陛下はお忙しい方でございます
彼らの国は、東にある。
巨大な大陸には東西南北の四つの大国があり、その中の一つだという。
彼らは元は同じ人種ながら異なる文化を持ち、それぞれの意識を持って暮らしている。
だから、考え方の違う彼らは一様に争った。
和平と戦争を繰り返し繰り返し、そうして何年も経った頃、また和平条約が結ばれた。それは前代未聞の四国による条約だ。
それを成したのが東の王だったという。
しかし、一時とはいえ和平に導いた王が死んだ。
それを皮切りに二十年続いた平和は終わりを告げ、小競り合いはあえなく再開され、十年経って現在に至る。
「マユさま」
咎めるようにこちらを見据えた官服の男に向かって、繭はわざとらしいほどの勢いで文句を言った。
「それで、いつ陛下にお会いできるの? ねぇ?」
「……今、陛下は執務中でございます。それに、あなた様も歴史を学んでおられる最中でございましょう?」
確かに歴史は好きだ。繭はそれをおくびにも出さないでぶーぶーと文句を続ける。
「だぁってぇ、もう飽きちゃったんだもん」
こちらの文化は、繭の居た日本に驚くほどよく似ている。
目の前の家庭教師の男が来ている服は平安時代の貴族のようであるし、働いている女官たちは着物姿だ。上級貴族の女性になると、薄い衣を重ねた着物を身に着けていて、その姿は中国の姫君のようだった。
繭も彼女らのように長いひだと宝石のついた豪奢な衣装を身につけている。
「午後からは佐久の姫様たちと御茶会をするのよ。陛下もお呼びできないかしら?」
繭付きの女官によって奇麗に化粧を施された顔にニッコリとわざとらしい笑顔を乗せる。
爪も足も体も二十人から居る女官たちによって毎日エステされ、半年も経った今では常にピカピカだ。
家庭教師の男――ー訊けば、彼は立派な官職についている大臣だそうだ――ーは迷惑そうに眉をひそめたものの、それを繭と同じくおくびにも出さずに申し訳なさそうに言う。
「陛下はお忙しい方でございます。マユさまの御言付けだけは御耳に入れておきましょう」
言葉は慇懃だが彼の瞳は物語る。
忙しいから邪魔するな小娘!
全くもってその通りだと繭は思う。
彼、羅心だってこんな小娘の家庭教師などしている暇などないはずだ。聞いた話では、彼は王様の右腕として非常に有名な能吏らしいのだ。すらっとした長身に貴色である赤の官服はよく似合っているし、顔だって悪くない。官帽にまとめた髪は金髪、切れ長の瞳は灰色―――文化は日本とよく似ているが、彼らの髪や瞳の色は実に様々だ―――に貴族のお嬢様たちはきゃぁきゃぁ黄色い声を上げている。
そんなエリートな彼が何を悲しくてどこの馬の骨ともしれない繭の家庭教師をして貴重な時間を使わなくてはならないのだ。
だから、繭は全くわからなかった言葉を理解するために出来るだけ他人と喋ることにしたし、文字も必死で覚えた。
異世界から王宮に召喚された女神ということもあって、悪く接してくる人はほとんど居なかったし、心証の元々悪かった人は今では繭に近寄ろうともしない。
世話になっている彼の名前は当然憶えているが、繭はわざと忘れたことにして微笑んだ。
「絶対陛下にお伝えしてね。宰相さま」




