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女神さま おちた  作者: ふとん
女神さまのお話
9/19

カラじゃないよ

「この丘を越えれば南概ですよ。姫さん」

 馬を休ませるための小休止に、馬に水をやっていた繭に護衛の一人が面倒臭そうに言った。

 慶諾というこの男は、護衛の甲冑を外して軍服らしい着物をだらしなく着崩していて、なんと水色の髪をしている。彼は眠そうな顔で繭から馬へやっていた水の袋をひったくる。

 何をするのかと繭が見上げると、彼は親指で馬車を指さした。

「朋来が呼んでます」

「私、何もしてないわよ」

「そうですね。夜中に宿を抜けだしたり、馬に乗ろうとしたり、俺が目を放した隙に馬車を抜けだして買い食いしたり、最近はしてないですね」

 慶諾の言葉に繭がぐっと詰まると、彼は馬車へ行けと命令した。

 渋々従いながら、繭は口を尖らせる。

 別に、悪いことをしようと思ったわけではなかった。

 ただ、歓楽街が有名だという街に出れば、そこの出店が気になったし、思ったよりも可愛げのある馬が気になってまるで乗ってもいいと言うようだったから乗ろうと秘密で努力してみたし、ただ宿に連れて行かれるだけの毎日が飽きたからだ。

 今、繭は王宮を出てきたようなひらひらした着物ではない。旅が二週間も三週間もかかると聞いて、衣裳箱から自前の衣装を出したのだ。それを着て部屋を出てきたときには、朋来と慶諾に小間使いと勘違いされた。それもいいかと街へ出かけようとしたのは、結局捕まってしまったが。

「マユさま」

 馬車の前で繭の衣装箱を開けているのは朋来だ。女性の衣装箱を開けるなと教わらなかったのだろうか。

 しかし、繭は怒るよりも驚いた。この、朋来という優しい銀髪の男は繭を叱りつける時でさえ、笑顔を絶やさない奇妙な男だ。それが、今は悪鬼羅刹もかくやというほどのしかめ面。

「どうしたの。朋来」

「―――それは、こちらがお伺いしたいことですよ」

 朋来は憤りを隠そうともしないまま、繭へと向きなおる。

「なぜ、衣裳箱の中が空なのですか」

「カラじゃないよ」

 なんだそんなことかと繭は肩を竦めたが、朋来の機嫌は治らない。

 仕方なく繭も自分の衣装箱を覗き込む。

 上等ないい香りのする大きな箱だ。房のついた取っ手で開けると、繭の大事な物が入っている。

 自分で買った着物と靴、それから大きな風呂敷。これはどうでもいいが、王宮を出る時に着ていた上等な着物に上等なベール。それから羅心から貰った筆記用具の入った箱と帳面。

 それから、一週間前に立ち寄った街で、朋来と慶諾にねだって買ってもらった髪飾りがある。

 それを見て、繭は小さく笑んだ。

「……なぜ、何も入っていないのです」

 怒っていたはずの朋来が、今度はなぜか泣きそうに見える。

「だって、私の荷物はこれだけだもの」

 きっと、最初に持った時には分からなかったのだろう。箱はそれ自体が丈夫で重い。普通に箱がいっぱいであれば、本当は男一人で持てるようなものではないのだ。

「王から下賜された宝石や、着物はいかがなさったのです」

「いらないよ。あんなもの」

 だいたい、あれは繭がもらったものではない。借りていたものだ。

 なんてことを、と朋来は呟いて、大きな手で自分の顔を覆ってしまった。

「―――衣装箱が軽いことには気付いていました」

 朋来は苦しげに吐きだして、繭を見つめる。

「けれど、仮にも嫁がせるというのに、花嫁衣装も持たせないなんて、どうかしています」

 この国での婚礼には、たくさんの準備が必要だ。

 それは家であったり、家具であったり、多岐に及ぶが、それは花婿が用意するものだ。花嫁側が用意するのは、たった一つ。花嫁衣装だ。これは送り出す側の礼儀でもあるし、花嫁への餞別の意味もある。親がいない娘にさえ、勤め先の上司や近所の世話役が用意する。

 豪華であっても、質素であっても、たとえ望まれない花嫁であっても、それを欠くのは忌むべきことらしい。

 繭に話して聞かせる朋来の方が、今にも泣きだしてしまいそうだ。

 元々、繭は何も望んでいない。

 帰る望みも、逃げる望みも、すでに失われている。

 何が良くて、何が悪いのか。

 繭にはそんなことは、本当は分からない。

 ただ、目の前のことに驚いたり、喜んだりするだけだ。

「いいんだよ」

 小さな鳥が花をくわえているモチーフの髪飾り。繭が自分で買っても良かったが、これを買ってしまうと手持ちが心もとなくなってしまう。どうしても欲しい。露店の前で悩んでいた繭に、朋来と慶諾がぽんと買ってくれた。その頃には、たびたび抜け出す繭に辟易して、二人が繭の散歩に付き合うようになっていた。

「お嫁さん、これみたいなベールつけるんでしょ? 着せられてた着物は淡い色だし、これつければごまかせるよ」

 繭がベールと着物を順番に指指して、最後に髪飾りを髪に添えてみせると、朋来は泣き笑いの顔になった。

 嬉しかった。

 年の離れたお兄さんに可愛がられているようで。

 改めて着せられた着物を見て、繭は「あ」と思う。だから、女官のお姉さんたちは繭にこの衣裳を選んでくれたのだ。花嫁衣装も持たせられない繭を憐れんで。

「ね、朋来」

 だから安心してよ。

 そういうように繭が笑うと、大きな手が繭の頭に乗った。

 見上げると、慶諾が珍しく目を細めて、痛むような微笑みを浮かべている。

 ありがとう。

 繭は声にならない言葉の代わりに、精一杯微笑んだ。


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