83 婚約者とは
【リュアティス君へ
兄と連絡が取れるようになったようです。明日、話をする予定です。
僕には、今日が最後の夜になるとは思えませんが、その可能性はゼロではない。
そう思ったら、できる限りのことをしたいと思いました。
心に残る想いを、少しでも減らしてほしい。
ただし、最後じゃない確率のほうが圧倒的なので、やり過ぎないように。】
だから、テレパシーじゃなく、彼女が持ってきたのか。
雲の上から、地の底に落ちたような、気持ちの急降下の中で、浮かび上がってくる想いがある。
もう会えなくなってしまうのかもと思うと、それを全部やりたくなるけれど、そうでないならやるわけにはいかない。
複雑な心境でお茶を入れ、テーブルのところに戻ると、エリスレルアはニコニコしながら椅子に座っていた。
「お待たせ」
「ありがとう!」
自分がいれたお茶をおいしそうに飲んでいるエリスレルアが愛しい。
確率が低いとはいえ、この姿を見られるのが今晩で最後となるかもしれないと思うと、たまらない気持ちになる。
なのに。
せっかく、レミアシウスさんが彼女をここへ送ってくれたのに。
……何をしゃべったらいいのか、わからない。
「お菓子もあるよ」
と勧めながら、去年、セフィテアの部屋を訪れた時、彼女がやっていたことと同じことをやっていることに気づいたリュアティスは、レイテリアスが言っていたように、本当に自分はお子様だったな、としみじみ思った。
しかも、セフィテアほど話題もなく、間が持たない。
どうしたものかと思っていると、エリスレルアが席を立った。
「じゃ、私、帰るねー」
「待って!」
「ん?」
あぁ、本当に、あの時のセフィテアの気持ちは、こんなだったんだろう。
リュアティスも、「今夜は帰しませんわ」と言いたくなってきた。
「……星……」
「星?」
「星を見ながら、話したい」
「? うん」
もう暗くなっているベランダへ出る。
立ち話よりはと、小さめのテーブルを置き、その部屋側に椅子を二つ並べた。
テーブルの上にティーポットとカップを並べていると、エリスレルアがガラスの花びんに白い花を入れて持ってきた。
リュアティスが、ベンチ椅子じゃないのが少し残念だなと思っていたら、エリスレルアが3人掛けのソファ椅子と、リュアティスが並べた二つの椅子を一瞬で取り換えた。
「…え…」
「星を見るなら、やわらかい椅子のほうがいいよー。
ずっと見てられるもん!
眠くなったらすぐに寝られるし!」
そう言ってソファに座り、背もたれにもたれるエリスレルア。
きっと彼女は長く見たい時には、普段からそうやって星を見ているのだろう。
そうわかっていても、リュアティスは緊張しながら横に座った。
右手を少し伸ばせば、すぐに彼女に触れられる。
「今日も、きれいな星がたくさん!」
「うん」
時間はあるようでそんなにない。
エリスレルアは眠くなったらすぐに寝てしまうからだ。
少し考えて、リュアティスは、暴走気味になっていた彼女と話していた時に訂正したくなったことを訂正することにした。
「エリスレルア。
訂正したいことがあるんだ」
「訂正?」
「うん」
「何?」
一つ深呼吸をする。
変な誤解をさせたまま、向こうへ帰らせては……いけないよな、やっぱり。
「『婚約者』のことなんだけど」
「?」
「婚約者っていうのは、ずっとギュッと抱きしめていたい人のことだって言ったでしょ?」
「うん!」
「それは、嘘じゃないっていうか、気持ち的にはそういうことなんだけど、本来の意味は、そうじゃないんだ」
「え?」
エリスレルアがリュアティスを見た。
その瞳を見つめ返しながら、聞かれたらわかる範囲ですべて答えるつもりで、リュアティスは言葉を続けた。
なるべく聞き返されずに済むように、高出力発信のほうで話すことにする。
『この国には結婚の制度があって、結婚の約束をした者が婚約者なんだ』
『ケッコンの約束……』
『結婚の婚、約束の約、で、婚約』
『……じゃあ、ケッコンは?』
『親とか兄妹じゃない二人が家族になること、かな』
『家族……』
そうじゃない人たちもいるかもしれないけど。
『だから、リルちゃんやおにいさまは違うって、リュアティスさん、言ったの?』
『そうだよ』
『そっかぁ……え、じゃ、私、なんか、すごく間違ってなかった?』
『それはいいんだ。
婚約者っていうのは、ずっとギュッて抱きしめていたい人のことを言うって、僕が言ったからだから』
うつむき加減になって、エリスレルアは少し考えた。
『じゃあ、私は、約束してないから、婚約者じゃないんだ……』
胸が痛む。
けど、それが正しい。
顔を上げてリュアティスを見つめるエリスレルア。
『でも、レイテリアスは、私はリュアティスさんの婚約者だって言ってたよ?』
『それは……あなたとは約束できなかったけど、僕はあなたに婚約者になってほしかったから、レミアシウスさんにそうしてほしいって頼んだんだ。
本当はあなたと約束したかった。
けれど、あなたとそういう約束をするのは、まだ早いと思った。
僕もリルちゃんもおにいさんも、母上もロドアルたちも、みんな花やお菓子と同じように愛しているあなたに、僕の婚約者になってくださいと申し込んでも、その意味を、正しく伝えられないと思ったんだ』
『そ……そっか……』
リュアティスは立ち上がり、膝を突いた。
『……勝手に婚約者にしてしまって、ごめん。
そのせいで、随分あなたを混乱させてしまった。
けれど、これだけは、信じてほしい。
婚約者という言葉の意味は少し違っていたけれど、ずっと抱きしめていたい人だってことは本当のことなんだ。
あの時……王都で、一番最初にあなたに説明した時、僕が言ったことは本当の僕の気持ちだったんだ!』
抱きしめられたわけではないのに、眩しい光がエリスレルアの心を包む。
優しくて温かく、眩しい光。
それは、クッションやレミアシウスだけじゃなく、セルネシウスから感じる優しく安定した光とも違う光で、エリスレルアは、自分でもよくわからないまま、膝を突いているリュアティスの横にしゃがんだ。
『リュアティスさん、立って』
『え?』
立ち上がったリュアティスに抱きつくエリスレルア。
え……と? え?
戸惑っている彼を抱きしめたまま、エリスレルアは顔を彼の胸にうずめた。
『婚約者は、わかった。
じゃ、婚約者じゃない、ずっとギュッて抱きしめていたい人はなんて言うの?』
ドキドキしながらリュアティスはなんとか言葉を紡ぎ出した。
『……恋人……かな』
ギューッと抱きしめるエリスレルア。
『私は、リュアティスさんと家族になるとかはよくわからないけど、でも、リュアティスさんの優しい光は大好きで、ずっとギュッてしていたいなって思う。
だから、今の恋人はリュアティスさん!』
そう言って自分を見上げたエリスレルアに、リュアティスは我慢しきれず、抱きしめ返して、口付けた。




