第11話「あの夏を忘れない」Part1
「そう。姫子お盆には予定があるのね。やっぱり風間君と?」
八月半ば。そのある夜。まりあは中学時代の親友。北条姫子のもとに電話をしていた。
夏休みと言うこともあり遅くまで電話をしていた。
もっともお嬢様たちとは言えど長電話なのは普通の女の子と変わらない。
「ブックトレードフェスティバル? なぁに? それ。え? マンガのお祭り?」
マンガのキャラクターが神輿を担いだり盆踊りをしているのをイメージしてしまった。
「なんだかすごそうなものね。でもどうしてそこに? クラスメイトが店を出す?」
高校生がお店を出すの? まりあの頭に「?」が飛び交う。さらに話をする。
「ああ。なるほど。文化祭みたいなのね。へぇー。二校合同での文化祭くらいの人が来るのかしら?」
これで世間知らずと揶揄されては酷だ。
実態を知らなきゃその程度が想像力の限界であろう。
「なんだか面白そうね」
まりあはすっかり興味を持ってしまった。その先の『地獄』を知らず。
電話を終わらせたときに閃いてしまった。
「そうだわ。美鈴さんやなぎささん。詩穂理さんにも声をかけてみよう」
もちろんそんなつもりはないのだが、地獄の道連れであった。
夜の長電話は女の子だけの特権ではない。男の子だって夜に電話をする。
裕生が話している相手もこれまた中学時代の親友。上条明だ。
奇しくも裕生はまりあと同じ高校。上条と姫子も別の高校でクラスメイトだ。
「上条。『トレス』でオレの手伝いって話はどうなった?」
話題までも同じ。ただし立場が違う。
まりあたちは一般参加。そして上条を中心としたこちらは『サークル参加』である。
早い話が供給側。需要と供給があるから売買が成り立つのはこう言う『イベント』でも変わりはない。
ただ売る側の大半が『素人』と言うのと、桁違いの人数が押し寄せるイベントと言うのが違う。
取り扱うものは同人誌。明治大正のころのそれのように詩や小説などもあるが、現代はほとんどがマンガである。
「ああ。やっぱ要るか。三人だよな?」
それは一つのサークルで入場できる人数の上限であった。
サークルスペースが取れると三枚だけチケットが来る
「オレとお前と…あやな? ああ。あのお下げ髪のガールフレンドか」
四月に再会した時に出会った若葉綾那のことである。
裕生は助っ人として駆り出されていた。
本来なら上条の所属するサークルのメンバーで構成されるはずが、大乱闘で入院を余儀なくされた。
それが当選が判明して入稿を済ませた直後。
本そのものはできた物が印刷会社によって会場へと搬入されている。
だから売り手だけが出向けばすむ。
しかしその売り手が上条一人になってしまった。
準備は時間をかければ一人でも何とかなる部数。
しかし問題は開場中だ。食事はその場で摂ればすむがトイレはそうもいかない。
金を扱う以上おいてなどいけない。
最悪の場合は隣に一声かけてから金を持ってトイレに駆け込む。
それは近い位置ならいいがそうでないとやはりきつい。
夏場だけに水分も摂る。汗ばかりにはならずトイレを近くする要因でもある。
そこで協力を申し出たのがガールフレンドである綾那。だが女の子である。
三日目は比較的ましだが女子トイレはこのイベントは長蛇の列。
一度並ぶと一時間くらい帰ってこれないなどざらである。
そこでもう一人男手を欲して、中学時代の親友でオタクでもある裕生に上条は頼んだのである。
「四人はダメなんだよな? 惜しいな。入れりゃシホも連れて行って手伝わせたけど」
もちろん頭脳労働要員である。間違っても体力面では期待していない。
計算は素早いが動作はトロイ。金銭の受け渡しに向いていそうで微妙にあわない。
『まー人数の関係でダメなんだわ。後からのんびりきてくれ』
電話越しの裕生の声。千尋から聞かされた詩穂理が確認の電話をいれていた。
「わかった。それじゃヒロくん。代わりにお弁当作っていくね」
『オー。サンキュ。上条の奴も彼女が弁当持参で来ると言うからな。オレが横取りするのも悪いし。二人分頼むな』
「この暑いのに二人前食べるんですか?」
『なに勘違いしてるんだよ。お前とオレの分だろ。一緒に食おうぜ』
「わ、私と!?」
鈍感なくせにたまにこう言うことを口にする。
『あれ? 嫌か?』
「ううん。そんなことないよ。わかった。それじゃ二人分ね。私とヒロ君の…」
詩穂理は携帯電話の通話終了処置をした。
ふと視線を感じて目を向けると姉と妹がニヤニヤしていた。
「きやーっっっっっ!? い、いつから?」
「お弁当のあたりかな?」
美穂がしれっとした顔で言うと詩穂理は赤面する。
「いいなぁ。ラブラブで」
理穂もストレートに羨ましがる。
「そんなんじゃありませんっ。もうっ」
心なし強い足音で歩み寄る。
「ヒロお兄ちゃんの好物聞かないとね」
ませた妹にちょっとむっと来た。思わず嫌味のつもりで言ったのが
「必要ありません。ヒロ君の好物はすべて頭に入ってます」と墓穴を掘る一言。
「はっ!?」
息をのむ秀才次女。ニヤニヤする遊び人長女と楽天家三女。
「あの…今のは」
「いいじゃん。詩穂お姉ちゃん。仲がよくって」
「あー。ばかばかしい。堅物と思っていた妹が一番青春を謳歌しているわ」
「そ、それは付き合いが長いだけで、彼は私のことをなんとも思ってなくて」
「まぁー。倦怠期なのねぇ」
長女には完全にからかわれている次女。
「そんなんじゃなくってぇ」
身内相手はさすがに砕けた態度にもなる。それを美穂がニヤニヤと見ていたら電話がなった。
「あ。電話だから」
救いのベルに逃げ出した。
電話はまりあだった。八月第三日曜のブックトレードフェスティバル…略称と言うか通称トレフェス。
さらに縮めてトレス。今回は夏なので夏トレへのお誘いであった。
裕生の応援に出向くつもりだった詩穂理だが、初めての「同人誌即売会」でいささか心細かった。
同行の申し出はわたりに船であった。
美鈴。なぎさも快諾。
なぎさは後で恭兵にも伝える。
オタクでない彼は同人誌即売会の存在すら知らず、くわえてなぎさの誘いと言うことで門前払いにしようとしていた。
しかしまりあから誘われたことを告げたら態度が変わる。同行を申し出た。
少したくましくなったのかまりあを「だし」に使うしたたかさが出てきたなぎさである。
大樹が出向くのは事情がやや違う。
きっかけはアンナ・ホワイト。
この一年の留学生は海の向こうでも噂に聞こえたこの大イベントを見たいと希望した。
持ちかけられた千尋はとりあえずサークル参加とやらをするらしい兄に同行を願い出たがチケットの枚数が足りず断念。そもそも彼自身が助っ人に過ぎない。
しかし情報だけは仕入れてもう一人の親友。双葉を交えて出向くことになった。
ここで双葉のブラコンと大樹のシスコンが同時に発動した。
ボディガードとして同行すると。
そこに美鈴からの電話である。ならばと交わることにした。
当日朝。湾岸にある見本市会場。東京ギガホール。展示場としては最大級の規模を持つ場所。
しかしここを同人誌の即売エリアで埋め尽くすことになる。
現在はその準備のための時間で一足先にサークルの面々が入場していた。
何しろ広々としている。結構な人数のはずなのにそれでも閑散として見えた。
そこを早足で進む少年。風見裕生だ。
目的の場所で手を合わせて「悪い。遅れた」と詫びを入れる。
とは言えど八時。サークル関係者が先行入場できるのは午前七時半から九時半にかけて。
致命的な遅刻ではない。
それでも謝るのは合流予定がその七時半だったからだ。
慣れてない裕生は電車の乗換えを間違えたのだ。
「ああ。いいよ。こっちが早かっただけだし」
朝っぱらからテンション高めの上条である。
「明君。やっぱり始発は早すぎたよね」
「始発!?」
一般入場なら不思議はない。少しでも前の方に並びたいから。
前夜からの現地での徹夜は禁じられているが、始発での来場は禁止されていない。
それに対してサークル入場の面々は上記の通りゆっくり入れる時間が確保されている。
だからよほどの遠方ならいざ知らず、都内23区在住ならまず始発まで使わずともよい。
「ふふふ。これもオタクのサガって言うかな。始発でないとイベントに来た気が…」
これまでの習慣ゆえだった。
一方そのころ。高嶺まりあは夢の中。
会場直後の十時に合わせて行く予定なので早起きの必要はなかったのだ。
一版参加でもそんなに執着してなくば昼過ぎでも十分。むしろ推奨。
なにしろ凄まじい暑さになる。体力は蓄えられるだけ蓄えたほうがよい。
いくら17才の若さでもかなり堪えるイベントだ。
さらにいうと分散すればするほど混雑緩和になる。
「ヤッホー。風見君」
ぽんと肩をたたく少女がいた。
「里見!? お前もいたのか?」
変な場所で変な娘に遭遇した。里見恵子。
学校でもしているトレードマークのネコミミカチューシャ。
ミニスカートにはやはり猫の尻尾がついている。
上はTシャツだがキャラクターの絵がプリントしてある。
その胸元は若干「劣情」を催させるほど「女」を主張する大きさだった。
「にゃははは。コスプレあるところミケさまアリなのだにゃ」
里見恵子の苗字の終わりと名前の始まりで「ミケ」が愛称であった。
だからか猫にちなんだコスプレが多い。
「いやぁ。びっくりしたにゃ。こっちに知りあいがいて挨拶によったらどこかで見た顔がいるんだもん」
「ああ。中学時代の友人の手伝いなんだ」
そこで裕生はセッティング放り出していたことを思い出す。
「悪い。上条」
「平気だよ。さて。まずはこのチラシの山をね」
前日に印刷所が出来上がった本を直接スペースに搬入する。
その際に他の方にも宣伝用のチラシを配布して行く。
それが積もって凄まじい量に。
ちなみに夏だと自社で製作したうちわを。
冬だと使い捨て携帯カイロに自社の宣伝を混ぜた物を配布するケースも多々ある。
それらはともかくチラシは捨てられるケースが大半だが、中にはちゃんと目を通す人物もいる。
上条もその一人だった。
「おお。ここは安い。けど遠いな」
「印刷所なら地下鉄・三田線の板橋区役所前下車のコーシン出版さんがお勧めだにゃん」
「へぇー」
「いい所だよ。とても親切だし説明もわかりやすいし」
「そりゃ君の実体験?」
「ううん。とあるTS系サークルのオーナー。初めての同人誌だったけどすんなりできたって。対応も柔軟で」
にこやかに会話するオタクと腐女子。
「明君? 中学の知りあい?」
綾那が怪訝な表情で尋ねる。
「あ。そういや自己紹介まだでしたにゃん。アタシは里見恵子。風見君と同じ蒼空学園の二年生」
どうやらオタク同士でいきなり会話が成立してしまったらしい。
「で、こいつがオレの中学のときの同級生。上条明。そっちが」
「若葉綾那。僕の恋人」
言うなり上条は綾那の腰に手を回して引き寄せた。
「きゃっ。あ、明君。恥ずかしい」
赤くなる顔を両手で覆いはするが離れようとはしない。
「お前は相変わらず極端から極端に走るよな」
一年生のとき上条を追いかけて彼女は転校してきた。
それ以来ずっとくっついてきて、次第に上条の方も思いが通じてとある事件で一気に通じた。
上条も好きとなったら極端で積極的に仲をアピールするようになっていた。
独占欲と看做されていた。
「風見君もあのくらいシホちゃんにすればいいのにね」
「オレが? 何で?」
恵子は心中でため息をつき詩穂理に心から同情した。
「それにしても……」
恵子の視線は綾那にロックオンされていた。
上条から解放されたと思ったらミケに抱きつかれる綾那。
「きゃーっ???」
「可愛いーっ。同じ高校生とは思えないんだにゃん。お人形さんみたい」
髪型は上条のそのときの「マイブーム」がショートカットのキャラだったのと、暑い季節と言うことで短く切りそろえていたが着ているものはフリルだらけのワンピースと言うかドレスであった。
「色もピンクでまりあちゃんみたい。でもまりあちゃんとは違う可愛さよね」
「離して。離して。苦しい」
「あっ。ごめん。アタシったらつい我を忘れて。あまりに可愛くって」
同性とはいえどいきなり抱きつかれりゃ不快感もある。綾那は口を尖らしていた。
「……ずるい……」
「へ?」
「おっぱい。なんでみんなそんなに大きいの?」
綾那は以前に詩穂理と顔をあわせている。
「レイヤーの立場で言わせてもらうとアタシは胸が薄いほうがよかったニャン。薄いのを大きくするのは面倒ないけど大きいのを詰めるのは大変なんだニャ」
「そ、そうなの?」
「だからロリキャラや男の子が出来なくて。巨乳キャラ限定でコスプレの幅が狭くて」
本気で嘆いている。優先順位が違うらしい。
「なんで詩穂理といい里見といい胸が大きい連中の方が嘆いてんだ?」
「大きい悩みは大きくないとわからないんだニャ」
「そうだよね…小さい悩みもね」
綾那から軽い怨念のオーラが。
「大丈夫。貧乳はステータスだ。希少価値だ」
右手の親指を力強く立てて上条が言う。
「いや。それは当人の台詞であまり人には…特に男にはいわれたくないと言うか」
さすがの恵子も口ごもる。
東京ギガホールへ出向くにはいくつかの手段がある。
そのうちモノレールを使うとまさに会場の入り口で降りられる。
豊洲よりは新橋の方が都合がよかったのでまりあたちはそこを集合場所に選択していた。
「あ。いたいた。みんなー」
可愛らしい声でまりあが駆け寄ってくる。相変わらずピンクのワンピースだがさすがに半そで。
海に出向くくらいである。日傘まで使ったりはしない。
「お。いたいた。おーい」
恭兵の声がする。さらに
「恭兵くーん」
恭兵。大樹と共に裕生の所に出向くというので優介がくっついてきていた。
「ねぇ……みんな。大ちゃんを目印にするのはやめようよ」
美鈴が珍しく抗議。
とは言えどなにしろほぼ2メーターの巨漢。人でごった返す新橋駅でも目立つことこの上ない。
ちなみに迷彩柄のタンクトップとスラックス。こちらの意味でも目立つがむしろ「本物」と思われそうな体格のよさであった。
恭兵はワイシャツをズボンインさせないスタイル。ネクタイを崩している。
優介は一見シャツとズボンだがよく見るとブラウスとレディースパンツである。
本人いわく。感触がいいから汗ばむ季節はこちらが多いと。
詩穂理はきちんとブラウスとロングスカート。なぜかブーツである。
しかもブラウスの上からベストであるがこれは透け対策でもある。
なぎさはパンツルックはいつもどおりだが恭兵が来るのを知っていただけにブラウスを上から。
ただし色は濃い目の青。どうやら下にはいきなりブラジャーらしく、これも透けるのを嫌ってである。
美鈴は下は赤いミニスカートなのに上にはカーディガンを羽織っていた。
冷房が強すぎた場合の対策だがその必要性があったらしい。
アンナは黄色いワンピース。双葉も可愛らしいワンピース。千尋は混雑を聞かされていたので動きやすいパンツルック。上もTシャツである。
「それにしても大きな荷物をもっている人が多いですね」
詩穂理の言うとおりカートを持ち運んでいる若い男女が目立つ。
「羽田帰りかしら?」
渡航の多いまりあらしい発想だ。
「そろそろ行くかい? それで。どこで降りるの?」
恭兵の指摘に凍てつく一同。誰もトレスに出向いたことがない。
「こういう時こそ恵子さんの出番なのにっ」
「当人は現地にいるんじゃない?」
何気ないなぎさの軽口だがご名答であった。
「はーい。ワタシわかります」
なんとアンナが名乗り出た。
「アンナ? なんで」
「だってこのイベント。アメリカにいたときから憧れでしたよ。だから実際にいけるというのでちゃんと調べました」
さすがに暗記は出来なかったらしくメモを見せる。英語で記されている。
「おお」
日本人がこれだけいながらアメリカ人の少女に案内されるという珍現象が沸き起こっていた。
九時半を回りサークル入場はストップ。
この時点でほぼ手続きは完了している。まともなサークルの話しだが。
不慮のトラブルか。それとも先行入場目当てのダミーかサークル設営に現れないものも多数いた。
上条たちに問題はなかった。
見本誌を提出してOKが出ている。
今回はマンガではあるが「わいせつ図画」がないのでセーフだった。
ちなみに小説でも本編がからみだらけでもイラストが皆無だとあっさりクリアだったりする。
「そろそろだな」
座るのは責任者である上条。そして綾那。彼女はただ可愛く笑っていればよい。
椅子が2客だけなので助っ人である裕生を座らせようと綾那は言ったのだが「女の子がいたほうが華やかでいいだろ」と本人が拒否。
そのかわり落ち着いたら買い物に出ていいことになっていた。
時計の針が十時をさした。
同時に開場を知らせるチャイムがなり響き、それに呼応して開会を祝す拍手が鳴り響く。
いま。世界最大規模の同人誌即売会の最終日が幕を開けたのである。