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ドキドキしてなかなか寝つけなかったものの、わたしはいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
気づけばカーテンを通り抜けて、朝の清々しい光が差し込んできていた。
目覚まし時計を見てみると、七時を少し回ったところ。
藤星女学園は授業の開始時間が遅いから、普段起きるのは八時くらいだ。
だからまだ、目覚まし時計が鳴る前の時刻。
ちょっと睡眠時間が足りないのか、頭がぼーっとしている感じを受ける。再び布団に入れば瞬殺で二度寝が成功、結果ゆりかごさんに文句を言われる羽目になってしまうだろう。
とりあえず目覚まし時計のタイマーを切り、ゆったりとした動作で着替える。
余裕のある時間だから、制服も乱れることなくビシッと着ることができた。
普段どおりだとあまり時間がないから、胸のリボンが曲がっていることも多くて、ゆりかごさんに「リボンが曲がっていてよ?」なんて言われながら直されたなんて経験も、一度や二度ではなかったりする。
そんなときは、「お姉様、ありがとうございます」とお礼を述べなければいけないのだとか。同い年なのに、どうしてお姉様なのだろう……?
と、それはともかく。
「うん、こんなもんかな」
わざわざ声に出して着替えの終了を宣言したわたしは、素早くカバンをつかんで部屋を出る。
ゆっくりと階段を下り、玄関脇にカバンをそっと置くと、そのまま洗面所へと向かった。
部屋にある小さな鏡じゃ、制服をしっかり着ることができているか正確にはわからない。その確認のためもあるけど、それよりも髪のセッティングが一番の目的だ。
寝相が悪いのか、どういうわけだかわたしの髪の毛は、朝起きると大爆発していることが多い。それを無理矢理どうにかするため、頭の両側で結んで押さえることができる髪形にしている、というのもあるわけだし。
ともかく、念入りに髪をとかしてからまとめ、綺麗なツインテールを形作る。
うん、完璧!
昨日のうちに弥生さんに話して、早めに朝食を作ってもらうこともお願い済みだ。
弥生さんは泊り込みでお手伝いをしているわけではなく、平日の朝、うちに出勤してきて、夜は夕飯の洗い物とお風呂の準備が終わった時点で帰っていく。
ちなみに、土日と祝日には基本的に弥生さんは来ない。それでも平日はかなり長い勤務時間となるわけだから、大変だな~と思う。
それがわかっているというのに、わたしは弥生さんに無理を言って、朝食を早く作ってもらうなんてお願いをしてしまったのだけど。
「おはようございます、お嬢様」
「おはようございます、弥生さん。すみません、無理を言ってしまって」
「いえいえ、いいんですよ。冷めないうちに、食べてくださいね。あっ、でも、急ぎすぎないでくださいましね? のどに詰まってしまったら大変ですから」
「もう、そんなこと、言われなくてもわかってます。わたし、そんなに子供じゃないんですから」
「ふふふ、そうですわよね、失礼しました。ささ、とにかく食べてくださいまし。腹が減っては戦ができぬ、ですわよ」
「戦って……、そんなんじゃないですから。それでは、いただきます」
こんな他愛ないお喋りも、朝の心地よさを演出してくれる。
いつもより早い時間だから、さすがに小百合さんはまだ起きていない。
弥生さんが食事中もずっとそばにいてくれたのは、わたしがひとりでは寂しく思うかもしれないから、だったのかな。
とにかくわたしは食事を終え、洗面所に戻り歯磨きをすると、玄関脇に置いてあったカバンを勢いよくつかむ。
そして、
「行ってきます!」
「行ってらっしゃいませ」
弥生さんが大きく頭を下げて送り出してくれる中、意気揚々と玄関を飛び出した。
☆☆☆☆☆
待ち合わせ場所である曲がり角に着くと、そこにはすでにゆりかごさんが立っていた。
「おはようございます、息吹さん」
「おはよう、ゆりかごさん」
朝の挨拶を交わし合い、普段どおりだったらそのまま一緒に学園へと向かって歩き出すところだけど……。
ゆりかごさんはそっとわたしの耳もとに唇を寄せ、小さくささやいた。
「さて、それではここでしばらく立ち話でもしながら、昨日の殿方が通りかかるのを待ちましょう」
「で……でも、不審に思われたりしないかな?」
対するわたしも、同じように小声で質問を返す。
「大丈夫だと思いますわよ?」
ゆりかごさんは澄まし顔でそう答えてくれたけど、どうやらわたしの顔には不安がありありと浮かび上がっていたようで。
「ですが心配なようでしたら、そうですわね……お友達を待っているように装っておきましょうか」
言うが早いか、彼女は素早くわたしの耳もとから離れると、言葉どおりの演技を始めた。
「もう、なにをやっているんでしょうか。由梨絵さん、遅いですわね~?」
わたしの肩に手を置き、爪先立ちで曲がり角の先をのぞき込みながら、ゆりかごさんがわざとらしい口調で問いかけてくる。
「あ……う、うん、そそそ、そうねっ! ほんと、おおおお、遅すぎです、わよ」
それに答えるわたしは、焦りまくりどもりまくり、声も裏返って、不自然さ丸出しだった。
「ふふふ、息吹さん、演劇には向いていないみたいですわね」
「……ほっといて……」
ぼそっと耳もとに投げかけられたゆりかごさんの言葉に、わたしは力なくぼやくことしかできなかった。
ちなみに、ゆりかごさんがとっさに出してきた由梨絵さんっていうのは、クラスメイトの名前だったりする。
彼女の家は学校を挟んでわたしやゆりかごさんの家とは反対方向になるので、偶然鉢合わせするなんてことは、まずありえないだろう。
由梨絵さん、勝手に名前を使ってしまって、ごめんなさい……。
「あ……来ましたわ……!」
不意に、ゆりかごさんがわたしの肩に乗せた手に力を込め、そうつぶやいた。
わたしも同じ方向に視線を向ける。
そこには、昨日のあの人がいた。
早すぎず遅すぎず、ゆったりとした動作で、今わたしたちが立っている曲がり角に向かって歩いてくる。
見れば見るほど、心がぽわんと温かくなる感じ。
やっぱり、お父さんに似てるな……。
そんなことを考えながら、ぼーっとしているわたしの耳もとで、ゆりかごさんがそそのかす。
「さ、話しかけなさいな」
「え……? むむむむ、無理よぉ~……」
彼女の声に、わたしはぼそぼそと答えるのみ。
そりゃあ、お話したいのは山々だけど。なんて言って話しかければいいっていうの?
そんなわたしたちの様子に気づいているのかいないのか、あの人は曲がり角を通過し、そのまま春雨高校のあるほうへと歩き去っていく。
わたしはその人にちらちらと視線を向けながら、ただ黙って見送ることしかできなかった。
「ふぅ……」
あの人の姿が見えなくなると、ゆりかごさんのため息が聞こえた。
「まったく、臆病さんなんですから」
「だだだだ、だって、しょうがないじゃない。いきなり話しかけるなんて、できないよ~」
涙目になって訴えかけるわたしに、ゆりかごさんは優しく微笑んでくれた。
「そうですわね。なにかきっかけを作らなくてはいけませんわね」
ニヤリ。
なんとなく、優しいだけの微笑みじゃなかったように思えたのは、はたして気のせいだっただろうか。