乗り出されては危のうございます
素直に嫁いでやるつもりはなかった。
だから、繭は羅心に頷いたのだ。
二日後に連れていかれると聞いたから、急いで準備した。
なのに。
唯一の頼みの綱が、煙のように消えてしまっては。
夜逃げしてやるつもりで準備した荷物を女官が用意した衣装箱の底に押し込んだ。
繭は飾り気のない着物を選んで着たが、手伝いを遠慮したというのに最後だからと女官たちに押し切られてしまった。着物を着せられ、淡く化粧を施され、最後にベールを頭に乗せられたのだ。
いつもよりも幾分動きやすい格好なので、護衛だという兵士に衣裳箱を運ぶのを手伝ってもらい、自分でもお気に入りのショールと羅心にもらった筆記用具を持った。
離宮の出入り口で女官長を始めとした繭を世話してくれた女官たちが居並び、深々と頭を下げていた。
こうまでされては逃げるに逃げられない。
呆れるような、溜息をつきたいような気分を押し殺して、繭も女官たちに頭を下げた。
「今までありがとうございました」
繭が言うと、何故か女官長が複雑そうな顔で見上げてくる。
「―――本当によろしいのですか。何も、お持ちになられず」
彼女が言いたいのは、繭に贈られた着物や宝石のことだろう。
「私には過ぎたものですので、お世話になったみなさんへの餞別に。それが許されないのでしたら、国庫へお返しください」
はっきりとした繭の声に戸惑ったのか、女官長は言うべき言葉を呑みこむように頭を再び下げてしまった。
「どうぞ、ご健勝であられますよう、我ら一同願っております」
これからのことを考えると、繭は頭痛がするような思いだったが、入口の目の前で止められた繭が乗るのであろう馬車を見て思わず深く息を吐いた。
どのみちに逃げることなど許されないのか。
繭は胃の中が冷えていくような心持ちで、兵士に促されるまま馬車へと乗り込んだ。
離宮から王宮の外へ出るまでに、長い回廊が続く。
思えば、繭はこれまで王宮の外へと出たことがない。
これが最初で最後のことになるのだろうから、気落ちして見ておかないのは損だ。
繭はそう考えて馬車の窓を開けた。
見知った場所や知らない場所が交互に駆け抜けていく。
幸い今日は晴れていて、馬車も思っていたより反動がない。クッションも用意されいて、長い旅に耐える造りのようだ。
繭は誰も見ていないことをいいことに、クッションを抱えて馬車の椅子に座り込みながら景色を楽しむことに決めて、のんびりと窓から入り込む風を受ける。
そろそろ王宮の外へさしかかる頃に、王様の執務室が見えた。
結局、この日まで王様は忙しいらしくいつもの夕食にも顔を見せなかった。
言付けに来た羅心は女官長と同じような、複雑そうな顔で繭へ謝罪を口にしたが、彼も繭を見送りには来なかった。
今となっては、どうでもいいことだ。
王宮の外に出ると、活気ある街が広がっている。
建物は昔の日本や中国に似ていて、街行く人々の格好もそれに似ている。
彼らは馬車上の繭を物珍しげに眺めていたが、繭にしても街の様子が珍しくて思わず身を乗り出すほどだった。しかし、
「失礼」
二人ついてくるという護衛のうち、一人が馬車の窓から乗り出していた繭の前に馬で並んでついてきた。
甲冑姿のいかにもな格好だが、ひさしの下から覗く顔は穏やかな男だ。
「あまり乗り出されては危のうございます。お控えください」
繭に窓を閉めて、窓のそばについているカーテンを引けという。
有無を言わせない言葉に、繭は思い切り顔をしかめたが、彼が一向に退こうとはしないのであきらめて言うう通りに閉めた。わざと音を出して閉めてやったが。
別に嫌われようが構わない。山の奥に置いて行かれたり、どこかに売り飛ばされたりするのは勘弁してほしいのだが。
そう考えると少し不安になってカーテンの裾から窓を覗く。
すると、まだ居たらしい護衛と目が合った。
繭は呻く前に驚いたような顔をした護衛を残して馬車の中へと引っ込んだ。
これで子供だと思われたらしく、繭はしばらく小さな子供のように扱われることになってしまった。