3.口封じのホッチキス
3.口封じのホッチキス
午後六時。 窓の外、歌舞伎町のネオンが瞬き始める時間だ。
次に現れたのは、仕立ての良いスーツを着た男、江口だった。 彼は「自己啓発セミナー」の講師を名乗る詐欺師であり、同時に重度のギャンブル中毒者でもある。
「阿久津さん、人間の可能性って何だか知ってますか?」
江口は座るなり、演説を始めた。彼の目は、自分自身の嘘を真実だと信じ込んでいる人間特有の、濁った輝きを放っている。
「それは『信じる力』です。私は今、バカラの罫線(出目表)に宇宙の法則を見出したんです。あと百万円あれば、私は億万長者になれる。これは投資です。私という未来への投資なんです」
阿久津は頬杖をつき、あくびを噛み殺しながら聞いていた。
「江口さんさぁ。あんた先月も『競馬新聞に神の啓示を見た』って言って五十万溶かしたよね」
「あれは! ……翻訳ミスでした。神の言葉を読み違えた私の責任です。でも今回は違う。確信があるんです」
江口はテーブルに身を乗り出した。
「阿久津さん、貴方はビジネスマンだ。リスクを恐れちゃいけない。私に賭けてください。私が勝てば、倍にして返します。いや、三倍でもいい!」
阿久津はゆっくりと引き出しを開けた。 取り出したのは、札束ではない。 一丁の、錆びついたホッチキスだった。
「……あの、それは?」
「江口さん。あんたの口、軽すぎるんだよね」
カチャン、と阿久津が空打ちをする。乾いた金属音が響く。
「言葉っていうのは重みがないとダメなんだ。あんたの言葉はヘリウムガスみたいに軽い。だから飛んでいっちゃう。……少し、重りをつけようか」
阿久津の目が笑っていない。爬虫類の目だ。 江口の顔から、「自信」というメッキが剥がれ落ちていく。
「じょ、冗談ですよね? 阿久津さん、暴力は野蛮ですよ。我々は文明人だ、言葉で解決しましょう」
「だからさ。あんたの『言葉』を物理的に固定しようって提案をしてるんだよ」
阿久津が立ち上がる。 江口が後ずさりし、ソファの背もたれに激突する。
「ひっ……! わ、わかりました! 帰ります! お金はいいです!」
「おや、ビジネスチャンスをドブに捨てるのかい? 宇宙の法則はどうした?」
「う、宇宙は……今日は曇りみたいです!」
江口は脱兎のごとく部屋を飛び出した。 ドアがバタンと閉まり、廊下を走る足音が遠ざかっていく。
阿久津はホッチキスをデスクに戻し、ため息をついた。
「……つまらないねえ。自分の嘘に命も張れない奴が、勝負事で勝てるわけないのに」
「社長、彼、財布忘れていきましたよ」
金城がソファの隙間から、ルイ・ヴィトンの長財布を拾い上げた。 中身を確認する。現金は千円札が一枚。あとは期限切れのクレジットカードと、消費者金融のカードが五枚。
「中身抜いて、ゴミ箱に捨てといて。千円は今日のコーヒー代だ」
「了解です」




