮かび上がってくるものがあった。



 『そのまま進む』

 『一旦、立ち止まる』



 浮かび上がってくる「もの」というより、「文字」と言ったほうがいいのかもしれない。

 正確にはなんとなく、そんなふうに感じるだけではあるのだけど。


「息吹さん?」


 すぐ右横に並んで歩いていたゆりかごさんは、わたしの表情がいきなり硬くなったのを感じたのか、首をかしげながらのぞき込んでくる。

 わたしは優柔不断な自分の脳みそにムチ打って、瞬時に判断を下す。


 今の今まで、こうやってこの桜並木の下を歩いてきているのだから、「そのまま進む」なんて、わざわざ改まって決断するようなことでもないはず。

 ということは――。



×『そのまま進む』

○『一旦、立ち止まる』



 わたしはピタリと、その場に立ち止まった。


「あら? どうなさいました?」


 当然ながら、一緒に歩いていたゆりかごさんも、首をかしげたまま立ち止まる。

 次の瞬間。


 ぽとり――。


 上のほうから――正確にはおそらく、桜の木の枝か葉っぱから、とっても大きくてなんだか鮮やかな色合いをした物体が、わたしたちふたりのすぐ手前の地面に落っこちてきた。

 なんとそれは、大きな毛虫だった。


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