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女神さま おちた  作者: ふとん
番外編
12/19

何が望みですか

 にっこりと微笑んだ女神さまは、誰よりも幸せそうで、不幸だった。


 小菊が彼女に出会ったのは、王宮の隅にある女官棟へと帰る途中だった。

 先輩の女官に仕事が遅いと置いていかれ、初日から泣きそうになりながら一人戻るその途中で、呼びとめられたのだ。まるで、待ち構えられていたように。

 それなりに裕福な家で生まれ育った小菊も、そうはお目にかかれないほどの着物と飾りを女神さまは小奇麗な人形のように飾りつけられていた。

 彼女は遠目で見るよりも背が高く華奢で、まるで働いたことのないような白い肌で、年の頃は小菊とそう変わらないように見えた。

 茂みの影で世間を知らずに微笑む彼女が、何の魔法の力も知識も持っていないことはすでに王宮中の人間が知っていることだった。ついこのあいだまで、彼女はこちらの言葉と文字を必死で覚えていたことは、女官の間でも話題に上っていた。いったい、何のために呼び出された女神さまなのかと。

―――つまり、異世界からやってきたこと以外において、女神さまはどこをとっても、ごくごく普通の娘に見えたのだ。

 そんな彼女が小菊を呼びとめ、何事かと小菊は内心首を傾げる。彼女のわがままは日毎、金のかかるものになっていくと女官長と宰相殿が話していたという。

 小菊は眉をひそめたものだ。金は、わがままのために使うためにあるのではない。

 しかし、小菊の疑心を裏切って、女神さまが望んだのはとんでもないものだった。


「私ね、王宮から出たことがないから出てみたいの。だからね、王宮で働きたいの」

 そのための身分と、服を用意してほしいという。

 当然、小菊は断った。

 何の得があって、小菊がそんな犯罪めいたことに手を貸さなければならないのか。

 第一、女神さまの言う通りに何でもしなくてはならない法律も理屈もない。

 女神とは、国の危機に訪れるという救世主だ。

 しかし、今は賢君の御代。国民は平和を謳歌している。

 所詮、彼女は役立たずの女神さまだった。


 だが、彼女は幾度も小菊の前に現われた。毎日は来られないのか、折を見ては小菊を呼びとめる。

 小菊は王宮に仕える女官だ。王命で大切な客人として扱われている彼女を無碍には出来ない。できないが、すべてのことに言うことを聞かなければならないことはない。

 けれど、小菊の無視にも彼女はめげなかった。

 たいてい、小菊は先輩女官の荷物をいっぱい抱えている。雨の日には傘をかかげてくれた。風の日にはどこから手に入れたのか大仰な外套で小菊をかばってくれた。

 彼女は手ぶらでは来なかった。いつだって、甘いお菓子を持ってきた。


 ある日、とうとうそれを先輩女官に見咎められてしまった。


「申し訳ございません。女神さま!」

 その先輩女官は女神さま付きではない。もっと高級な女官が女神さまにはつけられていたし、この先輩女官が言っていたのだ。今代の女神さまは役立たずだと。

 そんな言葉を忘れたかのように、先輩女官は口奇麗に女神さまに謝罪をつらつらと並べたて、あげくに果てには、小菊の家のことまで持ち出してきた。

 小菊の家は裕福だ。けれど、貧しかった。とにかく、十一人もの弟妹たちを満足に食べさせていくということは、いくら見入りが良いからと言って両親で賄いきれるものではなかった。

 だから、裕福な貴族の娘ながら、小菊はこんな下っ端女官として王宮に上がったのだ。地元の目につく仕事はやり尽くした。それでも足りなかったから、小菊は知人の貴族に頼み込んで王宮に来た。いくら下っ端でも女官であれば、他の仕事などよりもずっと給金がいい。

 一通り先輩女官の話を聞いた女神さまは、のんびりと笑った。

「いいのよ。私がこの小菊にお話を聞いてもらっていたの」

 周りの女官は皆年上ばかりで同じ年頃の娘が珍しかったのだと。

 女神さまは、そんな一言で先輩女官をあっさりと引き下がらせてしまった。


 さっさと去っていく先輩女官の背中を眺めながら、小菊は唸るように吐きだした。

「……何が望みですか」

 女神さまは、にっこりと微笑んだ。

 そして、彼女が望んだものは、ひどく小さなものだった。


 まず、服とくつ。まさか女神さまの格好で働けはしないから。そして小菊の遠縁で、田舎から出てきたという証言。そして、王宮で見つくろって欲しいと言われたのは、下女の仕事だった。

 この国には奴隷はいない。けれど、下女の仕事は女官よりもきついものだ。掃除に洗濯からありとあらゆる雑用まで。身分の低い者がどこかの貴族に紹介状を書いてもらえば、すぐにでも就ける仕事だ。

「あなたには決して迷惑はかけないわ。その証拠にこれを」

 手渡された包みは重かった。およそ小菊が手にしたこともない、大金。これがあれば、広いばかりの屋敷の修理が出来るのではないか。少ない使用人にも給金を充分に出してやれる。

「月に一度、これだけのお金をあなたにあげる。だから、あなたは私の身元を保証してくれればいいの」


 何の苦労もせず、小菊がすることと言えば、粗末な服とくつを用意して彼女の身元を保証し、下女の世話役に彼女を紹介するだけ。

 話がうますぎる。

 思わず疑って彼女を見つめるが、世間知らずが服を着て歩いているような女神さまが嘘をついているようには思えなかった。

 そして、このうまい話は彼女の言葉を寸分も違わず、毎月繰り返されたのだった。


 初め、小菊は半信半疑で、しかし先輩女官の小言から救ってもらったことと、すでにすぐには返せない金を受け取ってしまった(屋敷の雨漏りがいよいよひどいと故郷の弟から手紙を受け取った直後だった)ので、粗末な服を用意し、まるで少年のようになった女神さまを連れて下働きの世話役に紹介したのだった。

 王宮で働いて二十年は経つという、皆に女将さんと呼ばれている年嵩の女は女神さまをじろじろと眺めたあと、小菊に視線を落とした。

「本当に、こんな細い子供が役に立つのかい」

 幸いにして、女官ではない彼女が女神さまの顔は知らないようだ。それは他の者たちも同じようで、小菊は胸をなでおろした。

「私の遠い縁者なのですが、家族を早くに亡くしてさまよっていたところを私の家で匿ったのですが、恥ずかしながら私の家も余裕がなく、彼女も働きたいと申しますので、こちらで面倒を見てはいただけませんか」

 そういう理由は多いのだろう。

 女将はふくよかな体を揺らして鷹揚に頷いたので、女神さまは小菊の隣で頭を下げた。

「マユと言います。よろしくお願いします!」

 さっそく女将に仕事のことを聞いていく女神さまを見ながら、小菊は驚いた。

 小菊は、今の今まで、彼女の名前を知らなかった。


 それから、マユは下女として働き始めた。

 毎日部屋を抜け出してくるのだろう。彼女はよく務めた。

 けれど、小菊が感じた最初の印象通り、彼女にとって下女の仕事は慣れないことの連続だったらしい。

 仕事が終わると女官棟の隅でいつも泣いていた。

 肥溜めの掃除は下っ端の下っ端の仕事だ。夏でも冬でも誰かがやらなければならない。

 最初のころ、マユは茂みの奥で吐いていたことを小菊は知っている。

 寒かろうが水仕事は当たり前なので、彼女の白かった指はみるみる内にあかぎれだらけになった。

 しかし、泣こうが、怒鳴られようが、マユは辞めなかった。

 その甲斐あってか、冬が過ぎて春になる頃には彼女は下女の仕事をすべて出来るようになっていた。



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