第4話「Fantastic Vision」Part3
私立蒼空学園は比較的オーソドックスなつくりをしていた。
正門から入り校舎へ。そのまま突っ切ると校舎に囲まれたグラウンドに抜ける。
下駄箱のある建屋は普通の教室を中心に構成されている。職員室もそうだ。
L字型になっている面積の狭いほうは音楽室。理科室。家庭科室など専用の教室が各階にある。
それと向かい合わせになっている形なのが講堂。そして体育館である。
その体育館に寄り添うように小さな建物がある。それが武道場である。
板張りの道場は剣道の授業で用いられる。柔道の時は片隅に積み上げられている畳を敷き詰めて使用する。
そしてこの建物は武術系クラブの拠点にもなっていた。
もちろんこれだけしかないので使用できる日は限られている。
剣道や空手は体育館で活動が出来るという理由から、柔道部が優先されている。
だが朝となればそうとは限らない。
申請してあれば使えるし、このときは逆に後で授業があるので畳を戻す時間がないからと「朝練」は柔道部が外れている。
この日は女子空手部が使用することになっていた。それも前日。急に申請を通してである。
恭兵と顔をあわせるのが辛いなぎさは、いつもと時間をずらして登校した。
とは言えどそれはほんの僅かな差。本当に顔を見ないで済む程度のタイムラグ。時間にして5分程度。
もし恭兵のほうに何かアクシデントがあれば簡単に埋まってしまう程度の差。
そしてその「不測の事態」が発生した。
(あれは……女子空手部?)
校門に入った彼女はその女子部員を見た。
そしてその集団の先頭に金髪の少年がいる事も。
(キョウくん!?)
悲しいことに恭兵が女性がらみのトラブルを冒す危険性は、なぎさにも理解できていた。
庇うつもりならその場で声をかける手もあったのだが、その辺りはスポーツ少女。
女子空手部にも言い分があるのかもしれないと考えた。
さらにはやはり恭兵と顔をあわせづらく……
結局はこっそりと道場の入り口で聞き耳を立てることに。
幸い「みはり」はいなかった。目立つことこの上ないからである。
道場の中。既に別の女子部員が取り囲むようにして座っていた。
「やぁやぁやぁやぁ。こんなに大勢の女の子に囲まれると緊張するなぁ」
軽口をたたきながら「しょっ引かれる」恭兵。
道場の真ん中に連れ出される。そのまま板の床に座らされる。
しかし正座は拒否。あくまで優雅に気取って座る。
そこまで徹底していると何もいえない。またやはり女子。その優雅な雰囲気に酔ってしまって注意を忘れた。
その恭兵に背を向け、神棚のほうを見ている空手着の少女。
長い黒髪を根本で無造作に束ねている。リボンすら使っていない。
その黒髪は艶やかに光っている。もう少し飾れば華やかになるであろう。
華奢な背中から男のようなオーラを発揮していた。
その彼女が恭兵のほうへと向き直った。
ストイックな印象の顔だった。
武闘家のイメージと裏腹の柳眉。
目つきはいかにも東洋系。美人ではあるが少々鋭すぎる目つき。
「私が女子空手部部長。芦谷あすかだ」
まるで友好的な雰囲気はない。一応は礼儀として名乗ったが、これは尋問なのだ。
「自己紹介どうも。僕は火野恭兵。もっとも知っててつれてきたんだろうけど」
「ほう。いい度胸だな」
軽く笑う空手部部長。「空気」を読んだのか軽薄な笑みの消える恭兵。
「それで? デートの約束ならしばらく詰まっているんだけどなぁ。それともここで」
これははぐらかしの意図である。
「神聖な道場でそんなことをするはずがないだろう。大体なんだ? 盛りの猫ではあるまいし、女を追い掛け回すしかやることがないのか?」
「それより重要なことって何かあるのかい?」
とぼけていない。本気で尋ねている。彼にとっての最優先はそれなのだ。
あすかはため息をついた。とんでもない異文化の相手を前にしたことでだ。
「まぁいい。本題に入るぞ。昨日の放課後。君は何をしていた?」
「おいおい。まるで刑事ドラマの取調べだな」
「まるで」ではなく「本当に」取り調べである。
ただこの取り囲んだ一同にリンチされる危険性が刑事ものとは違うところ。
「単刀直入に聞こう。彼女たちのシャワーを覗いたのは君か?」
本当に「男らしく」彼女は尋ねた。
なぎさはその様子をはらはらしながら道場の入り口からのぞいていた。
ほんの僅かな隙間だからか中の者たちには気づかれていない。
彼女としては恭兵を救いに飛び込みたいところだが、一年のときに同じクラスということからか芦谷あすかを知っていた。
(芦谷は理由もなくこんなことをする奴じゃない。でもキョウ君が何をしたって言うの?)
なぎさとしては恭兵を信じたいのだが、もしこれが女子空手部員を泣かせたのが理由で呼び出されていたらさすがに庇いきれない。
そしてそれが一番ありえるのであった。
道場では緊迫した空気が流れていた。
正確には「殺気」と言う方が近い。
実はこの部員の中にも恭兵に対して憧れを抱いていたものもいる。
しかしそれだけに「覗き」などと言う低劣な真似は「王子様」にふさわしくない「裏切り行為」だった。
可愛さ余って憎さ百倍……諺を地で行く展開だった。
「はぁ? 僕が覗き?」
まさにハトが豆鉄砲を食らったという表情の恭兵。
「一体なんでそんなことに?」
実際にやっていないのだ。このコメントはもっとも。
「昨日の部活終了後、シャワーを浴びていたら上の窓から覗いていた姿が見えた」
「僕が? そんなわけはないよ。だって昨日は珍しくまりあと一緒に帰ったし」
アリバイがある。証人の名前が出てどよめく。
もっともどよめきの半分は共に下校した相手が学園のアイドル。高嶺まりあだったということによるものである。
「それに覗きなんてするくらいなら直接口説いてどこか暗いところに行くよ」
余計な一言だった。顔を赤らめる純情なものもいる。
あすかは恭兵をにらんで黙らせる。そして「被害者」の少女に改めて問いただす。
「だが覗き魔は金髪だった。そうだな? 手塚」
「はい。確かに金髪…でした」
相手はとっさに覗いていた隙間から、ばれた途端に窓ガラスに顔を移動させている。
すりガラス越しである。金髪はわかっても顔までは…だから自信なさげである。
「なぁんだ。君はよほど僕の事を意識しているらしいね。金髪というだけで僕を思い出すなんて」
本能的にナンパと言うのもあるが、言外に「金髪の男なんていくらでもいるだろう」と言っている。
だがいつの間にか立ち上がり、その手塚と言う部員のそばに移動して、ちゃっかり肩まで抱いている辺り前者が真相のようだ。
「神聖な道場で破廉恥な真似をするな」
冷静に振舞っていたあすかだが、さすがに忍耐力が限界だったらしい。
あすかは立ち上がるとあっと言う間に間合いを詰め、恭兵の顔を目掛けて正拳を見舞った。
風見裕生がそこを通ったのはたまたまだった。別の用事を済ませて教室に戻ろうとしたら特徴的なポニーテールが目に留まった。
幸い先になぎさが目視で確認できたため驚いて声を上げるような事態は回避できた。
だが裕生は逆に興味を持ってしまい接近してくる。
「綾瀬。なに見てんだ?」
なぎさは応えない。
裕生もつられて見てしまう。
そして二人…道場の一同は信じられないものを見る。
確かに恭兵の顔面を捉えたはずの拳だったが、それがすり抜けたのだ。
「な…なにぃ? そんな馬鹿な」
不意打ちではなく本気で打ち込むがかすりもしない。
「なんと面妖な? 妖術使いか?」
「おいおい。むきになるなよ。自慢じゃないけど結構女の子を怒らせることも多くてね。ビンタをもらっちゃうこともあるんだ。それで顔面への攻撃は耐性が出来てね」
「そんなまさか」
「そんな理由であの神技的ディフェンスがマスターできるだなんて」
信じられない思いはあすかも同様だった。
「ふざけるな」
大上段から手刀を振り下ろす。こんな大振りな技は普通は当らない。
だがなんと恭兵はこれを「白刃取り」した。
「なっ?」
逆上しての技とは言えどこうもあっさり取られるとは予想外だった。
まだ逃げられるかガードされたならショックはない。
「うーん。空手なんてしているからどんなごつごつした手かと思ったら、案外すべすべで柔らかいんだね」
陳腐な台詞だが言われてあすかは赤くなる。
いわば男に自分の手を握られているのだ。
「やっぱり女の子なんだねぇ。そんな恐い表情より笑った方が可愛いよ」
言われて今度は目つきが変わる女子空手部部長。完全に怒っている。
だから扉が開いた音も聞こえていない。
そして強引に恭兵に握られた手を振り解く。その反動で前のめりの恭兵。
そこを目掛けて正拳中段付き。今度はかわしようがない上にカウンターだ。だが
「おっと」
飛び込んできた裕生がその手で拳をブロックした。さらにぶつかった勢いで両者は離れる。
「風見!?」
ここでやっと闖入者の存在に気がつく。なぎさ同様に一年のときは同じクラスだった裕生に。
その裕生は文字通りヒーローのように現れ、そしてポーズを決める。
「俺、参上」
恭兵とは違うのりで見られることを意識している。
「言っておくが俺は最初からクライマックスだぜ」
「…………は?」
目が点になる女子空手部員たち。照れ笑いをする裕生。
「あー……ごめん。間違えた。言い直す」
恭兵たちも思わず逃げ出しそびれる程の「間違い」だった。律儀に言い直し、ポーズも決めなおす裕生。
「言っておくがオレも空手初段だぜ。簡単にゃやられねーぜ」
子供のころから自主的に武道を嗜んできた。もちろん「ヒーローになるため」に。
改めて宣するとあすかの目がすっと細くなる。
「面白い。初段同士。お手合わせ願おうか」
手ごたえのありそうな相手を見つけた。そんな表情。だが裕生は応じない。
「やだね」
「なんだと? 怖気づいたか」
「だってお前、女じゃないか。仮にも正義のヒーローになろうというのに、女相手に戦えるかよ。男にとって女は守るものだ」
裕生としては挑発の意図はまったくない。わざわざ怒らせる道理もない。
ただ「主張」しただけだ。
わなわな震えるアスカの肩。
「女…女…女…好きで女に生まれたわけではないわ!」
魂の叫びだった。怒りで暴走して突きを乱発するが、裕生はさすがにかわし方も心得ている。
あたりそうになったものは手のひらで受け止めている。
あすかの拳そのものをいためない配慮である。
そしてそれがさらに怒りの炎を燃え上がらせる。
「通してくれないかな。今度デートしてあげるからさ」
当然のように逃がさないために立ちはだかる女子たち。
それを懐柔しようとしている恭兵だが、ナンパにしかなってない。
なぎさは頭が痛くなるより、自分の目の前で他の女子をナンパするそれに寂しくなってきた。
だがそれどころではない。
もはや痴漢疑惑じゃない何かに怒り狂ってしまったあすかの暴走。
いくら裕生でもさばききれなくなる。
食らうか。あるいは身を守るために反撃を余儀なくされるか。
どちらにしても裕生。そしてあすかの心と体を傷つけそうだった。
(仕方ない。止めるにゃこれしか……)
なぎさはすっと息を吸い込んだ。そして意外に綺麗な声で運動部じこみの肺活量に物を言わせて大声で言う。
「芦谷。いい加減にしないとばらすよ!」
まるで魔法の呪文である。ぴたっと動きが止まった。
「バラス?」
怪訝な表情の裕生。そして逆上とは違う意味で赤くなっているあすかである。
「あ…綾瀬。まさか…」
「そ。あんたんちのこと」
にっこり笑って言うなぎさ。何かを知っているらしい。
「主将の家?」
「そう言えばだれか行ったことある?」
「ううん。それどころか遊びに行っていいかとたずねたら物凄い勢いで断られたことがある」
口々に喋りだす女子部員たち。
「なぎさ。彼女の家がどうしたって?」
恭兵も不思議そうにしている。
「あたしんちがラーメン屋でしょ。芦谷の家はね…」
「き…汚いぞ。綾瀬。卑怯者」
完全に声が上ずっている。よほど知られたくないことらしい。
「弱点を攻めるのは定石。格闘はそうじゃないの?」
的外れと言い返したいが、何しろ容疑でしかない段階で恭兵を連れ込んだ非もある。分が悪かった。
「……放してやれ……証拠は何もない」
「でも部長…」
「いいから!」
凄まじい迫力に覗かれた手塚という女子も渋々従う。
道が開かれる。
「ありがとう。仔猫ちゃんたち」
投げキッスで別れの挨拶をする。どこまでもマイペースな恭兵である。
「で、なんだったんだ? 今のは」
「こっちが聞きたいよ。キョウ君。何をしたの?」
問い詰めるという形のせいか、女子相手に喋るのと同様に普通に会話が出来ていた。
「確かに…女の子を泣かせた覚えならないこともないんだが…」
真顔で言うナンパ男。廊下での三人。
すっかり忘れて教室に入ると、ホームルームの真っ最中だった。
「あ」
「修羅場」で時間が食い込んでいたことを失念していたのだ。
「三人とも。後で職員室まで来てくださいね」
以下に温和な担任といえど、さすがにこれはしぼられそうだ。
「……ハイ」
もちろん選択の余地はない。
一日が過ぎ、この日も放課後になる。
この日は野球部がグラウンドを使う。
そのためサッカー部も陸上部もなかった。
恭兵。そしてなぎさは素直に帰宅することにした。
朝のドタバタで恭兵がまりあと下校していたのはどこかに吹っ飛んでしまったものの、冷静になると気まずさが出てくる。
第一に恭兵はまた多くの女子に囲まれていた。とてもじゃないがアプローチはかけられない。
落ち込みながら後をついていくように歩いているなぎさ。
その耳が異音をキャッチした。
(何? 今の音?)
植え込みの中に何かが入った印象。
普通なら猫か何かと考える。しかしそれよりははるかに大きな音の印象。
思わずそちらを見ると「作業着の男」がいた。
一見すると学校が呼んだ業者か何かに見える。しかしそれなら今の音の説明がつかない。
一人だけというのも怪しいが、これは一応作業の程度では単独もありえると納得できなくはない。
だがそれならもう少し堂々と入ればいい。
そして決定的なのは作業帽からのぞく金髪。さらに向かうのがシャワールームの方角。
(もしかして…コイツがのぞき魔? キョウ君はこいつに間違われて…)
そして作業に見せかける自信があったのか、堂々と窓に接近する。
シャワーの不調を修理に来た水道工事の人間とは考えなかった。
パンスト着用とは言えど制服のスカート姿でなぎさは大きなストライドで走り出した。
学園一のスプリンターの名は伊達じゃない。あっと言う間に「作業員」に詰め寄る。
そしてその気迫が「男」にぼろを出させた。
思わずナイフを抜いたのだ。
なぎさはそれに怯まない。スピードを増していく。
野球のベースランニングなら二塁を蹴って三塁へ。そしてバックホームとの勝負でホームを目指す加速だった。
「わ、わわっ」
作業用には見えない登山ナイフを横薙ぎにする男。
大振りだが怯ませて追い払うだけだろう。
それを掻い潜ったなぎさは反射的にスライディングの形に。
そのまま低い位置にある男の急所を思い切り蹴り飛ばした。
「△※▼→○(>_<)!!!!????~~~~~っっっ」
声にもならない。
いくら不安定な体勢といえど下から思い切り男子最大の急所を蹴り上げられたのだ。たまったものではない。
なぎさが女ゆえにその痛みが理解出来ず、まったく手加減しないのもダメージを増していた。
痴漢騒動は知れ渡っていた。
恭兵の取り巻きは彼を信じるとアプローチをかけていた女子たち。
優しげだが股間を押さえて悶絶する男を残酷に笑う。
かなりの確率で痴漢であると思われるから遠慮無用なのと、やはりその痛みが女の身ゆえに理解できなかったから。
だが恭兵は思わず腰が引ける。
「ゴールデンストライカー健在だな…………」
苦々しくつぶやく。
「ふう」
油断はしてないがさすがに緊張を緩めて立ち上がるなぎさ。
その足を包むパンストが「スライディング」の際に地面にすれた。
物の見事に敗れて、白くて細い足の一部を見せていた。
それに気がついたなぎさ。
「きゃああああっ」
まるでスカートがめくれたかのような反応で、しゃがみこんで素足を隠すのであった。