第6話「Passenger」Part3
放課後の図書室に詩穂理はいた。
むろん彼女だけではなく、他の生徒も勉強。調べ物。物語を楽しむなどしていた。
ちなみにまりあ。なぎさ。美鈴は付き合っていない。
さすがにいつもいつもべったり一緒でもない。
特になぎさは本が苦手で、なおさら近寄るはずもない。
詩穂理は一人で本を読んでいた。
本当はクラス委員ではなく、図書委員になりたかった詩穂理である。
過去の実績から推薦されて、クラス委員をやる羽目になってしまったのである。
しかし司書に憧れる彼女は図書委員になりたかった。
それが叶わぬならというわけではあるまいが、裕生が部活の時は図書室で本を読んで待っている。
この時間が詩穂理は大好きだった。
本に囲まれ、物語の世界に旅立ち、そして好きな男を待っているそんな時間が。
「あら。槙原さん。大変な本ね」
柔らかい語りかけは少女のものではない。
「あ。先生」
ちょうど没頭してなかったときに話しかけられたので、呼びかけに気がついた。
呼びかけていたのは彼女のクラスの担任。木上以久子17才(←オイオイ)である。
いつでも女性的な装いで、ラフな格好を生徒の前で見せたことがない。
その完成されたプロポーションは、何を着てもモデルのように着こなしていた。
「調べ物?」
「はい」
詩穂理の傍らには数冊の厚い本が重なっていた。
物語ならその一冊を読み終えてから、取りに行けばよい。
この場合は調べもので、関連項目を調べるために複数の本がいるのだ。
「先生も調べものですか?」
多忙な教師にのんびりと読書の暇などないのでは?
詩穂理はそう思った。
「ううん。返却に来たのよ」
どんな本かと興味を持って眺めると「人体の急所」というタイトルが目に入る。
(な……なんでこんな本を読んでいるのだろう?)
ちょっと恐い考えになった詩穂理である。
図書室というのは読書のための場所である。
基本的には騒音は禁物である。
そんな「空気を読まない」少年がいた。
「よー。シホ。相変わらずたくさん読んでるな」
男にしては高い声の、風見裕生がその肺活量にものをいわせた声で呼びかける。
スーツアクター志望といえど台詞は大事である。
だから普段からクリアな発音を心がけていた。
通りのよすぎる声もその成果。
もちろん一発で注目……というか、非難を浴びるが意に介さず。
「ヒロく……風見君。図書室では静かに」
四月の一件から幼い頃のように「ヒロ君」と呼ぶように戻った詩穂理だが、人前ということを思い出して改める。
「おー。悪い悪い。そんでさぁ。芝居関係の本はどこにあるかな?」
例によって軽い乗りの謝罪。一応は非を認めている。
彼は体操部と掛け持ちで映画研究会に属している。
脚本のアイデアを出すために、そういう本を読むのは不思議ではない。
尋ねたくらいなので図書室の常連ではないのは明白だが。
「えーと……シェークスピアならあの棚で見かけたわ」
「そっか。サンキュ」
まるで男相手にするように礼を言うと、裕生は指示された棚へ向かって行った。
詩穂理は苦笑していたつもりだったが、裕生が夢に邁進する後姿にいつの間にか自分の表情が微笑みに変わっていたのに気がつかない。
「あ。槙原先輩。風見先輩を見ませんでした?」
今度は金髪ツインテールの少女に邪魔をされた。
「ええと……ミス・ホワイト。図書室では静かにしてくださいね」
相手が外国人なので英語でとも考えたが、ネイティブな相手に授業で習っただけの英語を試す気にはなれず。
相手が千尋と仲が良いことから、日本語で通じると判断して日本語で注意した。
「おー。ごめんなさい。気をつけます」
殊勝に謝る金髪少女。
見た目はつり目とかもありきつそうだが、実に愛想がいいのである。
2年3年の男子からは「理想の妹」とまでいわれている。
別に処世術ではなく、地の性格ゆえにこうなってしまうのだ。
「おー。シホ。見つかったぜ、ありがとな」
裕生がわざわざ礼を言いに来た。
基本的に悪い奴ではないのだが、いかんせん無神経すぎる。そして鈍感である。
誰が見ても丸わかりの詩穂理の思いを、まったく感じ取れてない。
しかし本人に代わって教えてあげるのもでしゃばりもいいところで、誰もそういう意味では助けてくれない。
もっとも詩穂理にしても、自分で告白くらいはと思っている。
ただ……それで幼い頃からの関係がギクシャクしたらと考えてしまうと、なかなか踏み出せない。
だけどもたついていたら追い越されるのは世の常で。
「センパーイ」
アンナが大胆にも裕生に抱きついたのだ。
「あーっっっっっっっっ」
さすがに声の出る詩穂理。その場の全員がいっせいに彼女を睨み、そして言う。
「図書室ではお静かに!」
「……ご、ごめんなさい」
人に散々注意したことを自分が注意される羽目に陥った詩穂理であった。
「ごめんね。シホちゃん」
裕生の妹にしてアンナの親友。詩穂理にとっても一つ下の幼なじみ。風見千尋が申し訳なさそうに言う
この場合は「恥をかかせたこと」に対する侘びだ。
「千尋ちゃん。何であの子がここに?」
日本語の達者なアンナである。日本語の文字も読めるのだが、まだ含みのある言い回しとか、難しい漢字になると怪しい。
言わば「そのレベルに達していない」のである。だから図書室に来ることは滅多になかった。
「うん。アンナにせがまれて映研に連れて行ったの。そしたら」
「そこでここにいるといわれたのね。でもあの子、お昼休みもヒロ君にくっついていたけど?」
当然の疑問。続く質問は当然「どういう関係」だろう。
千尋は迷ったが頭のいい詩穂理にごまかしは効かないと思った。
観念して告げる事にした。
「それが……朝の一件でアンナってばアニキのことが好きになったみたいで」
「ええっ? アレだけで」
ヤキモキする詩穂理だったが、ここでは裕生の鈍感さが彼女に有利に働いた。
アンナの可愛いアピールも通じていないようだ。
ほっとする詩穂理。
裕生の用件も終わり、帰る段階になる。校門の前で反対方向に。
「センパイ。チヒロ。バイバーイ」
元気よく手を振り笑顔全開。
不思議なものできつい印象のつり目も、あの子供のような笑顔においてはチャームポイントに。
一旦帰宅してすぐさま隣家。つまり詩穂理の家を訪ねた千尋。
裕生の方は日課である稽古を始めたので同行しない。
むしろこられては困る「女の子同士の話」なのだ。
「お邪魔します」
長年の付き合いである。特に余所行きの格好はしない。
自宅でくつろぐようなラフな格好の千尋である。
ピンクのトレーナーと七分丈のパンツルック。
少し寒がりなのもあり、なぎさほど極端ではないものの、寒い時期はパンツルックの方が多くなる千尋である。
行動的な彼女のいるメージにはあっている。ただトレーナーの色のピンクは女らしくありたい気持ちの表れ。
部屋の主である詩穂理はブラウスとジャンバースカート。
身長156と平均よりやや低めの身長に対して、成人でも滅多にいないトップ92センチ。Gカップのバスト。
本人はこれが肉体的には最大のコンプレックスだった。
顔立ちは軽くつり目とやや厚い唇で大人びて見える。
肌が白いから頬の赤みや唇がやたら目立ち、素顔なのに化粧しているように見える。
つまりヘタをするとまだ16歳にもかかわらず、服装によっては成人女性に見えてしまう外見であり、これを本人はひどく嫌っていた。
また痴漢の被害にあったのもあり、その時の犯人の供述がそろいもそろって「大きな胸にふらふらと」であったのだ。
体力がないのに胸に大きな重石。ふらふらとして歩きにくい。
重みで肩に食い込むブラジャーのストラップ。暑い時期は余計に汗ばむ。
本人的にはメリットをまったく感じていないが、同情どころか羨望の眼差しで見られて相談相手すらいない。
「痩せるときは胸から」と言うのを信じて、ダイエットをしているが特異体質らしく胸から太る傾向がある。
だから本人的には強調する服などとんでもなく、太って見えても良いから胸を目立たなく見せたかった。
括れがわからなくなるジャンバースカートを愛用しているのもそういう心理だった。
ちなみにワンピース。正確にはワンピースドレスは括れがあるものは着用しない。
それから本人決して可愛いものを嫌ってはいないのだが、胸が大きいところにフリルは過剰に見えてフリルの服は諦めている。
落ち着いた雰囲気を好むのもあるか、今はシャープな印象の黒いジャンパースカートを着用していた。
出されたジュースを一口。口を湿らせてから本題を切り出す千尋。
「シホちゃん。このままじゃアンナが先に告白しかねないよ」
用件はそれであった。
「……でも、恋愛は本人たちの自由だから」
物分りのいい台詞だが、さすがに歯切れが悪い。
恋に時間は関係ない。しかし詩穂理にしてみれば、幼い頃から築き上げた二人の関係がある。
正直、そこに割って入られるのは面白くない。いくら理知的な詩穂理でも割り切れるものではない。
「もう! シホちゃんそれでいいの? アンナにアニキを取られてもいいの?」
「それは……」
言葉に詰まる詩穂理。左手を顎に運び思案顔。
顔立ちと生真面目さから来る言葉遣いで気が強そうに見えるが、実のところ争いごとは大の苦手である。
裕生をめぐってでは一歩も引けないものの、それでも排除という行動には出れない詩穂理である。
左利きのまま成長した人物にはいくつかの要素が考えられる。
一つは親の放任。
日本においては右利きを前提に作られている製品が多い。
それゆえに子供を右利きに矯正する親が多いが、それをしないケース。
それで育った子供は自由気ままな性格になることが多い。
もう一つは本人が頑として矯正を受け入れなかったケース。
つまりはそれだけ頑固である。
詩穂理の場合は後者の特殊な例。
左利きの裕生のマネをしているうちに、自分も左利きになってしまった。
そして親の矯正を受け付けず今日に至る。
詩穂理はそれだけ裕生のことが好きなのだが、それでもアンナが裕生に恋をするのをとめられない。
むしろ嫉妬する自分を恥じている。この点でもやや頑固といえた。
「じれったいなぁ。アニキは超が三つくらいつく鈍感だから、シホちゃんが告白しないと絶対気がつかないよ」
「こ……告白なんて……とても」
思わずどもる程に動揺する。心なしか頬も赤い。
今の「幼なじみの延長」でもいいかなと思っていた。
周りを見ればなぎさは思い人がプレイボーイ。
美鈴は相手が「硬派」。そしてシスコン。
まりあの好きな相手に至っては、恋愛対象が女ですらない。
それにくらべたら裕生は鈍感なだけ。
まだ自分は望みがある。そう思う心に油断が生じていた。
焦りがないためか、性急な告白となるとどうしても身構える。
だが、そんなにのん気に構えてもいられなかった。
翌日。1年D組。たまたまアンナが教師に呼ばれていない始業前ホームルーム。さらにその開始前の時間。
生徒たちも自分の席に着かず、好き勝手に座っておしゃべりしているものが大半であった。
双葉と千尋も例外ではなかった。双葉の前方の少年と位置を交換した千尋である。
そして喋っているのはもう一人の親友のこと。
「そっかぁ。大変そうだね。槙原先輩も。でも千尋ちゃんもがんばってね」
笑顔の双葉が言う。それを恨めしそうににらむ千尋。
「双葉。あんた、自分のアニキがアンナのターゲットじゃなかったからって、ちょっとお気楽じゃない?」
「えへへへ。ごめんね」
謝ってはいるが、心配事がキレイさっぱりなくなった満面の笑み。
「もう。こっちはヘタしたらアンナが『お義姉さん』だよ」
さすがにそれは飛躍というものだが、少女の感性ではそういう言葉も出てくる。
大仰に天をあおぐ千尋を不思議そうに見ていた双葉が切り出す。
「ねえ。千尋ちゃん。口では色々言っているけど、お兄さんのこと好きなの?」
こちらも突拍子がない。
「ちょっと待った! 双葉。あんたが言うのは『肉親として』という意味よね?」
普通なら確認無用のせりふだが、発言したのが双葉となるとニュアンスが違う可能性…どちらかというと「危険性」がある。
「うん。そうだよ」
天真爛漫な笑顔で答える15歳の少女。一応それを信じることにした千尋。
「そりゃあ……血を分けた兄妹だもん。特に意識はしてないけど、別に嫌いじゃないし」
「ふぅん。お兄ちゃんを好きなのって、そんなに変なことなのかなぁ?」
心底理解できないと言いたげな表情のブラコン少女。
自分でもげんなりしてきたのがわかる千尋であった。
話題を打ち切るべく教室を出る。
「あ。待って。私も行くよ」
どうやらトイレに付き合うつもりらしく、双葉が席を立つ。
だが千尋は動いていない。呆然と廊下を見ていた。
その視線の先にはアンナと裕生。裕生が大量のプリントを運んでいた。
全体の六割が裕生。四割がアンナだった。
「アニキっ。アンナッ。なにしてんのよっ」
瞬間的に頭に血が上った。鋭く怒鳴ってしまう。
「おう。千尋。お前のクラスか。ちょうどいいや。このプリント。少し持ってくれ」
「ごめんね。チヒロ。お兄さんに手伝ってもらいました。日直の仕事」
「え?」
いわれて千尋は慌てて黒板に記されている日直を確認する。
アンナ一人の名前だった。もう一人の男子は風邪で欠席していた。
「それはわかったけど……何でアニキが都合よくそこにいるのよ?」
「ああ。昨日の件で大地と一緒に呼ばれてた。ペナルティが決まったと。オレはこれでペナルティ終了だが」
「ええっ。それじゃお兄ちゃんはどうなったんですかっ?」
人事でなくなってしまった双葉。
「ああ。大地は2年の男子トイレの罰掃除」
一緒に説教されていたので知っている裕生。
「そんなっ。男子トイレじゃ私は入れないから手伝えないっ」
一転して悲痛な表情になる。
そして千尋も似たような表情に。
何しろアンナが裕生に熱い視線を向け続けていたのだ。
(アンナ…本気なの? ずっと思い続けてきたシホちゃんの気持ちは……)
それを案じていた。
自分の兄と仲のよい幼なじみの恋仲を裂くのが無二の親友。
その図式を考えただけで、鈍い痛みが襲ってきていた。
その気持ちを知ってか知らずか。
その日一日、アンナのアプローチが続く。
一にも二にも目立つ外見である。
付きまとわれれば、嫌でも噂になる。
それが詩穂理の耳に入り、詩穂理も心中穏やかではない。
反面「叶わないな」と思うところもある。
何しろアンナは底抜けに明るいのである。
元々の整った顔立ちに笑顔という武器が加わるのだ。侮れるはずもない。
さらにはその性格の可愛らしさ。
本人が一人っ子のせいか、若干甘えん坊なところがあるのだが、それがまた妹的な魅力を醸し出していた。
さらには放課後。
スケジュールの関係かこの日はグラウンドが空いていた。
そこでアンナにせがまれたのがきっかけで、映画研究会はグラウンドを使ってのアクションシーンの練習となった。
映画を作ろうというのである。人目を気にしていては話にならない。
だから逢えて堂々とやる方向でいた。
そしてアンナは間近で鑑賞している観客というわけだ。
特撮で使うスーツはとにかく拘束されて動きにくい。
呼吸すらまともに出来ず、視界は僅かなスリットによってのみ得られる。
それでいて「超人」を演じるのだから、驚異的な運動能力を要求される。
まだ修行中とはいえど、裕生はそのつもりで邁進していたので、他の生徒と比べ物にならないパフォーマンスを見せていた。
公式の部活じゃ体操部所属である。身の軽さは折り紙つき。
「すごいすごーい」
繰り広げられるアクションシーンに手を叩いて喜ぶアンナ。
性格が可愛らしいと知っていても、これは思わず熱も入る。
恋心には疎い裕生も、「観客」の反応には敏感。
好感触に調子に乗った。
なんとトランポリンも使わずに空中で一回転。
そのままポーズを決めて着地。
それだけならよかったのだが、着地した場所がスプリンクラーと悪かった。
裕生本人はそれで躓いたとかはない。
だが真上からのこの衝撃でスプリンクラーが誤作動した。
勢いよく水をまき始めたのである。
「うわっ」「冷てぇっ」「きゃっ」
悲鳴を上げて逃げ惑う映画研究会。
そしてアンナはずぶ濡れに。
「ホントになにやってんのよっ」
またもや千尋に怒られる裕生。どちらが上かわからない。
「アンナ。着替えないと風邪引くよ」
当然の心配をする双葉。
「アパートがすぐだから平気だよ。でも見学もここまでだね」
ちなみにアパートというのはアメリカ人の場合「集合住宅」の意味。
日本人の感覚では「マンション」という呼称になる。
徒歩で通学できる位置に、アンナは住んでいた。
すぐに帰宅となったのだが、アンナはくしゃみを連発。
そして……翌日。アンナは学校を休んだ。