遠野
他愛のない話をしているうちに、あっという間に目的地のラーメン屋へとたどり着いた。店の看板には、太い書体で「ラーメンとん太」と書かれている。
「ここ、豚骨ラーメンが美味いんだって!」
暖簾をくぐり、二人はカウンター席に並んで座る。テーブルの上のメニュー表を見ると、トッピングやサイドメニューも豊富だ。中でも、豚骨ラーメンには「当店一番人気!」の赤いマークが目立つ。
「じゃあ、俺は豚骨で」
「俺もそれで!」
注文を済ませると、再びさっきの話に戻った。
「なあ、さっきの岩手の件、ちょっと真面目に考えてみてくれよ。今までずっと一人で撮影してきたけど、やっぱり誰かと一緒の方が心強いし、楽しいんだよね」
明宏の表情は、どこか本気だ。
「お前とは長い付き合いだし、余計な気遣いもいらないしさ。しかも副業にもなるんだぜ? 今の収入にちょっと足すだけで、生活が結構変わるよ」
「まあ、そりゃそうだけど……心霊スポットだろ?」
「って言っても、大抵は何も起きないって。むしろ“何か起こりそう”って雰囲気を出すだけで、それっぽくなるもんだよ。びびったフリとか、妙な音に驚いたリアクションとか、視聴者が求めてるのは“演出”だから」
「そんなこと言っちゃって大丈夫かよ……」裕司は苦笑いを浮かべる。
内心「副業」という言葉が裕司の心をぐらぐらと揺さぶっていた。
好きな場所で、好きなことをしながら暮らしていけるかもしれない。そんな淡い希望を抱いて、かつて副業や投資の情報を漁った時期もあった。
けれど、どれもハードルが高く感じられ、現実は変わらなかった。
自分一人では、結局どうすることもできなかった――そんな無力感を、もう忘れたふりをしていた。ところが、目の前に願ってもないチャンスが現れた。掴まない理由なんて、どこにもなかった。
「……いいよ。面白そうだし、旅行もできるしね。休みの日だけになるけど、それでもいいなら」
「もちろんだよ!ありがとう、裕司!マジで嬉しい!」
明宏は心の底から喜んでいるように見えた。裕司も、どこか高校時代の気分に戻ったような、ワクワクとした高揚感を覚えた。
ーー
「おはようございます!」
元気なあいさつの声がオフィス内に響いた。彼女は、入社2年目の後輩、及川和葉だ。
「おはよう。今日は一段と元気だね」
「当たり前じゃないですか!明日からゴールデンウィークですよ?私、友達と福岡に旅行に行くんです。裕司先輩はどこか行かないんですか?」
「うん、俺も友達と岩手へ行くよ。」
「へぇー!岩手良いですよね!小岩井農場とか、松ぼっくりのジェラートも美味しいし、かもめの卵も好き!私も買ってくるので、先輩もお土産宜しくお願いします!」
裕司は後輩の勢いに押されて、ハハハ‥‥と笑いつつ、どこか憎めない性格の後輩とお土産の約束をしてしまった。
「あー、そういえば、宮城のあのニュース見ました?」
「ニュースって、あの集団自殺の?」
「そう! あのあと進展があって、どうやら東北文化大学のオカルト研究会のメンバーだったらしいですよ」
どうやら、ネットで集まった赤の他人ではなく、大学のサークル仲間だったらしい。
「じゃあ、事故だったってこと?」
「んー、そこはまだ調査中みたいですけど、サークルメンバーの友人が、事故のあった前日に“岩手の心霊スポットに行く”って話してたって証言してるみたいで」
「え……」
――岩手、心霊スポット。
明宏と行く予定の場所と、重なる言葉の数々に、裕司は嫌な予感がした。
4月28日(月) 午前9時30分
明宏の運転する車は、岩手県遠野市へと向かっていた。
春の陽射しがフロントガラス越しにやわらかく差し込み、車内には懐かしいJ-POPが流れている。
高校時代、明宏がよく口ずさんでいた曲だ。
「今から向かうところさ、遠野物語でも有名な場所なんだけど、知ってる?」
「……あー、カッパとか座敷わらしとか、あの民話のやつだよね?」
「そうそう!まさしく。で、今から行くのが、その座敷わらしが出るって噂の旅館なんだよ。めちゃくちゃ予約取りづらくてさ、押さえるのにマジ苦労したんだから」
「……マジかよ。今日、そこに泊まんの?終わった……」
裕司は天を仰ぎ、思わずため息をついた。
「ははっ、大丈夫だって!大抵は何も出ないって評判だし。そもそも、心霊スポット系YouTuberの間じゃ“登竜門”みたいな場所だからさ。俺も一度は行きたかったんだよね」
楽しそうな明宏の様子に、さすが多くの心霊スポットを巡っているだけのことはある、と裕司は少しだけ感心した。肝が据わってるというのは、こういう人間のことを言うのかもしれない。
そんな矢先、明宏がふと思い出したように話し始めた。
「そういえばさ、最近話題のあの宮城の事故。亡くなった大学生たち、事故の前日に岩手の遠野市にある心霊スポットに行ってたらしいよ」
その言葉に、裕司の心臓がドクリと跳ねる。
「え……遠野って、今から行く場所じゃん。もしかして、泊まる旅館とか関係あんの?」
嫌な予感がして、怯えるように尋ねる。
「残念だけど、違うよ。昔、遠野には鉄が採れる鉱山があってさ、そこで大事故が起きて、1000人くらい亡くなったらしいんだ。その鉱山跡に、大学生たちは行ってたみたい」
「うわ……よくそんなとこ行くよな。だから祟られたんじゃないの?」
明宏の顔を横目で見ると、ニヨッと怪しげに笑っている。
まさか……こいつ……
「お前……まさかそこに行く気じゃないだろうな⁈」
「せいかーい!そのまさかだよ。タイムリーな場所だし、話題性は抜群でしょ?ここで行かなきゃ、いつ行くのさ?」
「バッカじゃないの?!そんなとこ行きたくないに決まってんじゃん!大学生みたいに死んだらどうすんだよ!」
「だーいじょうぶだって。関連性があるって決まったわけじゃないし、きっと何にも起こらないよ」
「関連性が“わからない”からこそ怖いんだろうが!」
車内には二人のギャーギャー言い争う声が響いた。
だが結局、明宏の「ギャラ弾むからさ」という甘い誘惑に負け、裕司達は遠野の山奥にある鉱山跡地へ向かうことになった。