山伏鉄鉱山
秋田から岩手へ。隣県とはいえ、さすがは本州一の広さを誇るだけあって、車での移動にはそれなりの時間がかかった。
到着した頃には、二人とも体中がバキバキに固まっていた。
明宏の声に、裕司は重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。目に飛び込んできたのは、一面に広がる鬱蒼とした森。濃い針葉樹が立ち並び、昼間だというのに薄暗く、不気味な雰囲気を醸し出していた。
明宏が車を止めたのは、舗装もされていない、土が剥き出しになった簡素な駐車スペースだった。
二人は車から降りると、長時間の移動で固まった体をググっと大きく伸ばす。
「はあ…疲れた!でも、いい雰囲気の場所じゃない?」
明宏の言う「いい雰囲気」とは、当然ながら不気味でアレが出そうってことだ。ゾクリと後悔の波が裕司の胸をよぎるが、明宏はまったく意に介さず、後部座席から手早く撮影機材を取り出していく。
「裕司、このカメラで撮影頼む。電源はここ、録画ボタンはこっちで‥‥」
使い方を教わりながら、裕司は心のどこかでわずかな高揚も感じていた。これで自分もYouTuberの一員になれたような特別感があった。
───
鉱山跡の入り口には、朽ちかけた木製の看板が立っていた。風雨にさらされた板には、かすれた文字で「山伏鉄鉱山跡地」と記されている。
「よし、ここから撮影スタートしよう。裕司、カメラお願いね」
裕司がカメラを構えると、明宏はレンズの先で慣れた口調で話しはじめた。
「どうもみなさん、こんにちは!今日は岩手県遠野市にある――山伏鉄鉱山跡地にやってきました。ここは、先日ニュースになった“大学生10人不審死事件”の前日に彼らが訪れていた場所です。山伏鉄鉱山はかつて1930年代まで稼働し、大規模爆破事故で約1000人の鉱夫が命を落としたと言われています。地元では霊の目撃情報も多い心霊スポットです。今回は、彼らが最後に何を見たのか、その真相を探っていきたいと思います。それでは、行ってみましょう!」
「はい、おっけー、止めていいよ」
明宏はカメラを構えたままの裕司に向かって、手を挙げて合図を送った。
「おーい、聞いてる?」
だが裕司は反応しない。
その様子から、カメラのレンズ越しに何かをじっと見つめていることがわかった。
「ねえ、何見てんの? 面白いものでも写った?」
すると、裕司の手からカメラがゆっくりと下がる。
「なあ……ここって、もう閉山してるんだよな?」
裕司は不安げに辺りを見回した。
「俺たちの車しか……ない、よな?」
その様子に、さすがの明宏も眉をひそめる。
「何言ってんだよ。当たり前だろ。どうしたんだよ?」
「さっき……あの道を、若い女の人と、小さい女の子が、手を繋いで歩いていったんだ」
裕司は森の奥へと続く暗い山道を指差した。
明宏は引き攣った笑みを浮かべながら、無理に笑ってみせた。
「やめろって。俺がこんなとこ連れてきたから、冗談言ってんだろ?」
裕司の表情はかたいまま、目の奥が笑ってなかった。
「明宏……やっぱりここ、ヤバいよ。このまま進んだら、俺たち帰れない気がする。嫌な予感がするんだ」
「はぁ?お前、ここまで来て何びびってんの?」
言いながらも、明宏の心のどこかでは、ここが本物の心霊スポットなのかもしれないという恐怖と好奇心がせめぎ合っていた。だが結局、好奇心の方が勝った。
「もういいよ。裕司はここで待ってて。どうせ坑道の入り口は封鎖されてるだろうし、そこまで俺ひとりで見に行ってくる」
少しいじけながら、裕司の手からカメラを取ると、明宏は背を向け、森の奥へと続く山道を足早に進んでいく姿を、裕司は不安げな表情で見送った。
明宏が、歩き始めてから20分程が経過していた。カメラを回しながら、実況を続ける。
「さすがに閉山されてから長いこと放置されてるだけあって、道がひどいですね。大きな石や雑草で足元がかなり悪いです。はぁ、はぁ……鉱山の入り口までは、けっこう距離ありますね……」
息を切らしながら、それでも淡々と語り続ける。
「実は今日、高校の友達と一緒に来てるんですけど、そいつが変なこと言ってたんですよ。若い女性と、小さな子どもが手を繋いで、この道を歩いて行ったって……。やっぱり、ここには何か“いる”んですかね……?」
はぁ、はぁ……と荒い息が録音されていくなか、ふと明宏の足が止まる。
「あっ、あそこ……!入り口が見えてきました」
目の前に現れたのは、無骨なコンクリートで造られた坑道の入り口だった。経年によって黒ずんだその表面は、まるで山が口を開けたように、ぽっかりとした暗闇をたたえている。坑口の上部には緑がかった文字で何かが書かれた古びた看板があり、風雨に晒され掠れてはいるが、《山伏鉄鉱山》と書かれているのが辛うじて読み取れた。
坑道の奥は完全な闇に沈み、内部に続く細いレールがかすかに地面を走っている。そのレールは、まるで地の底へと導くように、視線を闇の奥へ引き込んでいくようだ。
坑道の入り口には、経年による腐食で赤黒く変色した鉄格子が設置されていて、中に入ることはできない。
「うわー……なんか、思ってた以上に不気味ですね。例の大学生たちも、たぶんこの場所まで来たんでしょうか。中はこうして鉄格子で封鎖されてるんで、入るのは無理そうです」
特に目立った異変もなく、どこか肩透かしを食ったような気分になる。心霊スポット特有の緊張感はあるものの、何も起こらないまま終わるのかという物足りなさが残った。
「さて……一応、調べた話によると、この鉱山では夜になると奥から声が聞こえたり、足音が響いたりするって話ですが……うーん、昼間はさすがに静かなもんですね。大学生たちが事件の前日にここへ来ていたという噂もあるにはあるんですが……今のところ、そのことと事件との関係性は薄そうです。特に変わったものも見つかりませんでしたし」
明宏は軽く息をつくと、カメラに向かって最後の言葉を口にした。
「ということで、今日はここまでにしたいと思います。一日も早く事件が解決することを願って……ではまた次回、お会いしましょう」
明宏が山道に入ってから、1時間30が過ぎようとしていた。
Googleマップで調べたところ、ここから鉱山入り口までは30分ほどの道のりだ。
何もなければそろそろ戻ってきてもいい頃だ。
裕司は、明宏についていかなかったことを深く後悔していた。不安で冷たくなった指先を固く組み、小刻みに体が震えているのが自分でもわかる。
(無事に戻ってきてくれ……!)
そう祈りながら、組んだ指先にますます力を込めた。
すると、山道の奥に人の姿が見えた。軽快な足取りで、こちらに向かって歩いてくる。
「明宏!」
思わず声が出た。安堵が胸に広がり、裕司は大きく手を振る。
向こうもこちらに気づいたのか、ゆっくりと手を振り返してきた。
(よかった……)
しかし、
よく見ると明宏の背後に“何か”がいる。裕司は目を凝らしてみた。
「ひぃっ‥‥!!」
恐怖から声にならない音が漏れる。
それは、彼の上着の裾をそっと掴む青白い顔の小さな女の子だった。着物を着て、顔ははっきり見えないが、落ち窪んだ目のような黒い影だけが、じっとこっちを見ている。
「――あの時の‥‥?」
裕司は思わず目をぎゅっとつぶった。
心臓がバクバクとうるさく鳴り響き、息を飲んだ。
(今のは見間違いだ。そうに違いない……)
自分に言い聞かせるように心の中で呟く。そして、ゆっくりと目を開けると――
そこには、誰の姿もなかった。
「裕司、お待たせー!悪かったな、置いてっちゃって。結局、撮れ高あんまり無かったなー。でもさ、裕司が行く前に話してたアレ、結構良かったよ。悪いけど使わせてもらっちゃった!別にいいよな?」
明宏のいつもと変わらない様子に、裕司の心臓も徐々に落ち着きを取り戻す。
さっき見た“あれ”は、何だったのか。
なぜかはわからない。ただ、胸の奥で嫌な予感が渦を巻いていた。
今すぐここを離れたい。でも――もう取り返しのつかないことをしてしまったような気がしてならない。
背中がざわつく。妙な不安が、じっとりとまとわりついて離れなかった。