7.美酒に沈む娘
7.美酒に沈む娘
金曜日の夜。歌舞伎町のホストクラブ「キングダム」は、重低音と黄色い歓声で揺れていた。
「あーよいしょ! 姫の瞳に乾杯! ピンドン入りましたー!」
No.1ホスト、レンのテーブルでは、主婦の美奈子が夢見心地でグラスを傾けていた。 彼女は夫の給料と子供の学資保険を解約した金、そして阿久津から借りた二百万円を、今夜の「ラストソング」のために注ぎ込んでいた。
「美奈子さん、愛してるよ。今日こそ俺をナンバーワンにしてね」
「うんっ! レンくんのためなら、私なんだってできる!」
美奈子は現実を見ていない。家で腹を空かせている三歳の娘のことも、カード会社からの督促状のことも、この煌びやかな照明の下では存在しないことになっている。
その時、店内の空気が変わった。 黒いスーツの男たちが、静かに店に入ってきたからだ。先頭を歩くのは、阿久津。そしてその腕には、小さな女の子が抱かれていた。
「……え?」
美奈子の動きが止まる。 阿久津に抱かれているのは、彼女の娘、**結衣**だった。パジャマ姿で、手には汚れたウサギのぬいぐるみを握っている。
「美奈子さーん! お迎えに来ましたよー!」
阿久津の声は、マイクを使っているわけでもないのに、爆音のBGMを切り裂いて美奈子の耳に届いた。 ホストたちが音楽を止める。静寂が訪れる。
「あ、阿久津さん……? なんで、結衣が……」
「いやあ、ご自宅に伺ったら、この子が一人で泣いてましてね。お母さんはどこかなーって探したら、ここだって言うじゃないですか」
阿久津はニコニコしながら、結衣をテーブルの上に座らせた。高級なシャンパングラスの横に、薄汚れたパジャマの幼児。そのコントラストは残酷なほど鮮烈だった。
「マ……ママ……?」
結衣が怯えた声で美奈子を呼ぶ。 しかし、美奈子は娘を抱きしめることもしなかった。隣にいるレンの視線を気にしているのだ。
「ち、違うのレンくん! これは親戚の子で……!」
美奈子は叫んだ。 レンの顔から表情が消えた。彼はプロだ。金のない女、そして「生活感」を持ち込む女には興味がない。
「……美奈子さん、帰んなよ。子供、可哀想じゃん」
レンの冷たい一言。それが美奈子の世界の崩壊の合図だった。 愛の言葉も、ナンバーワンの夢も、すべては金でメッキされた幻だった。
「嫌ぁぁぁ! 帰らない! レンくん見捨てないで! お金ならあるの! まだ借りれるの!」
美奈子は錯乱し、テーブルの上のシャンパンボトルを掴もうとした。 その手が、結衣に当たった。 ガシャーン! ボトルが倒れ、結衣の頭から高価な酒が降り注ぐ。
「うえぇぇぇん!」
泣き叫ぶ娘。 呆然とする美奈子。 そして、その光景をスマホで撮影し始める周囲の客たち。
阿久津は、懐から一枚の請求書を取り出し、濡れたテーブルに貼り付けた。
「はい、今夜の代金と、これまでの借金。……美奈子さん、君は『母親』を辞めて『女』を選んだ。その代償は払ってもらうよ」
阿久津は泣きじゃくる結衣を抱き上げることなく、冷ややかに見下ろした。
「結衣ちゃん、よく見ておきな。これが君の値段だ」
美奈子は崩れ落ちた。 彼女の人生は、こぼれたシャンパンのように、もう二度とグラスには戻らない。




