1.首輪のナンバーワン
1.首輪のナンバーワン
雑居ビルの一室。「スマイリー・ローン」の事務所に、パチン、パチンという爪切りの音だけが響いている。
代表の阿久津は、足元に土下座している男に目もくれず、自分の親指の爪を丁寧に整えていた。 床に額を擦り付けているのは、ホストの翔。ブランド物のスーツは膝が擦れ、整髪料で固めた髪からは脂汗が滴り落ちて、床に小さなシミを作っている。
「……で?」
阿久津が爪切りを置いた。その軽い音に、翔の肩がビクッと跳ねる。
翔た。午後三時。
「時間だ」
阿久津が短く言うと同時に、ドアが開いた。 入ってきたのは、地味な服装の女、マユミだった。手にはスーパーの袋と、茶封筒を持っている。
翔が振り返る。 「マ、マユミ……? なんでお前がここを知って……」
マユミは翔の問いには答えず、無言でテーブルに茶封筒を置いた。 中から二百万円の札束が出てくる。帯封がついたままのピン札だ。
「これで、翔くんのツケと借金、全部でいいですか」
マユミの声は平坦だった。怒っているようにも、悲しんでいるようにも聞こえない。ただ、スーパーで大根の値段を確認する時のような事務的なトーンだ。
「確かに。利息分はおまけしとくよ」
阿久津が札束を数えることなく引き出しに放り込む。 借用書を取り出し、ライターで火をつけた。紙がチリチリと燃え、灰皿の中で黒い灰に変わっていく。
翔が呆然と立ち上がった。 「マユミ、お前……金あったのかよ! 助かった、マジで愛してる! 今度埋め合わせ絶対するから!」
翔がマユミの肩に手を回そうとする。 その瞬間、マユミがスーパーの袋から何かを取り出した。
首輪だった。 大型犬用の、太い革製の首輪。
「え?」 翔が固まる。
マユミは無言のまま、翔の首にそれを巻き付け、カチャリとバックルを留めた。サイズはあつらえたようにぴったりだった。
「行こ、翔くん」
マユミがリードを引く。翔は抵抗しようとしたが、足が動かない。マユミが初めて翔の目を見た。その瞳は笑っていなかったが、口元だけが微かに緩んでいた。
「もうイベントとかいいから。家でずっと、私のことだけ考えてればいいの」
翔が助けを求めて阿久津を見る。 阿久津は、また爪切りを手に取っていた。パチン、と小指の爪が飛ぶ。
「よかったな、翔ちゃん。お客様は神様だ」
マユミがリードを強く引く。翔はよろめきながら、ズルズルと出口へ引っ張られていく。 「嫌だ、待って、離せよ!」と叫ぶ翔の声は、廊下へ出た瞬間に聞こえなくなった。エレベーターの扉が閉まる音が、この件の終了を告げた。
阿久津は切った爪をフッと息で吹き飛ばし、独り言ちた。
「さて、次は誰の人生を買い叩こうか」




