85 矛盾した想い
うそでしょ?
リュアティスは呆気に取られていた。
魔法陣が―――消された。
ど……どうやって?
魔法の妨害は、結界を張って魔力の動きを止めたり吸い取ったりするのが一般的で、それができずに発動してしまった魔法は受ける側が防御するしかない。
そして、発動した転移魔法から身を守る、つまり転移を防ぐには、転移直前の一瞬にさっきのエリスレルアのようにテレポートするなどして魔法陣の外に出るしかなく、普通はほぼ不可能だ。
だから、魔石を使用した誘拐への対策として最近の貴族子女は発動前に魔石を処理する訓練をしている。
なのに、発動前に妨害するんじゃなく、魔法陣自体を消すって、どういうこと?
何と言えばいいのかわからず、黙ってエリスレルアを見下ろしていると、床に手を置いてしゃがんだままだった彼女がその両手を自分の胸の前に持ってきて縮こまった。
「ごめ……んなさ…い」
『ご……ごめんな…さい……私……何か…やっちゃいけないこと…した……』
リュアティスは、とにかく視線の高さを合わせようと床にしゃがみ込んだ。
『そんなことないよ』
『リュアティスさん、王都で学校に行かなくちゃいけないから、帰らないといけないの、わかってるのに、いやだったの』
さっき僕が帰ろうとしたのは、学園に通うためじゃないけど。
そう思ったリュアティスだが、エリスレルアの発言で、自分も今の彼女と同じ葛藤を抱えていたことを思い出した。
ずっと二人を向こうの世界に帰そうと思っていたし、それが自分の義務だと思っていたのに、ある時、帰したくなくなってしまったことを。
今では、二人が帰ると言うなら止めるわけにはいかないけれど、自分から進んで帰そうなんて欠片も思っていない。
でも、そう思うようになるというか、思わなくなるまでは、リュアティスも苦しかったのだ。
王都でレイテリアス兄上と話した時、兄上に、それですぐに返す気がなくなったのか、と言われ、そうだと認めて「いけませんか」と返した僕に、兄上は「僕がお前でもそう思うだろう」と言ってくれた。
それで、これはこれでいいんだと思えたんだ。
『……エリスレルア……』
けれど、彼女には兄上のような相談相手がいない。
まあ、僕は別に、兄上に相談したわけじゃないけれど!
セフィテアともっと仲良くなれたあとなら相談できたかもしれないけど、今の段階じゃ無理だし、いくらおませさんでもリルちゃんに相談するのもおかしいし……
かといって、レミアシウスさんじゃ……リルちゃんのほうがいいような……
あ。
「エリスレルア、泣かなくていい」
「私……わがまま……」
彼女の行為は、確かにわがままだったのかもしれない。
けどそれは、僕にとってはうれしいわがままだった。
僕に、ここにいてほしいと、思ったってことだから。
『わがままじゃないよ。
僕は…………あなたにあの魔法陣を、消してほしかったんだから』
嘘じゃない。
消せるなんて思いもしていなかったけど。
止められるなんて思っていなかったけれど、心のどこかで、止めてほしいと思っていたんだ。
『え?』
『あれは、今、開発中の転移魔法の代わりになるもので、一瞬で王都の僕の部屋に戻れるものなんだけど、まだこの距離ではやってみてなくてさ。
実は、あのまま発動しても、上手く王都にたどり着けたかどうかはわからなかったんだ』
これは本当のことだ。
魔石を使った転移では出現場所の魔法陣の作成にも魔力を使う。
ここから寮の僕の部屋に陣をつくるのとそこににたどり着くのにどれくらいの魔力が必要なのか、まだ実験前だったのだ。
最悪の場合、途中のどこかに陣が作成されてそこに落ちてしまったり、どっかの次元の狭間にとらわれていたかもしれない。
『だから、ここに滞在中に、あなたに協力してもらって、いろいろ実験しようと思っていた。
まず、こことアークレルト領の公爵邸までを転移で移動できるようにする実験をして、それが上手くいったら、今度は王都との実験に移るつもりだった』
エリスレルアに話しかけながら、リュアティスはリンシェルアを呼んだ。
『母上。お願いがあります』
『リュアティス?』
『今すぐ、僕の部屋に来てください』
『あなたにネスアロフを近くまで連れてきてもらって、そこまで飛べるかどうか実験し、徐々に距離を伸ばしていこうとしていたところだったんだ』
『え、でも、じゃあ、どうして急に王都に行こうとしたの?』
一つ息を吐くリュアティス。
『エリスレルア、言ってたでしょ?
近くにいたくないけど傍にいたいって。
僕だってそうなんだ。
あなたの傍にいたいけど、追い詰めるくらいなら離れていたい。
だから王都に帰ろうと思った』
失敗するかもしれなかったけど。
『僕は……さ。
あなたにずっと触れていたいけど、傷つけたり追い詰めたりはしたくないんだ』
『!!』
『今までどおり、王都に帰って学園に通い、あなたは好きな時に遊びに来る。
それでいいと思った。
それがあなたの望みなら、できる限りそうしたいと普段の僕は思ってる』
エリスレルアの瞳を見つめる。
『さっきはそれができなかった。
あなたが僕のことを恋人だと言ってくれたのが、自分を抑えられないほどうれしかったんだ。
だから思わず口付けてしまった。
あれは僕のわがままで、謝らなくてはいけないのは、僕のほうなんだ』
『リュアティスさん……』
悲しいとかうれしいとかではなく、リュアティスの優しい光で胸がいっぱいになり、エリスレルアの瞳から涙があふれる。
自分も謝らないと、とエリスレルアは思った。
『今、リュアティスさんの光で胸がいっぱい。
これ以上は、受け止めきれない…の。
さっきもそうだった。
いっぱいだったのに抱き寄せられて、何倍もまぶしくなった。
その直後に、すごく大きな光の塊が直撃したの!
それで、気がついたら最初の島にいた。
もしかして、周りを吹っ飛ばしてたら逃げなくてもよかったかもだけど』
……それって……自分がいなくなるか、周りをなくすかの、二択!?
『だから、逃げちゃったことは、もう謝らない。
でも、そのあと、探してるあなたの『声』に応えなかった。
すごく心配してくれてるの、わかっていたのに黙ってた。
それはやっぱり、よくない、と思う。
ごめんなさい』
ああ!
もう、なんて可愛いんだ!
抱きしめたい!
抱きしめたいーーーーー!
『リュアティスー。入るわよ』
『……どうぞ』
廊下から声を掛けてきたリンシェルアに返事を返して冷静さを取り戻したリュアティスは、自分の気持ちが伝わり過ぎないように注意しながら、手を添えてエリスレルアを立たせた。
『エリスレルア、母上があなたと少し話をしたいそうだ。
聞きたいことがあったら、何でも聞いていいって』
『リンシェルアが? どうして?』
『僕が呼んだ。
女の子の悩みは女の人のほうがわかるかなって思ってさ』
『なるほど……』
エリスレルアの抱えている矛盾が女の子の悩みと言えるかどうかは、ちょっと疑問だけど。
タオルを渡し、エリスレルアがそれで涙を拭いていると、寝室の扉が開いてリンシェルアが姿を見せた。
「母上、彼女をお願いします」
「えぇ」
「リュアティス…は?」
「僕はここにいるよ。
女の子同士の会話は、女の子だけでしたほうがいいでしょ?」
「そっか!」
(女の子同士?
私は、あなたの母親なのだけど……)




