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それからも、ゆりかごさんの作戦は続いた。
週末は学校がないから実行できないけど、平日には必ず作戦を遂行することになった。
さらには、朝だけじゃなく帰り道でもあの曲がり角に立って、ゆうきくんが通るのを待った。
わたしもゆりかごさんも、部活動はしていない。
ただ、藤星女学園は授業の終わる時間も遅いから、すでにゆうきくんが通り過ぎたあとということも多いみたいで、放課後は毎回会えるわけではなかった。
……もちろん、話しかける勇気がないわたしだから、「会う」じゃなくて、「見かける」だけだけど。
それでもわたしは、ただ見つめているだけで幸せな気持ちになれた。
ゆりかごさんは、じれったいと思っているみたいだけど、わたしは今のままでも全然構わなかった。
ゆうきくんのほうも、どうやら部活動はやっていないらしく、だいたい授業が終わる時間から少し経った頃、あの曲がり角を通るようだった。
曲がり角までの距離は、わたしたちの藤星女学園からのほうが近いため、急いで学園を出れば間に合うことも多い。
今日はゆうきくんに会えるかな~、なんて考えながらいつもの場所へ向かうのが、とても楽しくなっていた。
もっとも毎朝、ほぼ確実に会っている……というか見かけているわけだけど。
そんなある日。
いつもどおり、ゆうきくんに話しかけることもできず、若干沈みながら学園に着いたところで、ゆりかごさんからこう言われた。
「今日の放課後は新しい作戦がありますから、楽しみにしていてくださいね?」
「ふぇっ?」
わたしが思わずだらしなく口をぽかーんと開けて、わけのわからない返事をしてしまったのも、不可抗力ってものだよね?
☆☆☆☆☆
新しい作戦って、なんだろう?
今日は一日中、そのことが気になってしまい、授業なんてまったく頭に入らなかった。
ゆりかごさんに尋ねても、「ふふふ、ひ・み・つ♪ ですわ」なんて言って、答えてくれないし。
五時間目の授業が終わると、ゆりかごさんは素早くわたしの手を取って走り出した。
わたしは呆然としつつも慌てて反対の手でカバンをつかみ、ゆりかごさんに引っ張られながら教室をあとにする。
ちなみに藤星女学園では、掃除は業者さんの仕事になっているため、わたしたちは自分で教室などの掃除をする必要はない。
そっか、他の学校だと生徒に掃除させるのが普通なんだよね……。
だからゆうきくんの帰る時間に、わたしたちが帰る時間を合わせられたんだ。
とかなんとか考えながら、ゆりかごさんに手を引っ張られたわたしは、いつもの曲がり角へと到着した。
ドキドキドキ。
胸を高鳴らせながら、ゆうきくんが通りかかるのを待つ。
今日はなぜか、ゆりかごさんも黙ったままだった。
普段ならうるさいくらいに話しかけてくれるのに。ついつい、そんな失礼なことまで考えてしまう。
ゆりかごさんはただ黙って、わたしの右手をぎゅっと握っている。
少し経つと、道の向こうに待望のゆうきくんの姿が見えてきた。
お父さんの面影がなんとなく感じられ、安らかな気持ちになる。
と、ゆりかごさんが耳もとでささやきかけてきた。
「これからわたくしが声をかけますわ。とりあえずそのまま、黙って横にいてくださいませ」
「えっ?」
戸惑うわたしの頭に、ちょっと久しぶりの「あれ」が浮かび上がる。
『ゆりかごさんを止める』
『ゆりかごさんに任せる』
え~っと……。
考えるまでもなく、決まっているようなものだけど。
でも、こんなタイミングで選択肢が「視えた」わけだから、少し慎重になるべきなのかな……?
わたしが考え込むような素振りを見せると、唐突にゆりかごさんが、ぎゅっとわたしの手を握ったまま顔を前方に回り込ませる。そして責めるような瞳を向けながら、こう言い放った。
「もうっ! 考える必要なんてありませんでしょう?」
「う……うん……」
わたしは頭の中の選択肢を振り払い、ゆりかごさんの言葉に従った。
☆☆☆☆☆
「あの、すみません」
「はい?」
ゆりかごさんは躊躇することなく、ゆうきくんに声をかける。
さっきまで握っていたわたしの手は離し、代わりになにやら紙のようなものを持っていた。
それをゆうきくんに差し出しながら、ゆりかごさんは声をかけたのだ。
「お手数ですが、アンケートにご協力していただけませんか?」
なるほど、そういうことか。
ここはわたしも、話を合わせておくべきだよね。
「ぜひ、お願いします」
ゆりかごさんの持つアンケート用紙に目を落とし、続けてかけられた声の主、つまりわたしに視線を向けてくるゆうきくん。
うわぁっ! こんな近くで、ゆうきくんと見つめ合ってる!
飛び上がりそうな気持ちをどうにか抑えながら、わたしは成り行きを見守る。
ゆりかごさんの言う新しい作戦の内容を聞いていないわけだから、余計なことはしないほうがいいだろう。
「えっと、ぼくでいいの? ……う~ん、まぁ、いいけど……」
ちょっと戸惑い気味ではあるけど、肯定の言葉をつぶやいたゆうきくんの手を、ゆりかごさんはすっとつかんで引っ張る。
「では、すぐそこの公園まで、ご一緒してくださいませ。さすがにここでは、人通りの邪魔になってしまいますし」
「あっ、うん、そうだね」
こうしてわたしたちは、見事にゆうきくんを連れ出すことに成功した。
公園に入ると、ゆりかごさんはゆうきくんをベンチに座らせ、素早く下敷きの上に乗せたアンケート用紙とシャープペンを手渡す。
続けてゆりかごさんは、わたしをその隣に座らせた。
「アンケート用紙の上から順番にお答えください。不明点はそちらの息吹さんにお尋ねくださいね」
ちょ……ちょっと、わたし、尋ねられてもわからないよ?
思わずそう叫んでしまいそうなわたしを、ゆりかごさんが視線で制する。
「うん」
ゆうきくんは素直に言うことを聞いて、アンケート用紙に答えを記入し始めた。
ちょっと、素直すぎるんじゃないかな?
もしかしたら、騙されやすい性格なのかも?
なんて、自分が今、騙している張本人だというのを棚に上げて、そんなことを考える。
というか、わたし、ゆうきくんの隣に座ってるんだ……。
ドキドキドキ。
鼓動が高鳴る。
緊張しまくりのわたしの横で、ゆうきくんはアンケートに答えながらも、ゆりかごさんと会話を交わしていた。
「恋愛についてのレポートなのですが、女子校なので、男性の考え方がどうしてもわからなくて」
「そうなんだ。でもぼくも、そういうのはよくわからないんだけど……」
「あくまでも多くのサンプルのうちのひとり、とお考えください」
少しだけ、いいな、わたしもお話したいな、と思ったりもしたけど、ここはゆりかごさんに任せるしかない。
わたしは黙ったまま、ゆうきくんがペンを走らせる音を聞いていた。
書かれた答えをのぞき込みたい衝動に駆られてはいたけど、それは悪いかな、っていう思いと、近づきすぎるのは恥ずかしい、っていう思いがあって、わたしはゆうきくんの横でうつむいていた。
と、静かな公園の片隅に、不意に音楽が鳴り響く。
この音って、確かゆりかごさんのケータイの着信音だったはず……。
ゆりかごさんはケータイを取り出すと、ベンチから少し離れた場所で話し始める。
「……はい、はい、え、ですが……。はぁ、仕方がありませんわね。わかりましたわ」
そう言って、彼女は電話を切った。
「すみません。わたくし、一旦学校に戻らなければいけなくなりましたの。書き終わったアンケート用紙は、息吹さんにお渡ししておいてください。用事が済みましたらすぐに戻ってきますので、アンケートを書き終えましたら、ここでしばらくお待ちいただけますか?」
「うん、わかった。行ってらっしゃい」
ゆりかごさんの言葉に、ゆうきくんは優しく答える。
対するゆりかごさんも、ふふふ、と優しげな微笑みを返していた。
……それでは、頑張ってくださいませ。
去り際、そっとわたしの耳もとに顔を寄せ、ゆりかごさんはそうささやいた。