第25話「Confession」Part3
「う、うそでしょ?」
楽しくなるであろうはずの日曜の朝。
それが一気に奈落の底へと叩き落された気分になったまりあ。
優介の転校。そんなことにわかには信じられない。
まりあは怒って詰め寄る。
「優介! またわたしのことをからかってんでしょ!?」
その「怒り」すら自分をごまかすための偽の感情に近い。
信じられない事実から逃避するための。
「そうでしょ。そうなんでしょ?」
だが優介は何も言わない。
無言の肯定をまりあは感じ取る。
「まさか……本当なの? 亜優?」
親友にして美鈴たちより先に「恋愛の同盟」を結成していた亜優に問いかける。
「……黙っててごめん」
沈痛な表情の亜優。それが事実であることを印象付けていた。
さらに双子の父親が追い打ち。
「なんだ? お前たち。まだ伝えてなかったのか? 暮れに伝えていたから時間は十分あっただろう」
大介の言葉で詩穂理。なぎさ。美鈴は優介の奇行について理解した。
恋愛対象が同性だから「思い出」としてキスを試みていたのだ。
冬休みに聞かされていたというなら、三学期にそういう行動に出たのも時期は合う。
「言えるわけがないよ」
ふり絞るような小さな声で優介が言う。
「そんなことを言ったらみんな、もうそれまでと同じにはいられなくなる。『もうすぐいなくなるか』らとよそよそしくなる。そんなの嫌だ!」
女子たちには視線を向けないまま、もう少し大きな声で言う。
「勝手なことを言うな!」
怒鳴ったのはなぎさだ。
「そんなあいまいな態度をとるから、まりあは傷ついたんだぞ」
「綾瀬さん。ご家族の前でそんな」
「知るか! あたしは頭に来たんだ」
なぎさは詩穂理の制止も聞かず怒鳴る。
「あんただってわかるだろ。まりあがどれだけあんたのことを好きか。それを踏みにじりやがって」
「お前に何がわかる!」
どちらを基準にしても同性間のケンカのようなやり取り。
「わかるわけあるか! 期待させるだけさせといて、どん底に突き落とすような奴の気持ちなんて。いなくなるならなるで、どうしてもっと早くに言わない!?」
なぎさはまりあと同じクラスになった直後は、恭兵をめくっての恋敵とすらみなしていた。
そのまりあのために本気で怒っていた。もはや同盟というだけではない。親友だった。
「まりあちゃん!?」
美鈴の悲痛な叫びになぎさが振り返ると、まりあが膝から崩れ落ちていた。
傍らに控えていた雪乃がとっさに支えていた。
優介がいなくなるショックで気分が悪くなったのは想像に難くない。
「皆様。どうかお引き取りを。お嬢様は我々にお任せください」
立場としては使われる身の上だが、姉妹のように接していた雪乃とまりあ。
主従関係を超えている。
「でも」
「南野様。槇原様。綾瀬様。待ち合わせに遅れますよ」
さすがはチームというべき三人のメイド。
すぐさままりあを運ぶべく出てきた八重香が言う。
「そうそう。アタシらに任せてあんたらはデートに行きな」
フランクすぎる陽香がまりあをおぶって中へと消える。
「亜優。優介。行くぞ。遅れてしまう」
「うん」「わかった」
父に連れられて水木家の面々も目的地に向かった。
まりあが気がかりで残っていた詩穂理。美鈴。なぎさも、雪乃に促されてそれぞれの待ち合わせ場所に。
高嶺家の前から誰もいなくってしまった。
当たり前の光景のはずなのに、ひどく寂しげに見えたのはやはり去りゆく者たちのせいか?
駅に向かう途中で亜優は優介に問いかける。
「いいの? あんなので?」
もちろん「まりあとの別れ方」を指している。
「……いいんだよ。これだけひどいふられ方すりゃ、アイツだって『クソ男』のことなんかさっさと忘れて他の恋を探すだろ」
「童話の青鬼みたいね」
亜優の言う童話とは「泣いた赤鬼」のこと。
人間と仲良くなりたい赤鬼のために悪役を買って出た青鬼。
その結果として里から出ていくことになり、青鬼の犠牲を知り赤鬼が涙するという内容だ。
「思惑通りに行けばいいんだけどね。あれでまりあはしつこいところあるから」
「どんだけしつこくても北海道まではこれないだろ。そんなこともさせられないし」
実質的に「悪役を買って出ました」と告白しているようなものだ。
「もし来ても男子校なんだ。入れやしないから諦めるさ」
「だからわざわざ私と違う男子校にしたのね」
亜優の転校先は共学だ。しかし優介は父に頼んで男子校を選択した。
「あいつとの腐れ縁もここまでだな」
言って笑う。
まるで自分自身をあざ笑うかのような笑みだった。
己を嘲笑しているように見えた。
「いいの? そんなので?」
ほぼ同じ問いかけを亜優はした。
優介は口を開かなかった。
部屋に運ばれたまりあ。
上着だけ脱いでベッドに座らされている。
「お人形さんみたい」と言われることも多かった彼女は、まるで本物の人形のように生気がない。
いつもの彼女なら怒鳴り散らすか泣きわめきそうだ。
それならまだいい。
表情の抜け落ちた顔はまるで抜け殻のようだ。
泣いて発散してくれればいいのにと、ベッドのそばにいる八重香は思った。
彼女は見守る役目も受けていた。
万が一にも窓から飛び降りたり、カッターの刃を手首に当てたりしないようにである。
疎ましいと怒鳴れてもいい。離れる気はなかった。
むしろ怒鳴る元気を見せてほしいと願った。
「……八重香さん」
「お嬢さまっ!? お腹すきましたっ? それならすぐにおつくりします」
「……お願い。ひとりにさせて」
とても17歳の少女と思えない沈んた声を出されたら八重香は素直に引き下がるしかなかった。
一人ぼっちの部屋でまりあは、膝に顔をうずめて声を押し殺して泣いた。
やがてそのまま眠りに落ちた。
立ち去るふりをしてみていた八重香。そして陽香と雪乃はひとまず安心した。
泣いたのなら、感情もまともに動いていると。
そこまでは優介かいなくなるというあまりの衝撃で心がマヒしていたのが、受けいれたから涙になったと安どした。
「あたしお嬢様の好きなアップルパイ作りますね」
「それなら紅茶は私が淹れるわ」
「八重香。材料はそろってんのか? 買いに行くなら車出すよ」
「お願い。陽香ちゃん」
みんなまりあのために動く。
主従というより姉妹のような関係だった。
傷ついた妹を優しく見守る姉たち。そんな関係だった。
ちょうど正午を回ったころ、まりあは極めて普通にダイニングキッチンに姿を現した。
しかし涙の跡が痛々しい。まだ目も赤い。
「お嬢様!?」「お嬢さま!?」「お嬢!?」
雪乃。八重香。要かは揃って驚いた。
あまりにも「ケロッとしている」のだ。
「あー。お腹すいちゃった。雪乃さん。お昼なぁに? お腹ぺこぺこ」
全くの平常モードだ。
「す、すみません。用意が遅れて」
何しろ唐突に突き付けられた優介との別れだ。
食事どころじゃないだろうと用意していなかったのだ。
「お嬢。あんた大丈夫なのか?」
金髪で怖そうに見える陽香が、レディースをほうふつとさせる見た目と裏腹におろおろしている。
荒事は平気でも繊細な少女の扱いは不得手らしい。同性なのに。
「うっさいなぁ。散々ないたからお腹すいちゃったのよ」
九月に一週間だが「女を捨てて」男装して過ごしたことがある。
その時に言葉遣いも男に合わせた「後遺症」がまだあったらしい「うっさいなぁ」である。
陽香はそんなこと気にするたちではない。
「そっか。アタシらと同じまかないならすぐできるけど?」
「みんながいつも食べているもの? なにそれ。わたしも食べてみたい」
目をキラキラさせている。
好奇心と空腹が目を輝かせていた。
雪乃をメインとして三人のメイドは大急ぎでまりあの食事を用意した。
約三十分後。
「何よこれぇ? みんないっつもこんな美味しいもの食べていたの? ずっるーい」
すっかり元気を取り戻したまりあが憤慨していた。
「いや。ずるいっていわれてもさぁ」
「お嬢さまに食べさせるようなものじゃないですよ?」
「ずるいわよ。だって美味しいんですもの」
一つは空腹。
もう一つはなじみのない味付け。すなわち新鮮な驚きが言わせている。
もちろん調理した雪乃の腕前も絶品だし、まりあのためということもあり、少しでも口に合うようにしたのもある。
「でもお嬢さま。無理してません?」
八重香の言うのはメイドたちや兄の修一に気を遣って無理していないか言うことだ。
「八重香さん。現役女子高生を舐めないでね」
「?」
三人とも首をひねる。
「どんなショックやストレスも、泣いてひと眠りしたら立ち直れるのよ!」
ああ。我らが主は強いなぁ。
この発言で三人ともそう思った。
「それでお嬢様。どうするつもりです?」
デザートのイチゴを食べているまりあに雪乃が尋ねる。
「決まってるわよ。お父様に北海道行きを直訴するわ」
一瞬きょとんとする三人だが
「「「ですよねー」」」
三人そろって同じ言葉が出た。
「お嬢さまならそういうと思ってました」
「それでこそお嬢」
完全に見透かされていた。
「ですがお嬢様。ご友人とお別れすることになりますよ」
「うっ」
雪乃の搦め手であった。
父。礼嗣の反対は目に見えている。
現在は兄の修一と同居。そして「お目付け役」の三人のメイドがいるので好きにさせられている。
しかし北海道となると修一がそちらに行くわけではないので保護者がいなくなる。
ましてや溺愛している娘が男子を追って目の届かない北の大地に行くなど許すはずもない。
しかしまりあの性格だと父と衝突するのは目に見えている。
そしてまともに止めても聞く耳もたないのも。
それなら逆に詩穂理。なぎさ。美鈴との「女の友情」に訴えたほうがいいと雪乃は判断した。
それは的中していた。まりあが言葉に詰まる。
「き、きっとわかってくれるわよ」
どもったものの自信を感じさせるものいい。
「なにしろわたしたち。それぞれの恋をかなえるための同盟だったんだもの」
すっかり立ち直ったまりあ。
見た目の可憐さと裏腹にタフな少女である。
翌日の月曜日。
授業開始前のホームルームに来た担任の木上。
彼女が優介の転校を知らされたのは土曜の放課後だった。
彼女に促されて優介は黒板の前に立つ。
そして木上から告げられた。
「みなさん。水木君は今学期いっぱいで、転校することになりました」
事情を知らなかった2-Dの生徒たちに衝撃が走る。
半面、それが三学期に入ってからの奇行の原因かと納得するものもが半数以上。
(その「思い出づくり」とやらで僕は男に唇を奪われたのか)
唇を奪うのはざらたったが、さすがに男に奪われたのはあれが唯一の恭兵。
その古傷がうずきだす。
ちなみになぎさも美鈴も詩穂理もデートの日の朝に知った優介の転校を口にしていない。
傷心のまりあを「話のタネ」にするのがはばかられたのだ。
同じ年の同じ恋する少女。
その「痛み」を思うと、とてもそんな気になれなかった。
「それじゃ水木君。みんなに一言」
促されて優介は北海道への引っ越しと転校を打ち明けた。
隠し続けてきたことを明かしたからか晴れやか…には見えない。
どこか沈んだ表情。
とはいえこのクラスだけでも一年間一緒だったのだ。
さみしく思われても何の不思議もない。
そして次にクラスの面々が一斉に見たのはまりあだった。
それはそうだ。
ことあるごとに優介を追いかけまわしていたのだ。
恋心を隠そうともしていない。
それを案じるものもいた。
もちろん美鈴。なぎさ。詩穂理はすでに事情を聴いていてもやはり案じてしまう。
優介の転校を知り衝撃を受けているかと。
しかし意外。まりあは薄く笑っている。
「まりあ。大丈夫なの?」
同じテニス部の長谷部理緒が心配して尋ねる。
「ええ。大丈夫よ。だって」
いつもの不敵な笑みにすら。あまりにも平常運転である。
そんな疑念で視線が集まる中、まりあは立ち上がり優介に向かって叫ぶ。
「優介を追いかけてわたしも北海道に行くつもりだから」
「「「「だよねぇー」」」」
誰一人として驚かない。
「いやぁ。ベタな展開になったな」
「それでこそ高嶺」
「すごいわぁ。あたしじゃそこまでできない」
「がんばって。まりあ」
この展開をほぼ全員が認めていた。
「高嶺さんらしい選択ですね。冷静に考えてみたらそうすると読めましたし」
「やるねぇ。まりあ。情熱に任せての恋か。あんたらしいわ」
「好きな人を追いかけて遠くまで。まりあちゃん。素敵」
転校を先に知っていた詩穂理たちだけに予測はできていた。
「ふざけんな! そんなことできるわけないだろ」
ただ一人、受け入れられてないのが優介だ。
烈火のごとく怒る。
「ふざけてなんかないわ。優介のことが好きだから無理でもやるわ」
この場合、常に口にしていたのだから告白とは言えない。
しかし教室でクラスメイトの前で言うには大胆な行為だった。
「うわ。高嶺。教室で告白はさすがに恥ずかしいぞ」
珍しく裕生が突っ込むと
「「「「お前が言うな!!!!」」」」
教室で詩穂理にプロポーズした前科のある裕生に、数倍のツッコミが帰ってきた。
心なし詩穂理も頬が赤い。
「出来ないんだよ。僕が行くのは男子校なんだから」
遠距離に匹敵する障壁が明かされる。
「だ、男子校!?」
愕然とするまりあ。この情報だけは初耳だ。
「え? (ホモの)水木が男子校にって」
「それじゃ彼にとってハーレムじゃない!」
「でも彼は総受けよね。大変そう」
その心配の声がまりあをえぐる。
「た、たとえ男子校でも近くにいれば…そうだ。いっそわたしも男子になってしまえば」
「あんたが言うとシャレにならないって」
なぎさの言う通り。まりあは男装して男子で通していた時期がある。
それも優介との関係故だ。
まだ話が続きそうなのを、本来のホームルームをするために木上が打ち切った。
長い話をする時間は、お昼休みを待たなくてはならなかった。
常に自作弁当持参の美鈴。詩穂理は半々。なぎさは自宅から運ばれ、まりあはすぐそばでメイドたちが作るものが運ばれてくる。
だから食べる場所の融通が利いた。
まりあの昼食を作るために駐車しているキャンピングカーでのランチタイムである。
ここにした最大の理由は誰にも聞き耳立てられないということ。
教室や学食では近くに他の生徒もいるから話しにくい。
昼食を採りつつ話が始まる。
「あの、みんな。ごめんね」
まりあが殊勝に切り出す。
「どうしたの? まりあちゃん」
心底不思議そうに美鈴が問い返す。
「だって、みんなより優介を取ってしまったし」
友情より恋をとったということに対する詫びである。
「なーんだ。そのことか」
「考えて損した」といわんばかりのなぎさの態度。
「気にしないでください。私たちもいずれはお嫁に行ってしまうのですから。いつかは離れ離れになります」
「しほちゃん。大学行く前にお嫁さんになるんだ」
顔が赤いあたり美鈴は言葉通りに受け取ったらしい。
「さぁすが。在学中にプロポーズされた人は言うこと違うなぁ」
こちらはからかい半分ででなぎさが言う。
「ちょ、ちょっと。揚げ足を取らないでください」
詩穂理が言葉で一本とられた珍しい場面。
「まーでも、みんな大学行くとしてもあたしは行く気ないし。ただ陸上の選手としてあたしを欲しい大学から話は来てるけど」
ちらりと詩穂理を見る。
「そうですね。その時点で私と綾瀬さんは進路が分かれますし」
「美鈴も花嫁修業だよ」
「まだ女子力あげる気かよ?」
「今すぐお嫁に行けそうなのに」
「さーすが。在学中にプロポーズを受けただけのことはあるな。もう嫁に行く気満々じゃん」
「蒸し返さないでくださいっ」
コントみたいなやり取りだがまりあはすっと胸が軽くなった。
「そうね。みんな違う道をいくのね」
「そうだよ。まりあちゃん。だから好きな人を追いかけたっていいんだよ」
「あんたの人生だからね。あたしらはその障害になるのはまっぴらさ」
「私には何もできません。せめて笑顔で遅らせ下さい」
「みんな……ありがとう。最高の友達だわ」
社交辞令でないのはまりあの涙が物語っている。
「明日の夜にでもお父様と話してくるわ」
まりあの父。礼嗣は高嶺グループのトップとして多忙であった。
ゆえに当日ではいくら愛娘のまりあのためでも予定はつかなかった。
しかしアポの入った翌日はまりあとを交えて夕食のため、すべての仕事を切り上げてきた。
それほどまでに娘を愛していた。
ゆえに納得のいかない相手になど嫁入りさせるつもりは毛頭なかった。
それはまりあも頭にあったもののうまい言い訳が見つからず。
結論として正攻法に出ることにした。
春らしいパステルカラーのワンピース。
あえて髪型はツインテール。これが自分の顔に最も合っているのはわかっていた。
高校生らしさの強調でノーメイク。ピアスも外しておいた。
極力父が抱くまりあのイメージに近い姿で臨んだ。
「どうだね。まりあ。学校では」
ワインを口にして尋ねる礼嗣。愛娘との会食に酔いが加わり上機嫌である。
「それなんだけどお父様。悲しいことがあったの」
「悲しいこと? それはいかんな。どうしたんだい?」
「うん。大事な人が北海道の学校に転校するの」
「……大事な人?」
この言い回しに「男」を感じ取った礼嗣は、一転して渋い表情になる。
例えるなら雲一つない快晴が一気に掻き曇るように。
その雲が雷雲になる一言がまりあから発せられる。
「その人を追ってわたしも、北海道に行きたいの」