最終話「Happiness×3 Lonelines×3」Part2
本宅に戻されたまりあ。
今は男に「変身」したまり太は、それまでのバス通学から車での送迎となった。
逆に「まりあ」が「新しい恋」に落ちるかもしれない。
そこで良家との縁談がまとまるまでは、校外ではボディガードもかねて男子との隔離で送迎されいた。
「おかえり。『お坊ちゃま』」
迎えの車の運転は陽香だ。
この「お坊ちゃま」には若干の皮肉が混じっている。
あの人形のようにかわいいお嬢を返せ!
そんな思いが皮肉になる。
まり太はむっとするが「いつものこと」なので黙って車に乗り込む。
「それで、今日はジムの日ですよね」
「ああ。ちょっとむかついたから発散させたいしね」
むろん瑠美奈やあすかとのいざこざのことである。
「りょーかい。いつものようにね」
自宅ではなく都内のジムに向かう。
ジムに着くとまり太は個室へと着替えに行く。
ジム側の建前は「高嶺家のご子息をVIP待遇」だったが、本当のところは男たちの中に「自称・男子」を入れたくなかったからだ。
まり太よりも他の男性会員が迷惑だし、何より静的な問題が起きかねない。
それで『隔離』だ。
着替えが済みトレーニング場に。
まり太が着ているのは男向けデザインのジャージ姿。
「ナベシャツ」で胸はまったいらだし、それどころか股間も「アタッチメント」のせいで男性特有のふくらみがある。
さらに異彩を放つスキンヘッド。
それでも後ろから見ると狭い肩幅。華奢な背中。大きな尻が女子であることを如実に物語る。
近寄れば体臭の甘さと肌のきめもわかる。
他人の集まりである。
放射線治療でジム通いとはは考えなくても、宗教的な理由で剃髪。
もしくは単にファッションとしてとらえて誰も深入りしてこない。
関わり合いを避けている。
警護を兼ねて付き合ってトレーニングしている陽香しか事情を知らない。
「さあて。やるぞ」
まり太は走った後で腕を太く、胸を平らにして男らしい体になるべくダンベルを持つ。
トレーニングは男としても通せても、さすがにシャワーは女子用だ。
いくら作っても裸になれば、鏡に映る少女の裸体が嫌でも目に入る。
(くそっ。中々筋肉つかねえな。胸もつぶれないし)
白い肌だけでも十分女とわかる。
そして大きな胸。細い腹部。今はアタッチメントをはずしているので、突起物のない脚のつけね。
どうしようもなく『女の子』の姿である。
むしろ筋トレがシェイプアップになり無駄な肉をそぎ落としていた。
ウエストが細く見える。
「まり太」が「まりあ」としての姿をさらけ出す数少ない場所。
「あれ? お嬢。もしかして?」
同様にシャワーを浴びている陽香が何かに気が付いた。
陽香は体も大柄なら胸もかなりのサイズで、全体的にグラマーだ。
「お嬢じゃねぇっ。おれは男だって言ってんだろがっ」
可愛らしい女子のキンキン声が響き渡る。
「これのどこが男なんだよ?」
陽香はまり太の両肩をつかんで鏡に向けて「まりあ」の姿を映してみせる。
「ぐ……」
歯噛みするまり太。
「それでっ。何か言いかけていたが?」
話をそらそうと「元の話」に戻す。
「うーん。やっぱなんでもない」
とぼけた調子でいう陽香。
「なんなんだよ」
「いやいや。今さわって分かったけど、結構筋肉ついたなと思ってさ」
「ほんとか?」
口調と裏腹にあまり喜んでいない表情。
「ええ。鍛えられてますよ。楽しみですねぇ」
含むところのある陽香である。
浴室では女の姿を突き付けられるまり太。
その「彼」が自分から「女の子」に戻るのは寝る前のわずかな時間。
スマホで優介に向けてのメールを打っている。
優介が絶対に教えなかったのと、同じ学校の同じクラスの上に家も隣だから電話番号は知らなかった。
ちなみに亜優の物も同様の理由で知らなかったし、別れの時は騒動で連絡しそびれた。
しかし今は遠く引き離されても、番号を知らないので電話はできない。
引っ越し先の固定電話の番号も知らない。
唯一知っていたのはグループ一斉送信の際に知ったメールアドレスだけだった。
まりあに電話番号を伝えないように亜優に言った優介だが、まりあのメールは受信拒否をしていない。
これだけが二人に残った最後の絆だからか?
ここまでは文章だけで「自撮り」は送ってなかった。
矛盾しているが「優介が戻ってくるかもしれないから男になった」が「とてもじゃないが優介に見せられない姿」という思いが自撮り画像を送らせなかった。
しかし新二年生としての初日で区切りがついた。
意を決してまり太は、全く頭髪のない顔を写し、メールに添付して優介に送信した。
そのメールもこれまでは女の子に戻っていたが、この時は男になりきった文面だった。
だいたい同じころに送られてくるまりあのメールを、なんとなく待っていた優介。
だが今回のメールには愕然となる。
「あのバカ女! いや。バカ野郎になっちゃったのか?」
目をそむけたくなるような無残なスキンヘッド姿のまりあの写真を見る。
「ぼくが悪いのか? ぼくが冷たくしたから、こんなやけくそ起こしたのか?」
優介は罪悪感に見舞われる。
そしてそれが自分の心の疑惑を浮かび上がらせる。
本当はまりあのことが好きだったんじゃないかと。
もっとも自分が原因で女子がスキンヘッドにしたのでは、普通はいい気分はしない。
まり太は自分の決意を語り、男としての自分になら好意を抱いてくれるかもしれないと思い写真を送った。
しかし優介には全く別の作用をした。
二日もすれば異常事態にも対処はできる。
つるつる頭のまり太はもう、普通に男子として受け入れられていた。
前年に2年D組だった面々は二度目なので特になじみが早かった。
その頭もありすっかり男子扱いだ。
昼休みの今も男子に混じり雑談している。
「高嶺。お前その頭って毎日剃ってんの?」
「二日にいっぺんくらいかな」
もちろんやってもらってである。
「頭を洗うのは楽そうだな」
「楽だよぉ」
強がり抜きで心から言うまり太。
以前の髪型では女子としても長い方に入っていたのだ。
それを揉み洗いだから現在とは比較にならない手間だ。
「ただこの頭。じょりじょりするんだよなぁ。むず痒い」
男性のひげにも言えるが剃ってしまった状態から伸びてくるとむずがゆさがある。
伸びているときは感じないから不思議だが。
こんなふうに「男子として」溶け込んでいるが、溶け込みすぎて男子側が遠慮を忘れて男同士のノリで猥談を始めるとさすがに逃げるまり太。
「便所に行く」といい、本当にトイレに。
通学カバンから小さなものを取っていく。
小用便器ではなく個室へと入る。
違和感ではなく女子の宿命が。
男子のボクサーパンツが血に染まっていた。
「お前は女だ」と体が突き付けてきた。
こればかりはどうしようもない。
用意していたナプキンで処置をして、新しい下着に代える。
男子用なのでこの時はことさら合わなさを感じる。
六時間目の体育は見学だったまり太。
女子は割とある光景だが、男子制服でとなると珍しい。
「あなたもですか? 高嶺君」
同席者は詩穂理だった。
同じ事情とまり太は察した。
「ち、違うぞ。ちょっと腹具合が悪くて、寒気もして、切れ痔で血が出ているだけだ」
苦しい言い訳というのはわかっていた。
「ふふ。私もそんな感じです」
詩穂理も「女の子の日」だった。
四人の中では一番重いタイプで、元々体育が苦手なのもあり見学することも多かった。
「高嶺君…いえ。高嶺さんはそんな重そうじゃなかったですけど」
「なんか知らないけど今回はきついんだよな…」
かろうじて男口調は維持しているが、それが精いっぱいで女扱いに怒る余裕もない。
「生理は結構ストレスで痛みが悪化するみたいです」
言外に男のふりがストレスでその痛みが増していると詩穂理は告げている。
親との確執。そして何より優介と引き裂かれたのが多大なストレスになっていた。
「そうなの? なんか胸も痛いし……」
押さえつけた胸がことさら痛んだ。
心の痛みでもある。
多忙な礼嗣は帰宅が遅いのは元からだが、このころは意図して遅くしているようだった。
明らかにまり太を避けている。
あの人形のように可愛い娘が、男になりそこなった無残な姿でいるのに耐えられない。
それに顔を合わせるとケンカになる。
男としてふるまっているまり太だが、その肉体はあくまで女子。
女子脳である。口では男に負けない。
礼嗣には罵られる以上に、汚い言葉をぶつけてくる姿が痛々しくて見るに忍び難かった。
「最近、遅いんですね」
別に今に始まったことではないが、それを改めて指摘する礼嗣の妻にしてまりあたちの母。翡翠。
「娘のあんな姿を見てたくなんぞないわ」
吐き捨てるようにいう。
「お前は平気なのか? このままアイツが男になっても」
「女の子が男の人になんてなれませんわ」
現実的な返答だ。
「体はそうだが、精神的に男になってしまったらどうする? すでに学校では受け入れられていると聞く。社会的にもあれが男として認められたりしたら」
ケンカはしているが娘に対する溺愛は変わらない。
そもそもケンカの理由からしてまりあ可愛さゆえである。
しかしそれが当人には束縛。
そして優介と引き裂かれた「恨み」が『まりあを殺した』のだ。
「跡目なら秀一に任せていればいいじゃないですか。あの子は愛に生きるのが一番生き生きとしているのですから」
「お前が甘やかすからあんな風になったんだぞ」
自分のことを棚に上げる礼嗣。
しかし彼にもやや言い分はある。
それというのもまりあが優介の隣家に引っ越すのを後押ししたのこの翡翠なのである。それを指している。
メイドたちがすっかりまりあの味方なのも報告されていたが、それを握りつぶしていたのも翡翠である。
そう。まりあが好きにしていられたのは母の後ろ盾である。
実のところ頭をそり上げようとしたのを止めさせなかったの彼女である。
「納得するまで好きにさせておこう」という考えだった。
「あの子も気持ちが落ち着けば元に戻りますよ」
「そんなもんか……?」
それでも礼嗣の考えは変わらない。
北海道という遠いところに娘をやりたくないし、良家に嫁がせたい。
できれば婿を取り、このまま家にいてほしいとも。
この考えに納得すれば、バカなこともやめるだろうと思っていた。
彼は本気で「娘のために」考えていた。
五月になる。
このころのまり太はスキンヘッドから「坊主頭」になっていた。
まだ寒い頃では頭が寒く。
逆に日差しが強くなると保護する頭髪のない頭部が「熱い」。
それをバンダナで保護するのでは剃る意味もなく。
そして生えかけのあのむずがゆさに不快感もあり、剃るのをやめてしまっていた。
坊主頭でも十分に男に見える。
そして『女の子の日』は定期的に来る。
男になってから迎えるそれが、大きなストレスにより苦痛を増す皮肉。
「女に戻れ」と責め苦を受けているようだ。
半ば意地で男装を続けている。
そしてそれが同じクラスのあすかや瑠美奈との衝突も招き、さらにストレスが増す悪循環。
まり太は体育の授業も男子扱いだが、いくら鍛えても男子に筋力ではかなわない。
それでも必死にくらいついている。
この日は男女混合のソフトボールだった。
「あいつも頑張るねえ」
なぎさが感心したようなあきれた様な口調で言う。
3-Dで紅白戦だ。
まり太。大樹。美鈴は紅組。
なぎさ。恭兵。詩穂理。裕生は白組で攻撃中。
ライトを守るまり太が果敢に胸から飛び込むダイビングキャッチを成功させていた。
神経の過敏な胸を持つ女子では普通はできない芸当だ。
それだけ自分が女であることを拒絶にかかっている。
ジャージ姿のおかげで足をむき出しにしてなかったので、負傷はなかった。
ファインプレーに喝さいが起こる中になぎさが発した言葉だ。
「僕としては早く女の子に戻ってほしいんだがな」
なぎさとまとまったはずなのに、まだまりあに未練があるのかと取れる恭兵の発言。
「なぁに? 浮気?」
「そんなんじゃないよ。けどあの姿は痛々しくてな」
「もっても一学期のうちだと思うよ。去年だってズボンが蒸れて音を上げていたし。だから暑くなればね」
「持つと言えば……お前のツインテール。ずいぶんと下になってしまったな」
恭兵の言う通り。三年デビュー直後は耳の上で左右にくくっていたのに、五月半ばでは耳の下で分けていた。
「あはは。この髪型けっこうバランスが難しくって」
平たく言うと面倒になってきていた。
恭兵の趣味にあわしていたが、なぎさの趣味ではない髪型でもあって少しずついい加減になっていく。
五月半ば。
ロングホームルームの時間を利用して3-Dの生徒は視聴覚室に集められてビデオ鑑賞会だ。
映されているのは子供向けのドラマ。特撮ヒーローものである。
二年の時に裕生が夢中になっていた「特捜ハイパーフェクター」の後番組。
「超任務ディープダイバー」の一場面で歓声が上がる。
その中で例外が二人。醒めた目で観ているまり太と、顔を真っ赤にして羞恥に耐えている詩穂理である。
『私と闘え。ダイバーブルー。青樹 潮』
毒々しいメイクをした金髪ソバージュの少女が、たどたどしい口調で殺意を向けている。
はち切れそうな胸元はこのクラスの面々はよく知っている。
ライダースーツを改造したような衣装から零れ落ちそうだ。
『やめろ。しおり。目を覚ませ! お前は暁紅蓮の妹。暁しおりだ。思い出せ!』
青いジャケットを身にまとった細面の青年の説得に苦しむ金髪の少女。
それを振り切るように叫ぶ。
『うるさい! 私はエッサイムの戦士・アンタレスだ。死ね。ダイバーブルー』
戦士というにはあまりに迫力のない声。槇原詩穂理のそれがスピーカーから。
当事者は真っ赤になって顔を両手で覆って、とうとう机に伏せてしまった。
詩穂理にとって拷問のような時間が終わる。
ビデオを停止させて木上が朗らかに言う。
「はい。槇原さんの髪の色はこのお仕事のためでした」
特殊な事情を説明するために、みんなで詩穂理が出た特撮番組を見ていたのである。
もっとも詩穂理がショートの金髪ソバージュになったのにおどろいても、自由な髪を妬む者はいなかった。
最初は「詩穂理がぐれた!?」と思われたが、まり太のおかげで好奇の目が分散されていた。
それでも正当な理由で許可されている説明での上映会。
誰も詩穂理の金髪に不満を抱いていなかったのを思うと、別に釈明の必要もなかった。
ただ詩穂理にとっては自分の未熟な演技。そしてとんでもない姿を見られるだけであった。
「いいなぁ。シホ」
この手の番組に出たがっている裕生の率直な感想だ。
「もう。大変だったんですよ。朝は早いし、まだ寒かったし」
「だったら次は変身後はオレがやってやるよ」
ちなみに別に怪人態はない役であった。
「え?」
瞬間的にほほを染める詩穂理。
「お前のことなら他のアクターのだれよりも知ってるからよ。いろんな癖とかもな」
「ヒロ君。そんなに私のこと見てくれてたの?」
「あったりまえだろ。お前はオレの嫁になる女だぜ。今から大事にしてやるからよ」
「ヒロ君たら……」
よほどこちらの方が恥ずかしいのだが、二人の世界に没入した裕生と詩穂理は気が付かない。
「二人とも。いちゃいちゃするのはほ他でやってね」
やんわりと木上が止める。
「す、すみません」
我に返り謝る詩穂理。
「はい。それじゃお仕事お仕事。みなさん。教室に戻りますよ」
木上の言葉で一斉に移動が始まる。
醒めた目のまり太は詩穂理をうつろに見ている。
(いいな。目的や目標があって…わたしには何もない……)
何しろ女であることすら自ら捨てた。
五月下旬。駅の改札前にいる詩穂理たち。
詩穂理の提案で「女子会」が開かれる。
参加者は詩穂理。なぎさ。美鈴。そして
「……なんでおれが『女子会』に呼ばれるんだよ?」
憮然としているまり太。
白い男性用カジュアルシャツとスラックス。黒いスニーカー。
髪の毛は2センチほどになっていた。
「いいじゃない。男子ゲストで」
相変わらず額を全開にしているがノーメイクの美鈴がにこやかに言う。
「なんで学校ですらしている化粧を今日はしてないのさ」
そういうなぎのツインテールもすっかり下結びになっている。
「うん。大ちゃんと離れている時くらいはいいかなって思って」
まめな美鈴だがやはり化粧は面倒だった。
大目に見られているとはいえ学校でのメイク。
そして幼顔にはどうにも化粧はしっくり来ない。
ただマニキュアだけはいちいち剥がしたりはしなかったので、爪は真っ赤なままだ。
「もう一人、ゲストがいますよ」
五月連休で撮影が終わり、美愛くるみとのイメージの剥離もできたので黒髪に戻した詩穂理が言う。
髪が痛むのを嫌いソバージュは取れるのを待つことにした。
メガネは中学時代にかけてなかったのもあり、そのまま裸眼で通している。
「誰だよ? あのデコ助じゃねーだろーな」
さんざん「ハゲ」呼ばわりされたのはさすがに忘れない。
「久しぶりの人ですよ。でもちょっと遅いですね」
「あいつ方向音痴だったからなぁ」
「方向音痴?」
まり太の知る「方向音痴」は一人だけだ。
その「ゲスト」が来た。
「みんな。お久しぶり」
うなじで切りそろえられていたボブカットは毛先が肩にかかる長さになっていた。
大きな胸は相変わらずだが、パステルカラーの春物と意外に合っている。
やはり薄い素材のロングスカートは紫色。踵の高い靴。
「理子!?」
そう。二年の二学期一杯で転校していった澤矢理子だった。
「久しぶりね。まりあ」
事情は知らされていたので驚かない理子。
「まるで男の子ね。あの時よりもずっと男っぽいわね」
理子のピンクに彩られた唇が軽やかな言葉を繰り出す。
「そういうお前はすっかり女じゃねーか」
理子は化粧をしていた。
「うふふ。男女逆転ね」
柔らかく笑う理子。
見る者を魅了する「女らしい」笑顔だ。
澤矢理子。本名は理喜で本来の性別は男。
水をかぶると女子化する体質になったのと、姉が高校入学前に病死した無念を晴らすために彼女の名を名乗り女子として通学していた。
しかし行く先々で「実は男」とばれて爪弾きに。
高校を転々として二年の二学期にまりあたちのいる蒼空学園に。
そこで優介との運命の出会い。
「ホモ」の優介は本能的に理子の本性をかぎ取ってか『女相手』に珍しくアプローチ。
そして女と思って「仲良くしよう」と口にしたまりあは、その言葉を撤回せず有言実行。
行く先々で爪弾きにされていた理子は、受け入れられたことで心を開いた。
同時に優介に対して恋をしてしまった。
それが男としての同性愛なのか?
はたまた女として恋したのかと悩んだが、自分がすっかり女になっていたと自覚。
しかしまりあとの「女の友情」も捨てられず。
そして優介もまりあに惹かれていると感じた理子は、正体をさらすことで蒼空学園を出て行った。
転校先の私立・無限塾にはまだ在籍している。
頑なに脱ごうとしなかった姉の遺品の制服から、無限塾女子制服になっていた。
そして今は「ただの女の子」にしか見えなかった。
理子は事情を聴かなかった。
この辺りはまだクールな部分の名残。
しかしまり太は遠慮なく詮索していく。
「なんだっておめーそんなになったんだ? とても本来は男だなんて思えねーぞ」
乱暴な口調のまり太。その手を理子はそっとつかむと自分の豊満な胸にあてた。
「ん?」
意味が分からないまり太。
「この胸で男と思う?」
弾力はあるが柔らかい。作り物とも思えない「女の子の胸」である。
「はは。それならおれだって」
おかえしで理子の腕を取り自分の胸板にあてる。
「……堅いわね」
「だろ。鍛えってからよ」
ジム通いは続いていた。
「でも、私の手に触れた腕の感触は柔らかかったわ」
「な?」
「私と同じ。女の子の手」
「私と同じって……おめー本当は男だろ?」
半ばむきになってまり太は言う。
「いいえ。今の私は女よ。だって……男の子に恋してるんですもの」
ほほを染める理子。
この発言にはまり太以外も驚いた。
理子は無限塾で三年になって同じ年の少年に恋したことを告げた。
すでに口づけを交わし、彼になら体を許してもいいと考えた時点で心も女と悟った。
その後に戸籍変更に動き出した。
澤矢家長男から次女へと。
くしくも「恋に破れて女を捨てたまりあ」と「恋をしたので男を捨てた理子」と好対照だった。
「私は女の子の肉体も有していたから女の子として生きる選択ができたわ。けどまりあ。あなたはどんなに頑張っても男の人にはなれないわ」
「男の人」という言い回しが、本当に理子は心も女だと感じさせる。
「た、たとえ体が女で心が男なら優介はおれに振り向いてくれるかもしれない。お前がいい証拠だ」
確かに優介と理子は少し怪しい雰囲気があった。
「そうかしら?」
あくまで柔らかく女性的に言う理子。粗暴になるまり太と正反対だ。
「そうだよ」
半ば自分に言い聞かせるようにまり太は強く言う。
「ふふ。自分のことは意外とわからないものね」
久しぶりにクールな表情を見せた理子は、途端に現在の優しく可愛らしい女の子に戻り、詩穂理たちと再会を喜んだ。
「なんなんだよ。あいつ。丸で生まれた時から女だったみてえしゃねぇか」
無理やりに男言葉を使うまり太。
(ふふ。彼は女の子であるあなたに惹かれていたわよ。旗目で観ていた私にはよくわかったわ。つらいほどに)
対する理子は自然に女言葉を心中で紡いでいた。
その後は普通に「女子会」である。
身体的に全員女子。
しかしまり太は疎外感を感じていた。
六月になる。
まり太はいくら鍛えても細いままの手足や、つぶれない胸にイライラしていた。
それどころかむしろ大きくなってないか?
そう思ったまり太は自室で『女を捨てた』あの日以来のブラジャー着用を試みる。
胸元を平らにするためにナベシャツを着ていたのでつけていなかった。
ところが70Bのブラジャーがきつい。特にカップが収まらない。
別な意味で胸がつぶれ窒息しそうだ。『彼女』は思わずブラジャーをはずす。
床に両手をついて「四つん這い」に。大きな胸がたゆんと揺れた。
「間違いない……でかくなってる。なんで? あんなに鍛えていたのに?」
「鍛えていたからだよ。お嬢」
「!?」
独り言に答えたのは陽香。
「どういうことだよ?」
無断で部屋に入ってきたのを咎めるよりも、その疑念の解明を優先したまり太。
「お嬢は胸の筋肉を鍛えてただろ。それが土台となる胸筋が鍛えられてかさ上げされたわけ。それに胸元の刺激が発育を促したしな」
「……なんかわかっていたような口ぶりだな?」
大きさを認識したら揺れが気になりだして、両手で抑えるまり太。
トップレスだけに女子そのものだ。
「そりゃ経験者は語るって奴で」
陽香自身も筋トレの結果で胸が大きくなったのかとまり太は察した。
こうなるのを見越して筋トレを続けさせたとも。
強要されたものではなく、自主的だっただけにモチベーションも違っていた。
「そしてこっちも」
陽香はまり太の尻を叩く。
「きゃっ」
反射的に女の子悲鳴が出てしまいほほを染めるまり太。
「やっぱりなぁ。トレーニングのおかげで引き締まったケツになってるわ」
からからと豪快に笑う。
無理や男としてふるまうまり太と違い、陽香は素でこれである。
むしろ良くメイドが務まるものだ。
「そんな……男になるためにしていたのに逆効果だったなんて」
まり太は愕然とする。
「そりゃ女の体なんだから、いくら鍛えても女ならではの効果しか出ないよ」
諦めきれないまり太はストレス発散の目的もありジム通いを続けるが、さらに胸が大きくなりDカップになった時点で男性化目的の筋トレは諦めた。
そして決定的なことが起きる。
暑い季節が来たので体育は水泳の授業になる。
当然女子と男子では服が違う。
いくら男で通そうとしてもこれは無理。
男性の女装なら隠す方向で行けるからまだしも。露出する男装では上半身裸で隠せない。
逆に『女』のアピールにしかならない。
何しろ今ではDカップにまでなってしまったまりあである。
その情報は知られてないものの、上半身をさらすのをどうするのか静かに注目されていた。
そしてこの日は一時間目が問題の体育だった。
女子更衣室。多くの女子が着替えている。
水着にである。下着すら脱ぐのだ。「のぞき」にはことさら気を遣う。
もちろん入り口もだ。
それが開いて「男子生徒」が入ってきた時は悲鳴が上がりかけた。
しかしそれがまり太としると安どする。
「ああら。あなたは男なんでしょ。場所を間違えているわよ」
ここぞとばかり突っ込んでくる瑠美奈。
「ふ。さすがに水着には男たちの中では着替えられんか」
妙に納得したようにあすかが続く。
「先に行くぞ」
興ざめしたように出ていく。
「そうね。男と一緒にいられないわ」
嫌味を残して瑠美奈も出ていく。
「ふう。うるさい奴らが消えたな」
言わせていたまり太がため息をつく。
「おい。ほんとにどうすんだよ。あんた。まさかトップレスで泳ぐんじゃ」
なぎさは案じてくる。
「いいものがあるのさ」
まり太は着替え始める。
ナベシャツを脱ぐときは背中を向けるあたり、胸を隠すしぐさが恥じらいのように見えた。
当人としては女のシンボルたる胸部をさらしたくなかったからだが。
「これでよし」
まり太は得意げにしている。
「いいの? これ?」
美鈴が不安げに言う。もうすっかり化粧はやめてしまった。マニキュアも落としている。
「いくらうちの学校がゆるくても、さすがにこれはいかがなものかと」
詩穂理もつぶやく。
黒く戻した髪も肩口まで伸びてきて、ソバージュもだいぶ落ちて直毛に近くなっていた。
「校則違反」をしていた二人でさえ不安になるまり太のいでたちとは?
炎天下のプール。体育教師の富澤みちえがめまいをおこしたのは暑さが理由ではない。
「た、高嶺。その恰好は?」
「やだなぁ。先生。体育の教師なのにラッシュガードも知らないんですか?」
元々はサーファーが着用ていた保護のための衣類。(ラッシュとは擦り傷の意味)だが水着としても使える。
下半身は言うまでもなく、上半身もカバーしている。
まり太の着用しているそれはセパレートタイプ。
だが例によって立って小用を足せるようになっていた。
女子にはありえないふくらみが股間に。
そして胸はまったいらに。
FtM用の胸つぶし効果もあるラッシュガードだ。
「おい。あれもあんたの入れ知恵か?」
「知らないにゃ。むしろ教えてほしいにゃ。男の子の恰好で泳げるんだ」
恵子はノータッチだった。
そもそも男装コスプレに興味が薄かった。
多少は知識と知っていても、胸をつぶせるラッシュガードの存在は知らなかった。
「ああ。うん。そうだね。そうするよね」
富澤もまり太が三年になってから男子扱いになっているのは知っていた。
自身の受け持つ体育にも男子として参加していたのである。
まり太のことは「心と体の性別が違う人」の一種と思い、特例を認めていた。
(……トップレスで来られるよりはましかしら?)
そう思ってそのまま流そうとする。しかし
「ふざけるな。高嶺。今すぐ女子用の水着に着替えて来い!」
あすかが突っかかった。
元々男女の違いに不服を感じていた彼女だ。
それに対して男で通しているまり太には、やや妬みに近い感情もあってそれが爆発した。
「おれは男だ! 女物なんて着られるかよ!」
まり太も頑固である。
「ふうん。それなら上は脱げるわよねえ?」
瑠美奈が薄笑いを浮かべて言う。
サディスティックな意地の悪い笑みだ。
「な!?」
「当然でしょ? 男なら胸を隠す必要なんてないわよ。彼らのように」
対面するプールサイドには男子たちが。
その注目がまり太に集まっている。
急にまり太は恥ずかしさがこみあげてきた。
「出来ないならさっさと女物を着てこい」
瑠美奈は犬猿の仲でいたぶりがあるが、あすかはそれはないのでまだ常識的な発言である。
「……やってやる」
「なんですって? 聞こえなかったわよ」
「やってやるよ! 脱げばいいんだろ。脱げば」
「切れた」まり太は一気にラッシュガードのトップスのジッパーを引き下ろす。
前が開いて上着を羽織ったような状態に。
しかも下には何もつけていない。
あくまで男で通そうとして女子の水着もつけていなかった。
白い肌があらわになる。
まだ乳房は晒されてないものの、二年の時より大きくなっているのが近くにいた者たちにはわかった。
男子で通していて平たい胸元に慣れてそのギャップもあり、それでさらに大きく見えた。
「早く脱ぎなさいよ。全部」
執拗な瑠美奈の攻め。顔を赤くして耐えるまり太。
ついに脱ぎ捨てるためにトップスに手を避けると、一部の男子が走り寄ってきた。
「こら。お前ら!」
全員まとめて富澤か制止する。
だがその血走った眼だけで十分だった。
「いやあああああっ」
女子そのものの悲鳴をあげてまり太。否。「まりあ」は脱兎のごとく逃げ出していく。
「ふん。これでもう男の恰好なんてできないでしょ」
瑠美奈がつまらなそうに言う。
「海老沢さん。高嶺さんを女の子に戻すために憎まれ役に?」
「お前、案外いい奴だな」
詩穂理。なぎさが感動したように言う。
だが全くの的外れ。
「去年の秋。乙女の純情をもてあそんだ恨みはこんなものじゃ晴らせないからね」
怨嗟の声が響く。
「あ。私怨だったのね」
美鈴が苦笑する。
最初に男装した時、その姿を笑い倒した瑠美奈への報復で唇を奪うまねごとをしたまり太。
それを根に持っていた瑠美奈だった。
「まりあ」は泣きながら逃げていく。
(ダメ。やっぱり男にはなりきれない!)
張り続けた意地が途切れた瞬間である。