記憶のメルクリウス
ーこの街には、一人の殺し屋がいるらしい。
そいつは誰かの「いらない記憶」と引き換えに願いを叶えてくれるんだと。
悲しい過去、辛い思い出、もちろんくだらない記憶でもいい。全部取引材料になってしまう。
その殺し屋の名は、メルク。奴はこの荒廃した都市のはずれーメルクリウス地区に現れるらしい。記憶の殺し屋』だか『願いを喰らう男』やらそんな肩書きを引っ提げて。
でも俺は、一度だけあいつを見たことがあるんだ。黒いコートを翻してみたいに消えちまったその姿を.....目だけは覚えてる。あの異様な目つきは、不気味で仕方なかったね。
興味があるなら行ってみたらどうだ?メルクリウス地区に。願いと引き換えに記憶を置いていく......それが怖いのかありがたいのかはお前次第だ。
ディストビアと称される裏社会の街、『ノクタリカ』。組織はそれぞれ域に管理され、ギャングやらゴロツキがそこかしこにいる。ジュピター地区、サターン地区.....異彩を放つ地区たちの中でも特に有名なのが、メルクリウス地区。コレと言って目立ったものはないが、そこには人々が訪れる。記憶の殺し屋、メルクに会うために一。
複雑に入り組んだ裏路地に座り込む一人の男。彼はずっと手元のスマホに目を落としていたが、ふいに奥へ視線を移した。そこには15歳くらいの少年が立っている。銃とスーツ姿で、目には眼帯をしていた。
「お前が『記憶の殺し屋』メルクか?」少年の問いに、男は冗談を交えた口調で返した。
「よくここまで来れたな、坊主。ギャングどもを追っ払うの大変だったんじゃねえの?」「答えになってねえぞ。」
不満げな少年に苦笑しながら男はタバコを差し出した。
「ああ、そうだよ。俺がメルクだ。依頼か、坊主?」「そうに決まってんだろ。あと俺の名はマージだ」「そうか、マージ......親父さんは元気でやってんのか?」
メルクの発言に、マージは「どうしてそれを知ってるんだよ?」と覧いたように目を丸くした。メルクは微笑みながら続ける。
「依頼を受けたことがあるんでね。あんたの親父さんはマーズ地区のボスだろ?」「そうだ。まあでも一年前に死んだかな」
衝撃の事実を聞いてもメルクは態度を崩さず「そいつはご愁傷さまだな」とタバコをふかし続ける。マージがしびれを切らしたように「俺の依頼はただ一つ。親父を殺したウラス地区のマフィアどもに復讐してくれ。俺の記憶だったらいくらでもやる」と叫んだ。
「おいおい待てよ。お前の記憶なんてそんなに多くはいらねえ。不要な記憶とかでいいんだよ。消しゴムの角を使ってしまった、とかね」「は?消しゴムの角って......ふざけてるのか?」すべてを失う覚悟で来ただけに、マージはぼかんとした顔で呟いた。
「ふざけてなんかいないさ、逆にそれっぽっちの代で復響できるなんて最高だと思わねえか?く重い記憶しかないやつに比べたらよっぽどマシだ。」
マージは呆然としていたが少し考えたあと、「....じゃあ、コレはどうだ?シャーブペンを直そうとして逆に壊してしまったとか」と首を傾げる。
「よし、契約成立だ。こういう記憶を待ってたんだよ」
メルクは「ほんとにそんなんでいいのかよ!?」とれるマージをゴミ箱の上に座らせ、ヘッドホンを被せた。
「んじゃあ、いただくぜ。『シャープペンを直そうとして逆に壊してしまった記憶』、と。」
記憶の受け渡しは数秒で終わった。マージからヘッドホンを外し、メルクは「どうだ?自分が何を渡したか覚えてるか?」と問いかけた。
「え..?」
「よし、忘れてる。んじゃさっそく行くとするか」まだ頭のぼんやりしているマージの腕を掴み、メルクは歩き出した。
「俺の親父の敵は『氷牙のルシュ』ってやつだ。あいつは親父に姉を殺されてる」
「ルシュか、たしかそいつからも依頼されたことがあるな」
「なんの依頼だよ?」
「違う違う。お前の親父さんをやれとは言われてねえ」
「復讐の連鎖ってわけだな」
「ま、そういうことだ。俺のせいでこんなくだらねえ連鎖が起こってるなんて笑えるよな」「そう思うならどうしてやめないんだよ?」
「やらなきゃいけねえことがあるのさ」「やらなきゃいけないこと?」「そう。あとでお前にも教えてやるよ」
そうこうしてる間に、彼らはウラス地区の境界までたどり着いていた。本来ならここで厳正な審査が必要だが、さすが記憶の殺し屋、顔が知れているのかあっけなくバスした。
「さーて、あいつはどんな顔を見せてくれんのかな」
廃工場へ入っていく一同。そこにいたのは間違いなく、氷牙のルシュだった。20代くらいの美青年で、髪色と同じアイスブルーの瞳が、ゆっくりとこっちを見る。
「メルクか、久しぶりだな。そのガキは.....」「お前に親父を殺された......マージだ。お前の罪を償ってもらおうか」
マージが銃を構える。当のルシュは「そうか。俺はお前を悲しませちまってたってわけだな」と自嘲気味につぶやいた。とても悪意のある顔には見えない。
「まさか......」
はっとした顔でメルクを見るマージ。メルクはこくりと頷いた。
「ルシュが提供したのは.........親父さんを撃ったときの記憶さ。あいつはよく調べもせずにことを起こしちまった。姉費をやったのは別人だと知ったのは、撃ったあとだった。あいつはずっと後悔して......俺に記憶を渡したのさ。現にこいつは記憶を渡してから人を殺してない」
「そんな......」
マージが統を取り落とした。告げられた真実の重さに、眼の前が歪んで見える。
「真実を変えたのはサターン地区の奴らだ。あいつらがお前の親父さんとルシュの姉貴に手をかけた。」
そんなことも知らなかったなんて..・・・サターン地区の奴らに復響する気も起きなかった。
呆然としたまま立ち尽くすマージを、ルシュが抱きしめる。
「今までずっと忘れてた、お前の父は何も悪くない。本当にすまなかった.....!」先程まで復讐に燃えていた少年の頰を一粒の涙が伝った。ゆっくりと振り返り微笑むマージ。
「じゃあ......俺の復讐は終わりだ。メルク、頼む」
「ああ。」
メルクがマージに再びヘッドホンを被せる。その夜、ノクタリカから一つの悲しい記憶が消えた........
ルシュと別れたあと、マージはメルクに問いかけた。
「なあ、お前はなんで記憶を集めてるんだ?あとで教えてくれるって言ってただろ」
「うわ、覚えてたのか。その記憶も消しときゃよかった」メルクは失敗したな、という風に微笑み「誰にも言うなよ」と語りだした。
この世界は、もうすぐ滅ぶ。政府の奴らから盗み出した情報さ。何でも、有毒ガスが延し始めてるんだってさ。俺達が生きてた軌跡も、すべてなかったことにされちまう。そんなのは救いがなさすきるだろ?だから、俺は記憶の図鑑を作ることにした。俺達が生きていた軌跡を、証拠として残すんだよ。ほら、あんたからもらった記憶もこのユーエスピーに入っている。いい記憶だったぜ、シャープベン壊しちまったってのは。
「世界が減びるって......余命宣告された気分だ。」
「だよな」
二人の間に沈然が走る。最初に口を開いたのはマージだった。
「俺にも手伝わせてくれないか、その図鑑づくり。証拠を残すのも、悪くねえ気がする」「オイまじかよ、結構ハードだけどほんとにやんのかよ?」
「これでも俺はギャングだぜ?」「はは、忘れてた。んじゃあ、よろしく頼むぜ相棒。」
「ああ。」
滅亡のカウントダウンとばかりに白み始める空をバックに、二人は始まりのグータッチを交わした。
XXXX年後
「なんだコレ、ユーエスピーか?」
「開いてみる価値はあると思うぜ、過去の物だからな」
二人の発掘隊員が、廃墟と化したメルクリウス地区の片隅でユーエスピーを開いた。そこには、人々の『生きた証拠』があった。
No.019 人を殺めた記憶
No.020 シャープペンを壊した記憶
No.021 忘れたい復讐の記憶
No.1000 殺し屋の記憶