第23話「Self Control」Part3
詩穂理が瞳美に勧められてつけたノンホールピアス。
トラッドタイプ。オーソドックスにシンプル。
輝く「石」が耳についている。
もちろんフェイク。宝石ではないがそれでも女の子にとっては気持ちをあげるものであった。
詩穂理がいくら堅い性格をしているとはいえど女の子。
装飾品ともなれば気にならないはずもない。
ましてや体に穴をあけるわけではない。
瞳美とは取り合ず説明と挨拶だけにとどまり別れたが、もらったノンホールピアスはそのままつけて帰った。
長い黒髪に隠れてはいるが、まるで生まれ変わったような気持ちで家路につく。
「うわぁ。詩穂理おねえちゃん可愛い」
目を輝かせて中学生の妹。理穂がいう。
「フェイクピアスってやつ? 結構いいじゃない。入門用には十分よね」
金髪ギャルである姉・美穂は右に三つ。左に二つつけている。すべて穴が開いている。
「まぁ美穂よりははるかにおとなしいし、そのくらいならいいけど。穴は開けてないんでしょ?」
母。碧が確認してくる。
「うん。磁石でくっついているの」
耳たぶを挟むように磁石でくっつけるのだ。
「それならいいけど……それにしてもあんたも女の子ね。真面目なだけじゃなくてちゃんときれいにもなっていくわ」
「かつて通った道」を懐かしむように母がいう。
「ほんとね。これであんたがグラビアデビューしたら男がほっとかいないわよ」
真顔でなく笑顔だが冗談抜きの本気で美穂は言っている。
「男子が……ですか」
対して詩穂理はぱっとしない表情だ。
「あら? 浮かない表情ね?」
「そりゃ……応援していただけるならとてもありがたいですけど、肝心の相手が無関心じゃ」
この時点で大きく心を占めていることがつい出た。
「その他大勢にいくらもてても仕方ない。裕生さんに好かれなきゃ意味がないと」
揶揄する理穂。
「そ、そんなんじゃ」
赤くなる詩穂理。
フェイクピアスのせいか元々大人っぽい娘なのに拍車がかかり「色っぽい」とすら言えるように。
その場が身内。かつ女性ばかりだから事なきを得たが、男がいたらぐらついたかしれない。
「ああ。ちょっとわかるわね。あたしも昔、しつこくしてきた男子に狙われていると聞いて男受けが悪くなるように上下黒のスーツキャリアウーマン風のボブ。挙句にヴィジュアル系みたいなメイクで近寄り語り雰囲気を出して、タバコまで吸って見せたっけ」
懐かしむように母・碧がいう。
「お母さんがタバコ?」
「タバコくさくて嫌」という理由で、夫の書斎に近寄ろうともしないのを娘たちは知っている。
それだけに衝撃的な過去だった。
「若気の至りってやつよ」
「ねぇ。その時お父さんはどう思ったの?」
キラキラした目で理穂がかつて恋人同士だった父に尋ねる。
「驚きはしたが、同じ人間だ。女がタバコ吸っちゃいかんなんて言わんよ。とはいえ」
「とはいえ?」
「碧にだけはやってほしくなかったのが本音だがな」
「きゃーっ」
「夫婦」ではなくかつての「恋人」としての関係を思わせる名前呼びが、理穂に叫ばせる。
だが詩穂理は別のことを考えていた。
(もし私がヒロ君の目の前でタバコを吸って見せたら……彼は私を責めるかしら?)
詩穂理はふとイメージしてみた。
制服姿のまま裕生の目前でタバコを咥え、火をつけて深く煙を吸い込みそして吐くところを。
母が目前で事故死した傷痕のある裕生だ。
女性の健康にだけは神経質になる。
目をむいて烈火のごとく怒るだろう。だが
(いくらなんでもそんな試すようなことできないわね。それに未成年の私がタバコを吸ったら、監督不行き届きでお父さんに迷惑かかるわ)
タバコは断念した。しかし裕生の心が知りたい。
そこで別のアプローチを思いついた。
翌朝。
詩穂理の周りに女子を中心に人だかりができていた。
前日にモデルを引き受けることになっていたので、その話を聞き出したい女子が集まっていた。
ところが別のことに関心が移る。
そう。詩穂理の耳たぶを彩るものに。
「まさかあんたがそんなのつけてくるなんてねぇ」
心底感心したようになぎさがいう。
「頂き物ですけど」
「昨日あの後で穴をあけたの?」
仲間ができたという声音が混じるまりあ。
「いえ。これは磁石でついているんです」
「なぁんだ。穴空いていたらわたしのお気に入りを貸してあげたのに」
「お気持ちだけで」
まりあにしたらピアス仲間ということでより深みにというつもりであったが、このお嬢様のピアスじゃどんな高級品かわからない。
紛失が怖くてとても借りられそうになかった。
入れ替わるように美鈴が出てくる。どうやら穴をあけてないということで安心感が出たらしい。
「シホちゃんピアス似合うね」
「ありがとうございます。南野さん」
そう。詩穂理は瞳美にもらったノンホールピアスをつけて登校してきたのだ。
もちろん褒められた行為ではないが、何しろ目前に堂々と耳たぶを穿ち文字通りピアス(貫く)をしているまりあがいる。
穴すらあけてないのだから大目に見られるという読みはあった。
「先を越されちゃったなぁ」
どうやら本当にピアスをする気らしいなぎさが、残念そうに言う。
「どうしたんだい? やけに賑やかじゃないか」
もう他の女子とは切れて……というか「切られて」なぎさとくっついたはずの恭兵だが「習性」というものはなかなか変わらず。
女子の一団に話しかけるときは気取った調子になる。
もちろんただ話しかけたのではなく、話に入るための切り出しだ。
ただし一直線になぎさのそばに寄る。そしてその腰を右腕で抱き寄せる。
「キョ、キョウくん!?」
瞬間的に赤くなるなぎさ。
「今までいろんな女の子にばらまいてた愛。それをお前が全部受け止めてくれるんだろ? こんなの軽いほうさ」
スタンドプレーヤーなのも治らない。
「は、恥ずかしいよ」
「いいじゃん。見せつけてやろうぜ。そうすりゃお互い『浮気相手』も寄ってこなくなる」
確かに密着していた。
だが口では恥ずかしいというなぎさだが、抵抗するようなそぶりはない。詩穂理は察した。
(ああ。私もヒロ君にお姫様抱っこされて体育祭で走られた時はとても恥ずかしかったから、今の綾瀬さんの気持ちがよくわかるわ。でも恥ずかしいけどいやじゃなかったな。暖かくて)
それを立証するかのようになぎさは恥ずかしがる表情から、甘えるようなそれに変わっていく。
「ちょっと。綾瀬さん。そういうのは隠れてやってよね」
かつて恭兵のファンだった女子が叫ぶ。やはり逃した魚は大きかった。嫉妬している。
「そうよ。あんたらまで槇原と風見君みたいなバカップルになられたらたまんないわ」
「所かまわずいちゃついて、恥ずかしい」
言われている二人は馬耳東風。しかし「流れ弾」が詩穂理に当たっていた。
(ええええっ? 私とヒロ君って、はた目にはこんなふうに見えるのっ!?)
何しろなぎさの目が完全に「恋する乙女」になっていたのだ。
全く警戒心の無いゆるみきった表情に。
(あの綾瀬さんがあんな表情見せるなんて……ひょっとして私まであんな風に?)
段々と呼吸が荒くなる。身に覚えがありすぎた。
「そうそう。その槙原。何を騒いでたんだい? 昨日は何やらモデルがどうとかいう話を聞いたけど」
近寄った本来の目的を果たしにかかる恭兵は、なぎさを放して本題に入る。
「確かにその話してたんだけど、むしろ詩穂理の耳に話が集中しちゃって」
恭兵が本題に入ったからか、正気に戻ったなぎさが赤い顔のまま言う。
「耳?」
いうや否や承諾もとらずに詩穂理の髪に触れる。
「ちょっと見せて」
なぎさの友人ということで接近も多い関係故に、さすがにここで一言は断りを入れて房をどけ左耳を見る。
ガラスでできたダイヤのピアスが輝いていた。
「へぇー。槇原がピアスなんてかなり意外だなぁ」
比較的近寄ることも多いゆえに、彼女の堅めの性格は熟知していた。
それだけに化粧ならまだしも、体を穿つピアスには考えが及ばず意外に思ったのは本音でそのまま声に出た。
「シホがピアスだって?」
ストレートな言葉に、率直な反応の裕生。
軽く血相を変えて駆け寄ってきた。そして詩穂理の前に向かい合うとその両肩を両手でつかむ。
「おい。まさか耳に穴なんてあけてねーだろーな」
「……それをどうのこうの言われる筋合いはないと思いますが?」
みごとに拗れている。
「バカ野郎! 怪我したならまだしも、わざわざ自分から親にもらった大事な体に傷つけるやつがあるかよ!」
ピアスホールで咎めるとはいささか古めだが、彼なりの正論だ。
「私のことなんてどうでもよかったんじゃないんですか? 何をしようと気づいてもくれない」
かなり珍しく逆上気味にヒステリックに叫ぶ詩穂理。
思わず立ち上がる。
完全にセルフコントロールを失っている。
「お前は何を言ってるんだ?」
怒り交じりに言う裕生。周囲はこの修羅場をもうハラハラして観ていた。
「結婚の約束をした女が、どうでもいいわけないだろ」
赤くなってとんでもない発言をする裕生。
「「「「「「「け、結婚の約束ーっっっっっっ???????」」」」」」」
まさに爆弾発言。聞いていた人間のすべてが驚いた。
なぎさも。恭兵も。まりあも。美鈴も。多数の女子生徒も。
もちろん「爆心地」の詩穂理には甚大な影響が。
「……婚約?」
まさかの話だった。恋人通り越してその話が出るとは。
「そ、そんな約束をいつしたっていうんですっ?」
「ガキの頃。縁日でお前に指輪やったろ」
裕生の声にもはや怒りはない。むしろ昔を懐かしむ声だ。
「その時お前が大きくなったらオレのお嫁さんになってくれるって約束してくれたんだ。嬉しかったなぁ」
とうとう笑顔になる。
逆に詩穂理は顔面蒼白だ。
「あー。そういえば夏休み終わりのお祭りでもやってたね」
なぎさが思い出して言う。
「割とちょくちょく話題にしてない?」
まりあが相槌を打つ。
「美鈴も覚えてる」
仲の良い三人が追い打ちだ。まるで証人のようだ。詩穂理は頭を抱えた。
(た、確かに私も覚えがあるけど、それを真に受けた上にここまで……それだけ私のことが好きだったの?)
子供のころから裕生を慕いづけた詩穂理。
真似するうちに生来の右利きから左利きに変わるほど一途に。
それは届かない思いではなかった。
逆に裕生も詩穂理を思い続けていたのか?
両想いだったのか?
その思いに流さかけたが、いくら好きでも「子供の約束」で結婚するわけには行かない。
「待ってくださいっ。そんなの無効に決まってるじゃないですか」
「む、無効?」
「思いもよらない言葉」を聞いた裕生は呆然とする。
「待てよ。おい。どうして無効なんだよ?」
本気で詰め寄る。
その迫力に気おされる詩穂理。
しかしおとなしく見えて毅然とした態度のとれる彼女は、きっぱりと理由を並べる。
「だ、だって責任能力のない子供同士の婚約なんてありえまんよ」
「そ、そんな……」
裕生が反論してくると身構えていた詩穂理だが、彼はあっさりと離れた。
そして力なく崩れ落ちて、床に手をつく。
「ヒロ君?」
さすがに心配になる。まさかここまで落胆するとは思ってなかったのだ。
「オレさ……大人になればシホが嫁に来てくれると思ってすっげぇ楽しみにしてたんだ……一緒に暮らしてさ……オレが稼いでシホが家にいて、あいつの作っためしで腹いっぱいになってさ……」
「orz」の状態のまま「未来予想図」を語りだした。
「なるほどねぇ。もう婚約してるつもりだったんたなら、そりゃ詩穂理に男子がちょっかいかけても」
「そうだね。そんな約束があるならシホちゃんと風見君の間に割り込めないという自信だったんだね」
「それが鈍感とか無神経に見えたのね。本当にあんなに落ち込むほど詩穂理さんのことを好きだったなんて……素敵だわ」
詩穂理と行動を共にしていたせいか裕生のそれも見ていた三人が、これで合点が行ったと晴れやかな表情だ。
しかし当事者は何も解決していない。
裕生はまだ「未来予想図」を語り続けていた。
「たまにはケンカしてもすぐ仲良くなって、晩飯食ったら酒なんかも飲んだりしてくつろいで」
「ヒロ君。その辺で」
このまま喋らせるのはまずいと感じた。
「晩御飯」の後となると夫婦のやることは……
「そんで夜は……」
「ダメぇーっ」
慌てて止めるべくうずくまったままの裕生に駆け寄る。
その際にブラジャーの拘束すら無意味とばかしにGカップがたゆんと揺れた。
この現象と「夜」という単位だけで高校生男子には十分だった。
しかもこの中の大半は詩穂理そっくりなAV女優・美愛くるみのAVを見ていた。
だから容易に裕生と詩穂理のベッドシーンが想像できた。
生まれたままの姿。妖艶な表情。桜色に染まった頬。高くかすれる可愛らしい声。汗の浮かぶ白い肌。きしむベッド。暴れるGカップ。そしてつながる下腹部
「うっ」
突如として立っていた男子が自分のじゃない手近な椅子に座った。
「勃った」から立っていられなくなったのだ。
「男子って」「サイッテー」
クラスメイトの女子。水島あずさ。そして長谷部理緒が軽蔑したように言う。女子には一生わからない「男のつらさ」だ。だから一刀両断だ。
「しょ、しょうがねーだろ」
「槇原の暴れ乳が俺の息子を目覚めさせたんだよ」
「前から思っていたけど高校生にしちゃ色気ありすぎの顔だし」
言い訳を並べる。
それが思わぬ「救い」に。
(ウソ……男子にはそんなふうに思われていたの? 私はそんな魅力に乏しいわけでもないみたい)
皮肉にも男子を行動不能に陥らせるほど詩穂理は「魅力的」……そう。セクシーという意味で魅力的と証明されてしまった。
(う……いさこうして目の当たりにすると、あんまりうれしくないかも。でもヒロ君になら)
その肝心の裕生はまだうずくまっていた。
子供のころからの夢を当の詩穂理本人に破壊されたのだ。
ダメージも並大抵ではない。
「ヒロ君。立って。お願いだから」
優しく語りかけるが効果なし。
「そりゃそうよねぇ。ずっと夢見ていたのに当の本人に砕かれちゃ」
詩穂理とは「盟友」のはずが、この落胆ぶりにすっかり裕生の味方になっていたまりあが軽く同情するように言う。
「ちょっとわかるなぁ。あたしは結果的にキョウ君とうまく行ったけど、長年の思いが砕けたつらさは想像できるし」
「つらいよねぇ。やっぱり」
なぎさや美鈴まで裕生に味方している。
そもそも詩穂理が裕生とうまくいくようにというのも「同盟」の理由ひとつなのに、当人が壊したのでは非難にもなる。
「そ、そんなこと言ったって」
ここ数日の怒りは霧散。ひたすらおろおろする詩穂理。
そこに展開の変化が起きる。
「ふっふっふ……そーかそーか。ガキの頃の約束は無効か」
ゆらりと裕生が立ち上がる。
詩穂理は裕生がやっと立ってくれたと安堵する半面、不気味な口調の呟きが気になる。
「だったらガキじゃなけりゃいいんだな」
「え?」
言葉の意味が分からない詩穂理は呆然と立ちすくんでいた。
そして完全に立ち上がった裕生が詩穂理に向き合い、その両肩を自身の両手でつかむ。そして教室全体にとどろく声で叫ぶ。
「シホ! オレと結婚してくれ」
「え?」
「ひゃああああ」
公開プロポーズに女子から奇声が上がる。男子もどよめいている。
「やるな。風見」
さすがの恭兵もここまで大胆なことはしてない。
「それ、ぼくに言ってほしかったな」
もちろん優介のコメント。
「……」
恋とまでいかないものの詩穂理に淡い好意を抱いていた大樹は複雑な心境のはずだが、いつもの鉄仮面ぶりで感情をうかがい知れない。
当事者たる詩穂理は、教室でクラスメートの見ている前での求婚に完全に思考が停止していた。なすがままになっている。
「まだ17だから今すぐは無理だが高校卒業後。できればオレが18になったらすぐ」
「はいいいいいい?」
やっと声を出せたがその声がまずかった。
「おお。OKしてくれるのか」
「ち、違います」
「だって今『はい』って」
「これは驚いて出た声です」
「それじゃオレのことが嫌いなのか」
これが結婚について聞かれたら「まだ早い」で逃げられる。
しかし「嫌いなのか」と問われると返答に詰まる。
即座に否定したいが、したらしたで結婚に道が開けそうだ。
いや。結婚もしたくないわけではない。
ただこんな公開プロポーズでさらしものというのが返答をためらわせていた。
やはり「無神経」な裕生というところか。
「YES」とも「NO」とも言えない。
「どうしよう」という思いが彼女の頭をぐるぐる回る。だが
「あら? みんなどうしたの? もうすぐホームルーム始めますよ」
担任。木上井久子が来たことでこの場はここまでと。
全員自分の席に着く。
先送りとなった分だけやや冷めて、その日はうやむやになった。
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