最終話「Happiness×3 Loneliness×3」Part3
プールの一件の翌日。
登校してきたまり太に明確な異変があった。
まだ男子制服のままだったが胸元は大きく膨らんで女性であることを知らしめていた。
「まり太君。おっぱいがある?」
まるで「まり太」が女子である事を忘れていたというか「知らなかった」かのように美鈴が驚く。
「ああ。くそ暑いんであれ脱いじまった」
「あれ」が「ナベシャツ」を指しているのは明白だった。
久しぶりにブラジャーをつけてきた。
まったいらで過ごしていた時期もあり、最初はそれで大きくなったと錯覚していたが、実際にBカップからDカップになっていた。
前日の時点じゃあくまで男で通そうとしていたがそれを断念。
しかし所有していたブラジャーはすべてBカップ用で全滅。
下校してから慌てて間に合わせで新しいDカップ用のブラジャーを購入してきた。
まだワイシャツとスラックスの男子生徒姿だが、この胸の膨らみでいっぺんに女性的になった。
よく見ると逆に股間のふくらみがなくなっている。
そして表情も柔らかくなってきた。
照れくささからか頬を赤らめていた。
休み時間、女子トイレに入るまり太。
まだスカートではないが、だいぶ女子に戻りつつある。
いっぺんにではなく段階的ということか。
さらに翌日。
「まり太」はとうとうスカートを履いて登校してきた。
トップスもブラウスの上からベストと女子制服姿だ。
ピアスすらメンズのシルバーリングから、ハートをモチーフにした女子用に変わっている。
不思議なもので男装の時は痛々しく見えた「ベリーショート」も、女子の姿だとファッションに見える。
照れがあるらしい「まり太」は教室におずおずと入ってくる。
それを迎える詩穂理。なぎさ。美鈴。
なぎさはピアスこそしているが、ツインテールはだいぶ下になっている。
詩穂理は一時の金髪ソバージュから黒髪に戻り、ソバージュも取れてきた。
美鈴は前髪をあげてカチューシャで押さているのは変わらないが、メイクもマニキュアもやめていた。
三人もだいぶ前の姿に戻りつつある。
「あの、みんな。おはよう」
可愛い声が戻ってきた。
「ああ。おはよう。『まりあ』」
なぎさが快活に笑って言う。
「どちらかというと『おかえりなさい』という印象ですね。高嶺さん」
詩穂理も微笑む。
「まりあちゃん。逢いたかったよー」
美鈴たちが三年になってからあっていたのは「高嶺まり太」であり「高嶺まりあ」ではなかったということだ。
「お騒がせしました」
粗暴な男子としての姿は消えて「育ちの良い女の子」に戻ったまりあは頭を下げる。
「いや。いいけど、どうせ戻るなら昨日からにすればよかったのに」
「あれだけ意地はってていきなりはできなくて……途中までは女子用で進めていたけど、結局外側は男子用になっちゃったし」
「いったい何に意地を張ってたんだよ?」
「誰に?…ですかね?」
なぎさの言葉に詩穂理が訂正というか補足を入れる。
「あのくそオヤジ」
一瞬だけ表情が「まり太」に戻った。
「まりあちゃん。言葉が」
美鈴に指摘されて口を押えるまりあ。
「……お父様に『所詮お前は女なんだ。男にはなれない』と笑われて。それで昨日は完全に女の子に戻る踏ん切りがつかなくてあんな中途半端に」
三人はまりあではなく、その父。礼嗣の言い草にため息をついた。
せっかく戻りかけているのをわざわざ男に戻す気かと。
「でもやっぱり無理だったわ。胸は晒せないし、その……女の子の日は来るし。胸をつぶすつもりで筋トレしていたのに2サイズアップしちゃったし」
「ウソ!? それじゃまりあちゃんDカップ?」
「恥ずかしいから言わないで。美鈴さん」
不思議なもので少し前までと男としてふるまっていたし、髪もまだまだ短いのに今のまりあは女らしく見えた。
「あー。筋トレでね。なる子はなるみたいね」
トレーニングは欠かさないなぎさには思い当たる節があるらしい。
「実は私もヒロ君と一緒に体を動かしていてるんですが、その程度じゃバストアップにはなりませんよね?」
「それ以上大きくなったら、しほちゃん動けなくなっちゃうんじゃ?」
「本末転倒ですよね」
一同は笑う。
そこで予鈴がなり話をやめて座席に。
この姿は優介にもメールで送られた。
彼は女に戻ったまりあを見て安堵した。
その直後、自分自身に驚いた。
(なんでアイツが女に戻ったのを僕が喜ぶんだ? 疎ましく思っていたはず。どうでもよかったはずなのに)
それに自分かホモと認識しているのに関わらず、男子校はパラダイスにならない。
右を見ても左を見ても「恋愛対象」のはずなのに、まるでその気にならない。
思えば恭兵の唇を奪った時も、それ以前にBL同人誌を見た時もときめきはなかった。
そのときめきは胸の大きくなったまりあに感じていた。
いよいよ自分で自分に疑惑をかける。
実は男が好きなわけではないのじゃ?
単に姉たちやまりあがべたつくのが疎ましかったのと、男同士の関係が楽で勘違いしていのでは?
そして、まさかまりあの事が気になってるのでは?
百歩譲って好きだったとしても、散々冷たい仕打ちをしておいて今更あまい表情をして会えないだろうとも。
その後は姿こそ大きく変われど以前のまりあに戻っていた。
そのまま一学期を終え夏休みに入る。
しかし夏休みに入ると一切連絡が取れなくなった。
もともと登下校で完全に送迎があり、下校時に寄り道なんてこともできなくっていた。
それだけに屋敷から出られないのかもしれないと詩穂理たちは推測した。
だとしても電話やメールもできないとなるとおかしい。
確かに校外では常に使用人が付き従っているので、彼女自身が電話の必要はない。
とはいえ何度かけても通じないのはさすがに異常と感じた
受験生となった三年の夏休みである。
勉強で忙しいのもあり、そしてそれぞれ恋人関係になっての夏である。
勉強の合間には二人だけで過ごすことも多い。
「独り者」のまりあに声もかけづらく、そんなにアクセスもできなかった。
北海道の優介も突然まりあからのメールが止まったことに戸惑い、不安になる。
そして不安を感じる自分に戸惑う。
彼も受験生。だが進学先はこの辺りで大きく揺らぐ。
そしてそれを決定づけるメールが、北海道の短めの夏休みが終わったころにまりあのスマホからくる。
送信者は明らかにまりあではないが、まりあの写真が添付してあった。
(あのバカ! またかよ。それになんてことを!?)
衝撃的な姿だ。
それを見て完全に気持ちも決まった。
九月一日。
都内の学校は一斉に二学期に入る。
教室では再会に喜ぶ面々。あちこちで近況報告になっている。
しかしまりあはまだ来ていない。
不安を覚える美鈴達。
「美鈴、なんか嫌な予感するの」
自分を名前で呼ぶくせももどっていた美鈴。
「奇遇だね。あたしも」
なぎさの髪はうなじで束ねられていた。
「前もそうでしたよね」
詩穂理も試験勉強が祟り視力が低下。
トレードマークのメガネが復活していた。
ただし顔の印象をさほど変えないノンフレームの物に。
そして「いやな予感」が的中する。
「ちぃーっす」
聞きなれたまりあの声で、聴きなれない口調。
それで注目すると全員驚いた。
まさに二年の男装騒動と同じ展開。
ブラウスのボタンを開け、Dカップに成長した胸の谷間が見えている。
派手な化粧もしている。
ピアスは左は一つだが右が二つになっていた。
髪はつむじから金色になっていた。
スカートは制服のものだが、下着が見えるすれすれの位置に裾がある。
いくら夏とはいえ肌がかなり黒くなっている。
まりあがギャルになっていた。
前回同様に「公開説教」かと思いきや木上も「男よりはまし」と思ったらしく「ほどほどにね」とだけ言うにとどまった。
始業式も終わり、教室に戻るとまた質問攻めだ。
そこでわかるがまりあの口調がやはり変わっていた。
ギャルといわれて想像する口調だった。
「いくらなんでも焼けすぎじゃない?」
「あーこれ? 日焼けサロンで焼いてきたの。わた……アタシ焼けにくくて、ここまで黒くするの大変だったわ。肌もあれるし」
「髪の毛もすごいね。根元から金色じゃない」
「へへ。この短さだからできたんだよね」
現在は8~9センチ。伸びるのが早い方らしい。
「ピアスこれ、本物?」
ついている石と穴が本当に開いているのかという意味だ。
「(宝石は)本物だし(ピアス穴が開いているのは)本当だよ」
いうとバカのように笑う。
いや、すべてを捨てた世捨て人の哀愁もある。
そんなまりあを苦々しく観ていた恋愛同盟の三人。
「まりあのやつ、完全にギャルじゃん」
「まりあちゃん。風邪ひいたのかな? お声が変だね」
「言われてみると高嶺さんの声、確かにかすれ気味ですね?」
何か別の異変もあるのかと三人は思った。
そしてそれは意外に早くは判明する。
帰宅となった時点でやっとまりあが三人に接触してきた。
「あんたたちとはじっくり話したかったからね。うちに来ない?」
まりあのほうから切り出してきた。ならば是非もない。
「わかりました。お邪魔します」
詩穂理の言葉は三人の総意だった。
屋敷。まさにそう形容するしかない豪邸。
それがまりあの実家だった。
正門を通り抜けた送迎車は、ゆっくり走っているとはいえまだ建屋につかないほどの広さ。
「はは。東京ドームが何個入るんだろ。この土地」
ひきつり気味になぎさが言う。
一番大柄なのもあり助手席である。
いくら華奢な少女達とて後部座席に四人は無理だ。
車の左側から詩穂理。美鈴。まりあと座っている。
「んー。それは考えたことないなぁ」
金髪のメイド。陽香は以前からの顔見知りなのもありフランクに答える。
「まぁ今日は格別ゆっくり走ってるんだけどね。あんたたちに屋敷の中も見せてあげようと思って」
単なる案内というのはわかるが、別世界を垣間見た気分の三人だった。
「着いたよ」
扉の前で停車すると、若い男性の使用人。フットマンが車のドアを開ける。
最初にまりあが下りて同時になぎさ。あとは順次美鈴。詩穂理と降りてくる。
『おかえりなさいませ。お嬢様』
「あ。ただいま。友達連れてきたから」
ぞんざいな口調も以前からは考えにくいまりあ。
もっとも一学期の大半は「男」として通していたが。
それよりははるかに「女らしい」と言えるが。
「いらっしゃいませ」
恭しく礼をするメイドたちフットマンたち。
恐縮しながら三人はまりあの後をついていく。
以前の普通の家とは違い、ホテルのスイートルーム並みの広さのまりあの部屋。
なんとベッドは天蓋付きだ。
調度品にピンクが多いのと、たくさんのぬいぐるみに「よく知るまりあ」のイメージがありホッとする三人。
しかし何かがおかしい。
初めて入る部屋なのに違和感がある。
それも不快なものが。匂いだ!
「適当に座ってよ」
いうとまりあは客人用にクッションを運ばせた。本人は制服から着替えるという。
三人は弧を描くように座る。
まりあは大きなTシャツとホットパンツというイメージと違う服を着て机の椅子に腰かけている。
三人とは距離がある。
まりあは机のすぐそばにある機械のスイッチを入れる。
(空気清浄機?! やはりこの匂いは)
美鈴の推測は当たっていた。
机の引き出しから煙草の箱を取りだすと、まりあは一本口にして慣れた感じで火をつけて吸った。
「まりあ。あんたタバコ……」
なぎさは言葉が続かない。
「吸ってるよ。それが何か?」
高嶺まりあ。18歳。未成年。喫煙は許されていない年齢だが、やたら様になっている持ち方は何年も吸っているかのようだった。
「やはりこの匂いはタバコのだったのね」
美鈴自身はもちろん、彼女の両親も煙草を吸わない。
喫煙習慣のない環境下で暮らすゆえ、空気清浄機でも取り切れないタバコのにおいに気が付いたのだ。
「タバコ。その姿。そして口調。あまりに変わりすぎています。なにがあったのです?」
詩穂理はむしろまりあが現在を知らしめるべく、わざと目の前でタバコに火をつけたと考えた。
「全部あのくそオヤジが悪いんだ」
「お父様」に戻っていたはずがまた「くそオヤジ」呼び方が変っていた。
夏休みに入るとまりあは外出を許されなかった。
家庭教師による個人レッスンで学校より厳しいスケジュールをこなすことに。
そのうえにスマホも取り上げられた。
優介と連絡を取れなくなるようにする目的なのは明白。
それでもまだ我慢をしていたが決定打が「政略結婚」だ。
そのためのレディにするために閉じ込めたという。
優介と引き裂かれたうえにこの束縛。
まりあの怒りが爆発した。
しかしとてもではないが「男になれない」のは証明済み。
それで礼嗣が多寡をくくっていると感じた彼女は、それならばとグレることにした。
不良少女になって、父の顔に泥を塗るというわけだ。
初めに髪を金色にした。
そして肌を焼き、ピアス穴を増やした。
不良少女というよりギャルよりなのは本人の趣味。
かなり悪くなった。
しかしまだ足りない。
「それで思いついたのがタバコでね。喫煙で補導でもされりゃあのオヤジもちったぁ堪えるだろうさ」
「あんた三月じゃ池袋で煙から逃げていたのに」
それが今や自分でむせもしないで吸っている。
変わるにもほどがある。
「そんな姿を水木君が見たらなんというか……」
まりあ最大の泣き所である優介の名前を出した。
「もう知ってるよ。なにしろタバコ吸ってるところを写真に撮って、アタシの目の前で優介に送り付けていたから」
もちろん礼嗣の仕業だ。
「そりゃあ……今のあんた見たら水木君も愛想をつかすよ。そういう狙いか」
まりあがどれだけ優介を思い続けても、肝心の相手が見限れば熱も冷めると思った礼嗣の指令だ。
さらにまりあのスマホから優介の連絡先を削除させた。
これはどちらかという『まりあをたぶらかした男』を断ち切りたい思いから。
「しかしどうやってタバコを調達してんのさ? あんたじゃどうやっても二十歳超えては見えないぞ」
「それはわたしが命じてメイドに買いに行かせているからです」
年齢を重ねたまりあという印象の女性が部屋の入り口にいた。
「誰?」とは三人とも思わなかった。
「初めまして。みなさん。まりあの母です」
翡翠は礼をする。
詩穂理たちも挨拶を返す。
(ああ。まりあちゃんのお母さんだなぁ)
美鈴は痛感した。
顔が似ているのはもちろんだが、フリル。レースを多用したドレスがまりあそのもの。
この場合、彼女の趣味にまりあが影響されたというのが正しい。
「ママ!」
父親が「くそオヤジ」になったのに、母親は「ママ」なのは「味方」だからか?
「あの……母親の貴女が未成年である娘の喫煙を助長しているという解釈でいいのでしょうか?」
友人相手でも敬語の詩穂理。
友人の母親という目上に対してはことさらかしこまった口調になる。
「そうよ」
悪びれず答える翡翠。
「どうしてそんな?」
「だって不公平じゃない? 父親は大人で、お金も力もあるわ。それに対してこの子にあるのは美貌だけ」
(あ。親ばかだ)
自分の娘を他者の前で「美貌だけ」などというのになぎさは反射的に感じた。
ひょっとして甘やかしているのは父親だけではなく、この母親もなのかとも。
「あの人の気分次第で閉じ込めたり、好きな相手との仲を引き裂いたり。やりすぎだわ」
憤慨している。
「だからわたしが味方してあげているの。政略結婚なんて女の自由を奪うような話は認められないわ」
まりあには人を惹きつけるところがるが、母親に「しつけ」を忘れさせるほどとは思わなかった三人。
「あのぉ……それでもタバコまで吸わせるのはどうかと……」
美鈴がおずおずと口にする。
「若い頃は多少のやんちゃはするものよ。わたしも15の時には吸ってたし。秀一を妊娠したのをきっかけにやめましたけど」
「ママとアタシ。やはり親子だねーっ」
半分ほど吸ったタバコを灰皿に押し付けて消す。
煙が漂わないように清浄機のそばに灰皿を移動させる。
「納得いくまでケンカすればいいのよ。家族ですもの。そんな程度で壊れたりしないわ」
(見た目と裏腹に体育会系だな……)
体育会系そのもののなぎさは共感を覚えた。
「それに若い今ならとことんまで堕ちたところでやり直しは利くわ。底から這いあがる強さはある子よ」
「だからと言って非行の助長はいかがなものかと思います」
きっぱり言う詩穂理。
「若い頃は荒れていた偉い人もいっぱいいるわ。このすさんでしまった経験も、大人になって役立つものよ」
さては15歳時の喫煙といい、経験者だなとなぎさたちは感じた。
ぐれたまりあを見るのが忍びなくて、詩穂理たちは早々に帰ることにした。
「なるほどなぁ。あの母親が手を貸していたから、いろいろできていたわけね」
帰宅も車のなぎさたち。
自転車を置いてある詩穂理のために送り先は学校。
なぎさはそこから徒歩で帰れる。
美鈴を蒼空学園前駅で下ろしたら帰る。
今度はまりあがいないので三人とも後部座席だ。
「そういうこと。あたしらの直接の雇用主は旦那様だけど、実質的には奥さまの下にいるようなものだし」
相変わらずフランクな陽香が運転している。
平気で内部事情を明かしている。
「不思議には思ってたんです。男装や金髪になったのもあの人の後ろ盾だったんですね」
「旦那様も奥さまには頭上がんないから」
快活に笑って言う陽香。
「でもあんなまりあちゃん。美鈴は嫌だな……」
珍しく否定的なことを言う美鈴。
なぎさや詩穂理も同意だ。
「ちっさいころから思い続けていた優介さんと引き裂かれたんだ。そりゃもがくしあがくよ」
まりあの姉のような存在である陽香の言葉に黙り込む三人。
「もうちょっと見守ってやっててくんない?」
しかし見るに堪えない転落をしていくまりあ。
もう十月なのに肌は一層黒くなり、化粧も派手。そして濃くなっていく。
ただし黒いのは顔だけ。手足は普通の焼け方だ。
黒く見せる化粧しているらしい。
アクセサリーも増えて指輪だらけ。
ピアス穴はさらに二つ増え、左右で五つのピアス。
露出した右の乳房の上側にアゲハチョウのタトゥーが入ったのには、まりあの奇行には慣れたクラスメイト達も仰天した。
さすがにシールだと本人が明かす。
未成年だから彫ってもらえないとも。
言い換えれば、可能だったら消えない彫り物をするつもりだったのかと誰もが思った。。
タトゥーはさらに左の内ももにバラ。左の頬にハートの物が追加される。
爪も派手なネイルアートが施される。
そして教師に対しても反抗的な態度が目立ち始める。
そんなまりあに対してぶつかっていたあすかや瑠美奈も、もう何も言わなくなった。
教師たちは匙を投げ、あすかや瑠美奈などには見放された。
触れるものすべてを傷つけるまりあは、いつしか孤立していた。
「学園のアイドル」とまで言われた少女の恐ろしいほどの堕ち方。
天使のような少女だっただけにいわば堕天使。
それでもなぎさ。詩穂理。美鈴は見捨てなかった。見捨てられなかった。
受験の息抜きということで、陽香を通じて土曜日にまりあを誘い遊びに出る。
まりあもさすがに彼女たちにはとがった態度はとらない。
なお失恋が原因でここまでぐれたのである。
それだけに自分たちは上手くいっていると見せつけるような形になるのを嫌い恭兵。裕生。大樹が同行するのは丁重に断った。
私服となると一層派手なまりあの姿。
もう11月も近いのに太ももをさらしてある。
寒がりだったはずなのに、変なところで「根性」を見せていた。
タトゥーシールを週ごとに貼りなおしているが、ずっと同じものなので本当に彫ったような印象もある。
その見た目もあり、通行人にも避けられるまりあ。
「ふん」
彼女は面白くもなさそうに鼻で笑う。心配そうに見ている詩穂理。なぎさ。美鈴。
しかしそんな心配もどこ吹く風。まりあは喫煙スペースを見つけて駆け寄る。
「ちょっと? どこ行くのさ?」
「ごめーん。ヤニが切れた」
人差し指と中指でタバコを吸うしぐさをして喫煙所に飛び込んでいく。
バッグから煙草を取り出すと、すっかり慣れた手つきでショッキングピンクの口紅に彩られた唇でくわえて火をつけた。
「あのバカ。とうとう表で」
なぎさの言うとおり今までは吸うのはずっと家でのみだった。
「どうしよう。見つかったら捕まっちゃうよ」
おろおろする美鈴。
「こうなったら少々荒療治ですが」
詩穂理も喫煙スペースに入っていく。
「お。しほりん。あんたも吸うかい?」
まりあはからかいでタバコを差し出す。
だから名前もふざけて呼んだ。
「ええ。いただきます」
左手でタバコを抜き取る詩穂理。
「お、おい?」
てっきり「要らない」と突っぱねると思っていたらこの行動。
予想外でうろたえるまりあには構わず、タバコを口にくわえる詩穂理。
「火をつけて」と言わんばかしにくわえたタバコを突き出すが、まりあはライターを出さない。
しかし詩穂理も頑なだ。一度タバコを口から離し
「申し訳ありません。火を貸していただけますか?」
近くの男性に願い出る詩穂理。
「あ、ああ」
まりあも詩穂理も18歳。
しかしまりあはその厚化粧と態度で。
詩穂理は元々の大人びた顔で成人に見えなくなかったので、男は戸惑いつつもライターの火を差し出す。
タバコの先端を火につけ軽く吸い着火させる詩穂理。
「けほっ」
吸った際に軽くむせる。
「大丈夫か?」
大人だとしても初めてのタバコはあり得る。
「ええ。初めてなので。もう大丈夫です。それとライターの火、ありがとうございました」
「バカ! 大丈夫なもんかよ。こんなところみつかったら」
まりあが怒る。
未成年の優等生が喫煙なんて知られたらどうなるか。
ましてや駆け出しとはいえ写真モデル。未成年の喫煙は格好のスキャンダルだ。
「その『バカなこと』を、あなたはずっとしているんですよ」
静かに怒りをあらわにする詩穂理。
敢えて反面教師になる詩穂理に、まりあは一言もない。
「そうだぞ。まりあ」
なぎさまで入ってきてタバコを手にする。
「なぎささんまで!?」
似非ギャル。偽不良のメッキがはがれ、元の口調が出てくるまりあ。
「友達だもんね。なにがあってもまりあちゃんと一緒だよ」
美鈴までもがタバコに手を伸ばす。
そして口にくわえる。火がついてなくても口にくわえるだけでも問題だ。
「捕まっちゃうならみんなで捕まろう」
笑顔で覚悟を示す美鈴。
完全にそれに飲まれたまりあが叫ぶ。
「やめて。みんなやめて。わたしが悪かったから」
自分が墜ちていくのは良くても、親友たちが墜ちるのはまりあには耐えられなかった。
もちろん詩穂理もなぎさも美鈴も「堕ちたまりあ」を見るのが忍びなかった。
だから落ち込んだ深い穴からまりあを引っ張り上げるべく危険な真似をした。
まりあはすでに吸っていたタバコは灰皿に捨てる。
バッグからタバコとライターを取り出して、詩穂理に火を貸した青年に「これ、いらないからあげます」と差し出す。
「え? タバコはともかくこんな高そうなライターもらえないよ」
しかもピンク色で明らかに女性向けデザインで困惑する青年。
だがまりあはそれに構わず、三人とともにスモーキングエリアを出る。
三人ともタバコを捨てたのは言うまでもない。
逃げるようにその場を出て路地裏に入り込む四人。
「ご、ごめんなさい……」
けばけばしい化粧と派手すぎるアクセサリー。
タバコのにおいすらするのだが、元のまりあに戻って謝る。しゃくりあげている。
「わかってくれたらそれでいいんです」
詩穂理がほほ笑む。うっすらと目じりにしずく。
「くじけそうなになったら、いつだって支えてやるよ」
笑ってみせるなぎさの目にも光るものが。
「美鈴達、友達じゃない」
美鈴はもう涙腺決壊している。
「みんな、ありがとう」
礼を言って気が緩んだのかまりあが崩れかかる。
それを三人で支える。なぎさの言葉だったが、三んで支えて見せた。
まりあは号泣する。詩穂理。なぎさ。美鈴も涙が流れるままだ。
もはや遊ぶ雰囲気でもなくなり解散した。
帰宅するとまりあはアクセサリーをすべて外し、化粧を完全に落とす。
タトゥーシールもすべて剥がし、父の帰宅を待つ。
そして父と娘の対面。
初めにまりあは頭を下げた。
それまでの自分の行い自体は謝罪する。
しかし、結婚は好きな相手としたいと訴えた。
「……」
未だ承服できないでいる礼嗣。二人に対して翡翠が助け舟を出す。
「まりあもこうして謝ったんだし、もう許してあげたらどうです?」
「だがな、俺はまりあに幸せになってほしくて」
「だったら好きな人と一緒にさせてあげてください」
ぐうの音も出ない正論だ。
「まりあはもうどん底まで堕ちたんですよ。それをさらに墓穴の底で墓穴を掘ってつき落とすような真似をするのですか?」
これは堪えた。
眼の中に入れても可愛くない娘が男になったり、不良に墜ちたり。
さらに変貌というと想像もつかない。もう耐えられなかった。
「わかったよ。好きにしろ」
礼嗣が折れた。
まだまともに恋をさせた方が耐えられる。
そして取り上げていたまりあのスマホを持ってくるように命じた。
数分後、返されたスマホは充電ができていた。
少なくとも直前まで電源は入っていた。
受信はできていた。
まりあはそれを受け取ると真っ先にメールを確認した。
詩穂理。美鈴。なぎさをはじめ様々な相手からのメールは夏休みに入ってからも受信できていた。
しかし優介からのメールは一通もない。
まりあはメールを送り届けていたのだ。メールアドレスはそれでわかる。
なのに優介はスマホを取り上げられた七月下旬からこの十一月まで、ただの一通も返事をよこしていなかった。
とことんまで堕ちたはずのまりあ。
だが、さらに落ちる穴があった。