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「まずは意識していただくことが先決ですわ」
春雨高校へと向かう人通りも少なくなると、時間差で藤星女学園の生徒の数が増えてくる。
あの人が去ったあと、ゆったりと歩き出したゆりかごさんは、その隣に並んで歩くわたしにそう言った。
そして、ぎゅっとわたしの左手を握る。
わたしを勇気づけてくれているのだ。
だからきっと、他意はない……はず……。
……そのわりに、なんだか指を絡めてきたりしてるんだけど……。
そ、それはともかくっ!
今はゆりかごさんの言葉に耳を傾けておく。
「あの場所を通ることは確認できましたから、作戦は立てやすくなりましたわ。明日からも今日と同じ時間で待ち合わせして、同じように立ち話をし続けましょう。それで、あの殿方が通りかかったら、なるべく大きめの声でお喋りするんですわ」
「う……うん……」
「少しでも注目していただいて、印象づけていきましょう。そうですわ、息吹さんの名前もお呼びしますわね。そうすればきっと、あの子、息吹っていう名前なんだ、と意識してもらえるはずですわ」
「う……うん……」
ひとりで盛り上がっているゆりかごさんの声とは対照的に、わたしの声は沈み気味だった。
べつに、嫌なわけではないのだけど。
やっぱり恥ずかしいから……。
そう言ってみると、ゆりかごさんはつないでいる手の力をぐっと強めた。
「もう、そんなことでどうするんですか。息吹さん、あなたがしっかりと頑張らなくてはいけませんのよ?」
「う、うん、そうだけど……」
「まったく……そうやってはっきりしないようでしたら、わたくしがあの殿方にアタックしてしまいますわよ?」
「え、や、そ、それはダメっ!」
思わず大声で叫んでしまい、近くを歩いていた藤星女学園の女生徒たちが何事かと振り返って、わたしに目を向けてくる。
「は、はう……」
真っ赤になってうつむいているわたしの隣では、ゆりかごさんがコロコロと小気味よい笑い声を漏らしていた。
「ふふふ、冗談ですわよ。応援しておりますわ。ね?」
「……うん」
恥ずかしがりながらも答えるわたしの声を聞いて、ゆりかごさんは満足そうに頷いた。
☆☆☆☆☆
「由梨絵さん、今日も遅いですわね~。昨日あれだけ念を押しましたのに」
「そそそそ、そう、ですね」
翌日の朝も、わたしとゆりかごさんは、待ち合わせ場所の曲がり角で、白々しくも演技をしていた。
「あっ、息吹さん、あちらをご覧なさいませ」
「え? ゆりかごさん、なんですか?」
ゆりかごさんが一方を指差すと、わたしもそちらへと目を向ける。
彼女の指先を視線でたどっていくと、そこには、あの人が……。
でも、ゆりかごさんが指差していたのは、その人ではなく、さらに向こう側。ここから微かに見える国道だった。
「今、道路を戦車が通っておりましたわ!」
……そ、それはあまりにも不自然じゃない!?
と思わなくもなかったけど、ゆりかごさんはゆりかごさんなりに、わたしのためにと考えて言ってくれたはずだ。
わたしがあの人のほうをじっと見つめていても、不自然じゃないように。
……話題自体の不自然さは、この際気にしない、ってことなんだろうな……。
「え、えええ~? うそ、ほんとぉ~?」
会話内容だけじゃなくて、わたしの喋り方も、やっぱり不自然ではあったけど。
ともかくわたしは、ゆりかごさんの指差すほうに目を向けた。
自然とあの人を、視界内に捉える。
思わず、見つめてしまう。
あの人も、顔を上げた。
はうっ……!
目が……合っちゃった!
ボッ!
真っ赤になって反射的にうつむいてしまうわたし。
「ああ、もう……」
ゆりかごさんが小さく舌打ちする音が聞こえた。
ちょっとはしたないよ、ゆりかごさん……。
なんてツッコミを入れられるわけもなく。
結局わたしは今日も、ただ黙ってあの人が過ぎ去っていくのを見送ることしかできなかった。
「ダメじゃないですか、息吹さん。あの場合、微笑んで頷き合うべきでしょう?」
「そ、そんなこと言ったって……」
「それに、息吹さんの名前を記憶していただきたいというのに、わたくしの名前まで呼んでしまっては、台無しではありませんか」
「うう~、ごめんなさい……」
ゆりかごさんからそんなダメ出しを受けてしまうわたしだった。
☆☆☆☆☆
また次の日も作戦は続く。
「今日は、遅いですわね」
「そうだね~。お休みなのかな?」
曲がり角で待っているわたしたちのそばを、いつもならあの人がもう通り過ぎているはずの時間。
だけど今日は、まだ通っていなかった。
諦めかけたそのとき、待ち焦がれるあの人は、普段どおりのゆっくりとした動作で歩いてきた。
わたしたちの学校は授業の開始時間が少し遅いからいいけど、あの人の通う春雨高校は、この時間だと遅刻ぎりぎりなんじゃ……。
そんなわたしの心配を肯定するかのように、急ぎ足の男子生徒があの人の後ろから迫ってくる。
「おい、ゆうき! そんなトロトロ歩いてると遅刻するぞ!」
「うん、そうだね」
そうだね、と言いながらも、あの人は歩く速度を変える気配がない。
「ま、オレは先に行くけどな!」
「あははは、薄情だなぁ~」
といった会話を残し、走り去る男子生徒。もちろん、あの人の背中も遠ざかっていく。
「あの人、ゆうきくん、っていうんだ……」
なんだか心がほわ~んと温まったような感じで、わたしはただただぼーっと、ゆうきくんの去っていった道を眺め続ける。
その横では、ゆりかごさんがニヤニヤと笑っていた。
「ふふふ、お名前ゲットですわね。おめでとうございます」
「うん……でも、どんな字なのかな~」
「ふふふ、名字もわかっておりませんし、まだまだ先は長いですわよ?」
「うん、わかってる……」
などと、あの人の名前を知ることができた喜びを噛みしめていたわけだけど。
わたしたちは、ゆうきくんの通りかかった時間が随分と遅かったということを、完全に失念してしまっていた。
ホームルーム開始の五分前に鳴らされる予鈴が、微かに聞こえてくる。
「あら、予鈴の音ですわ」
「きゃ~~~! 遅刻しちゃう! ゆりかごさん、走らないとっ!」
「スカートのプリーツは乱さないように……なんて言っていられませんわね。では、全速力ですわ!」
「うん! 何年ぶりだろ……」
「先生方に見つかると困りますし、正門が見えましたら走るのは諦めなくてはいけませんわね。ですから途中までは、死に物狂いで走りますわよ!」
「うう、走るの苦手なのに……。もしわたしが転んだら、先に行ってね!」
「なにを言うのですか。息吹さんひとり残して、先に行けるわけがないじゃないですか!」
「うう、ゆりかごさぁ~ん!」
全力で走りながらも、こんな友情ごっこなんてやっているわたしたち。意外と余裕があったのかもしれない。




