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女神さま おちた  作者: ふとん
女神さまのお話
11/19

怖い顔してるよ

 初めて見つけた女神さまは、彼の職場で泣いていた。

 黒の長い髪、黒い瞳、細い体に長い手足。この国、最高級の着物を身に着け、細い首や小さな耳には重いほどの宝石をつけられ、結いあげられた髪にさえ滅多に見かけないほどの髪飾りが光っている。

 けれど、その彼女自体はまるで鎖に繋がれた猫のようにうずくまって、衣裳とは比べものにならないほど質素な書庫の長椅子に座り込んでいる。

「―――こんばんは」

 なるべく怖がらせないように声をかけると、小さな顔が彼を見上げた。

 目が真っ赤になっている。それを見とがめられたと思ったのだろう。

 彼女は必死になって目をこすった。

―――それでは、似合わない化粧も剥がれ、彼女の目も余計に赤くなってしまう。

 手巾を差し出してやるが、彼女は受け取らなかった。


 それが、明即と繭の出会いだった。



 明即は飽いていた。

 それは、思い出せばキリなどなく、ほとんど物心つく頃にはその傾向があったようにも思われた。

 生まれてすぐに実母に疎まれ、五歳になる頃には乳母の手も借りずに明即は離宮を出た。実母はその後、三年もしないうちに自ら世をはかなんでしまったが、明即にとっては当然のように思えた。彼女は王の妾として召し上げられながら気が弱く、そして正妃に先んじて男児を産んでしまったことに脅えていた。だから明即に対してほとんど愛情らしい愛情も注がず、ほとんど恐怖の対象である王に似た息子にさえ怯えた。明即から遅れて一年後、正妃が男児を産んだことも彼女の精神を多大に揺るがせたのは言うまでもない。

 そんなこともあり、実母から離れて暮らしていた明即が弟と出会ったのは、明即が五歳で良家の子女が通う全寮制の学院に厄介払いされる直前まで無かったのだった。

 腹違いの弟、崇鵬は利発な子供だった。多くの家庭教師に囲まれ、誰からも愛されて育ったにしては自分と明即の立場をよく理解した。だから、一つ年上だがほとんど仮面のような顔をした兄に、彼も愛想笑いで形式的な挨拶を終えた。

 挨拶を終えてから、明即は弟が王になるだろうと考えた。年の割に聡い彼は、明即に無邪気な子供の憧憬を向けはしなかったから。

 継承権争いになれば、明即は第一に担ぎ出される立場にあるが、そんなことが起これば真っ先に冥界でも怯えて泣き暮らしているであろう実母に会いに行ってやろうとさえ思った。それは、実母への思慕ではなく、明即を死ぬまで疎んだ彼女への復讐にも近かった。

 あまりにも世を厭う明即が国政に興味を抱いたのは、皮肉なことに実母が死ぬきっかけになった正妃の存在だった。

 彼女は実に正妃らしい女性で、美しく聡明で、そして慈愛に満ちていた。そしてその慈愛を、明即にまで向けたのだ。貴族の彼女にしてみれば、最初に妾が男児を産んだという屈辱を、明即に目をかけるということで昇華していたようだ。彼女の同情と優越の混じった憐れみを断る理由もない明即は、されるがままに弟と比べられる生活を送ることを享受することにした。どのみち十八になるまで学院を出られることはなかったので、里帰りに顔を出す度に弟の自慢話を聞かされる程度の苦痛ならば明即にとってどうということでもなかったのだ。

 それが、十六の年に転機が訪れる。王が早逝したのだ。まだ四十代の病死。毒殺の噂も流れたが、明即は限りなく自殺に近い病死だと思っている。彼は一日の大半を執務室で激務をこなし、夜にほとんど眠ることが無かったという。その代わり、彼は国民にも貴族にも愛された王だった。

 急遽、学院から呼び戻された明即は、残された弟と正妃に連なり葬列に加わった。

 父という意識はなかったが、普段は何が起ころうと顔色ひとつ変えない弟が珍しく苦痛に顔を歪め、常に気高くあろうとしていた正妃が泣き崩れるのを見つめ、明即は初めて自分が住む国について考えるようになった。

 それからの明即の行動は早かった。弟を王にするべく継承権を放棄し、辺境中の辺境の南概という領主に収まり、そして王となった弟には何かあれば必ず力になると誓約した。

 そうして、八年近く経った。

 弟は王として独り立ちし、元々の土台は最高のものだった国を安定させた。

 そうなれば、着々と辺境で力をつけていた明即が疎ましくなるのは、人の情としては正しい反応だ。

 しかし、内政の勢力争いに頭を傾けつつある弟は、明即から見て危うかった。どちらかに傾くということは、片方は手薄になるということだ。

 それを分からせるためにも、下手をすれば国が滅ぶ前兆にもなり得る戦を起こした。結果としては、明即が前線に送られ、危惧が明るみに出てしまっただけだったが。


「明即!」

 夜の書庫の奥にまで響く声を聞いて、明即は行燈に火を入れた。

 まさか、慌てた大臣が異世界から女神さまなるものを召喚までするとは、明即でも驚いたものだ。

 書架から顔を出すと、初めて会った時よりも幾分、小奇麗になった少女が居た。

 年は十七歳だと言った。ちょうど、明即が南概の領主になった頃と同じ年。しかし、こんなにも可愛げがあっただろうかと、明即を見上げて「どこに居たの」と唇を尖らせる少女を見ながら思う。

「こんばんは、お嬢様」

「こんばんは」

 この可愛らしい女神さまは、こちらの言葉を丸きり知らないで落された。翻訳するような便利な道具はないので、彼女は今、必死に言葉を覚えようとしている真っ最中だ。この頃には、明即の名前を理解し、簡単な会話ができるようになっていた。

 すでに、明即は大臣の間者であることは伝えてある。王宮に居る大半の者がこの何も知らない少女をまるで頭の出来の悪い小娘のように扱っていることが、明即にしてみれば失笑を押さえられない。彼女は見た目ほど頭の悪い娘ではない。

 彼女のやっていることはほんの少しのことだ。何かを尋ねられても首を傾げる。質問には適当に答える。決して賢しいことは言わない。

 書庫で泣いていた彼女と出会っていたので、明即は昼間の彼女が演技をしていることはすぐに分かった。

 しかし、彼女は慎重だった。長年築いてきた明即のほとんど完璧と言っていい人の好さそうな仮面をもってしても、彼女が書庫へ安心して来るようになるまでひと月以上かかった。その上、明即が実は大臣の間諜であることも教えるという、明即にしてみれば恐ろしいほどの譲歩をして。

 彼女のことを知れば、それは当然のことだった。

 明即と違い、彼女は命がけでこの演技を続けているのだから。

 だから、明即は彼女にとってはとても重要なことを、伝えることにした。

「どうですか。最近は」

 聞き取りやすいようにゆっくりと喋ってやると、うん、と一つ肯いて、彼女はいつものように俯いた。昼間では、誰にも見せない本当の彼女。

 彼女はたどたどしく、明即に弱音を吐いていく。

 食事が合わず、お腹を壊してしまったこと。

 衣装が重くて、いつもつまずきそうになること。

 貴族のお嬢様たちの会話は他人の噂話や悪口ばかりでいつも気が重いこと。

 羅心の勉強は面白いがそれを言えないこと。

 最後にはいつも呟くセリフがある。

 イエニカエリタイ。

 異世界の言葉だ。けれど、予想がつかないはずもなかった。

「あなたに話しておかなくてはならないことがあります」

 見上げた黒い瞳に明即が映った。

 明即は、傷ついた小動物にさらに無体を働くような気分になった。

 なぜ、自分が彼女に話してやらなければならないのだろう。

 それは、曲がりなりにも彼女の庇護者となった弟の崇鵬の役目だ。しかし、彼は一向に王宮に馴染めない彼女を既に見限っている。王の態度は臣下にも伝染する。この小さな少女を召喚することを強引に勧めた大臣たちでさえ、彼女の処遇を決めかねていた。

 お払い箱ならばまだいい。最悪は、処分だ。

「あなたはもう、あなたの世界には帰れません。この世界には、あなたを帰す術はないのです」

 明即がこれを告げたのち数日、彼女は書庫へ現れなかった。


「あなたは、あの少女をどうするつもりなのですか?」

 王の私室で行われる定期報告の際に、明即はつい口にした。

 書面に視線を走らせていた弟は自室の椅子に腰かけたまま、報告書から顔を上げて訝しげに明即を見遣る。

「見たのですか」

 私室には兄弟以外に誰もいない。だからか、崇鵬は明即に敬語を使って憚らない。明即の方は、すでに口調として癖になっているので、わざわざ直そうともしていないが。

「これでも王宮で過ごしていますから」

 明即の言葉に、弟は珍しく黙り込んだ。彼は頭がいいので、他人との会話で自らが口ごもることはあまりない。

「―――兄上であれば、どうなさいますか」

 珍しいこともあるものだ。

 崇鵬が意見を求めるなど、明即はほとんど記憶にない。

 面白がるさまは見せず、明即は考えるように目を細めるにとどめた。

「元の世界に返せず、寄る辺もない少女を一人放り出しては、外聞は悪いでしょうね」

「兄上は、あれをご存じないと見える」

 崇鵬はそう吐き捨て、あの娘がいかに愚かかを並べた。

 いわく、何かを期待するような目がうっとうしい。

 いわく、彼女の希望が毎回高額に規模の大きいものになっていく。

 いわく、女神とは男に媚を売るために召喚されるのか。

 弟が不機嫌に言うさまを見ながら、明即は己の心が冷えていくのを感じた。


 唐突に、飽いた。


 女神の意味を、理解できたような気がしたからだ。

 崇鵬が言った彼女の表向きのさまは、まさに今の国の状態なのだ。

 誰もが上を向き、何かを望み、自身の足元に目を向けない。

 上昇志向は必要だが、片寄りは良くない。ましてや権力者ともなればなおさら。

 女神とは国の危機に訪れる、最後の僥倖だ。

 彼女を通して己を見つめ、国を見つめ、初めて彼女のありがたさを感じるのだろう。

 特別な力などそこにはない。

 国に囚われない、憐れな女性を人柱に、国を築くのだ。

 もしも、明即の仮説が正しいのであれば。

 確かに崇鵬が彼女を妃に迎えればいいのだろう。

 彼女が疎まれるにせよ、殺されるにせよ、それは国のためになる。

 しかし、と明即は思う。

 誰かの犠牲、しかも何も知らない女たちを犠牲にするような国は、いっそ滅びてしまえばいい。

 崇鵬の代で国が滅びるようなことにはならないだろう。しかし、彼がその国政の方向を修正しなければ滅びは確実に訪れる。

 それは、明即が少し手心を加えるだけで、実に容易く。


 崇鵬の破滅的な未来を見通して、寝所に大人しく戻る気にもなれず明即が書庫に行燈を向けると、

「―――お嬢様?」

 いつもの長椅子に、着物の裾が邪魔なのか払いのけてうずくまっている少女が居た。

「遅い」

 数日ぶりだということを忘れたような口ぶりに、明即は思わず苦笑する。今まで国を滅ぼすことに傾いていたものが天秤の皿から逃げいくような。

「久しぶりですね。本日はどうされたのですか。おやつのお菓子が美味しくなかった?」

「何処に行ってたの」

 居眠りするほど待ちくたびれたという彼女は、大きく伸びをする。もう会話に差し支えないほどの単語を覚えたようで、明即の言葉もきちんと理解しているようだった。

「怖い顔してるよ」

 見上げた彼女が、泣くように笑った。

 明即は、長い溜息をついた。

「給料が減りそうなのですよ。大臣からの依頼が減りまして」

「いいことじゃない」

 悪いことは嫌いだ、と少女が笑う。

 元来、明即に厳密な良い悪いを決める判断基準はない。

 必要か、そうではないか。

 

 ならば。

 この優しい彼女が欲しい。

 彼女は、今この時この国を滅ぼすと決めた明即にこそ訪れた女神さまなのだから。


 笑う少女を眺めながら、明即はひっそりと笑った。


 国も名誉も地位もくれてやった。

 だから、最後の飴をくれてやろう。

 国を滅ぼすか、少女を差し出すか。

 最初で最後の、勝負をしようじゃないか。 

 愛しい愚かな弟よ。


このお話で一応終わりとつけさせていただきます。

番外編を書く場合はまた項目作ります。

お読みくださり、ありがとうございました。

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