78 おいていかないで
広い麦畑を突っ切ったエリスレルアは、そのまま森の中に突入した。
道ではなく、背の高い木々の間をすり抜けているだけなので、自分の目線より低い木や草は無視して走っていたため、小枝が当たり、茨に引っかかり、手足は小さな傷だらけ、ドレスもあっちこっち破れた。
それでも彼女が走り続けたのは、そんな小さな痛みより、胸のほうが何倍も痛かったからだった。
そのうちの半分は、リュアティスが心のこもったプレゼントを受け取っていなかったということに腹を立てていたからだが、残りの半分がなぜなのか、エリスレルアはよくわからずにいた。
悲しみも怒りも、自分の心のことなのに、よくわかからない。
自分がかけた願いなのだから破れるはずだし、本気で破ろうとしていたのに、どうしてリュアティスへの手紙が無傷なのかもわからなかった。
森の中を流れている小川の川原まで来たところで、エリスレルアは石につまずいた。
森の中では木が茂っていたので、何かに足を取られても倒れすに済んだのだが、石が転がっているだけの川原では、ズサーっと頭から滑り込むこととなった。
「…………痛い」
倒れたまま泣きたくなる。
リュアティスさんは、和解したと言っていた。
だから、プレゼントを受け取らなかったのは昔のことで、しかも、謝って許してもらっている。
それなのに、どうして私は怒っているのかしら?
あの時。
手紙を守ろうとした時。
リュアティスさんが、それを止めたから?
違う気がする。
どっちかって言うと……
あの時。
手紙を守ろうとした時。
私、リュアティスさんに……捕まった。
捕まった!!
エリスレルアの周りが虹色に輝き、半径1メートルくらいの地面が消滅した。
虹色の光の玉の中にふわっと浮いて、直立する。
その時、森からリュアティスが飛び出してきた。
「エリスレルア!」
「……リュアティス……」
☆ ☆ ☆
リュアティスが近づこうとすると、光の玉ごとエリスレルアが遠ざかり、今は小川の真上にいる。
「エリスレルア、あのさ」
「リュアティス、どうして、捕まったの?」
「えっ?」
「最初、の部屋の時、捕まらなかったのに、さっきは捕まった!
どうして!」
エリスレルアの足りない言葉を補うように彼の記憶が結びつく。
最初の部屋って……初めて会った寮の部屋のこと?
「あの時は、捕まえようとしていなかったから」
「違う!」
いや、違わないんだけど……
エリスレルアから感じる憤りのようなものがなんなのかわからないリュアティスは、まずそれを突き止めるのが先だと、立ち止まった。
「違わないよ。
あの時は気配に反応して、排除っていうか、なぎ払おうとしたのだから」
かぶりを振るエリスレルア。
「違う!
リュアティスの速さが、全然違う、の、は、どうして!」
「!」
そういうことか。
夏季休暇の間いろいろあったリュアティスだが、内面はともかく身体能力的にはそれほど変わっていなかった。
が、最終日にネスアロフに指摘され、授業だけでなく朝練や夕飯後とかも鍛練を重ねるようになった。
その結果、前より数段動きがよくなったのだ。
「それは、強くなりたくて鍛練したから」
「タンレン?」
「身体を鍛えて、技術を磨いて……ほかにもいろいろ……」
「……リュアティス、運動、したの?」
……運動……
「そうだよ」
「そうか……じゃあ、いいか……」
何かを納得したように、エリスレルアは着地……ではなく、着水し、虹色の光が消えた。
「あ、川の上だった」
岸に上がって、靴を脱いだ。
辺りはだいぶ薄暗くなってきている。
駆け寄ったリュアティスは、彼女が傷だらけでドレスも破れまくっていることに気づいた。
エリスレルアが通った形跡があるところを突っ切ってきたリュアティスも、あちこちかすり傷があったが、彼女ほどではない。
リュアティスはエリスレルアに回復魔法をかけた。
「ありがとです」
礼を言ってくれはしたけど、何かいつもと様子が違う。
謝って済むなら謝りたかったが、怒った理由があれでは、エリスレルアに謝るのは違う気もする。
かといって、このまま川原に二人で突っ立っているのは、もっとおかしい。
どうしたものかと思い悩んでいたら、エリスレルアが謝った。
「ごめんなさい。
プレゼントを無視するのは、いけないことだけど、リュアティスが悪かったのは昔です。
今は、和解したって言った。
だから、もう、悪くない。
昔のダメなこと、直せる人は偉い人です」
エリスレルア……
「ありがとう」
リュアティスが礼を言い、辺りに光があふれるのを見て、エリスレルアの瞳から涙があふれた。
「エリスレルア?」
「あの女の子、リルちゃんくらい小さい頃から、の、思い出、いっぱい、で、心が泣いてた」
「え?」
「そして、私が羨ましいって、思ってた。
私には、ない。小さい頃がある人なのに。
だから……私も羨ましくなった。
そして、リュアティスも速くなって、私だけおいていかれると思った!」
!!
「私をおいていく人は、コンヤクシャじゃないって思った!
リュアティスと一緒に大きく育ったあの子のほうが、コンヤクシャ!
先生のほうが、リュアティスにはちょうどいいし!
そう思ったら…………そう思ったら、手紙、いやになった!!
どうして、あんなこと、書いたんだろうって!
読まれたくない!!
でも、リュアティス以外に破られちゃダメって願ったせいで、あなたじゃないと破れないの!!」
一生懸命叫んでいるエリスレルアが、可愛くて仕方ない。
そして、何が書いてあるのか、読みたくて仕方ない。
けれど、今、それを言うと、手紙はどこかへ消えてしまう可能性がある。
破れないだけで、どこか遠いところ、空の彼方とか、海の底とかに送られてしまったら、もう、取り戻せない。
「僕は、あなたをおいていったりしないよ」
どちらかと言えば、おいていかれるのは僕のほうだ。
「セフィテア…あの女の子は、確かに僕と一緒に大きくなったけど、僕がずっと抱きしめていたい人ではなかったんだ。
だから、プレゼントを受け取らなかった」
「え、でも……プレゼントは……もらわないと……」
ゆっくりと息を吐き、エリスレルアをじっと見つめるリュアティス。
「プレゼントを受け取ると、婚約者だと認めてしまうことになってしまうんじゃないかって、思って、受け取りたくなかったんだ」
当時の僕は興味がなかっただけだけど、大筋ではこれで間違っていない。
「僕がプレゼントや手紙をもらいたい婚約者はエリスレルアだけで、あなたがこの世界に来るまでは、この人からほしいって思える人が誰もいなかったんだ」
「……でも……」
そーっと抱き寄せる。
「心から欲しかった手紙をやっともらえたのに、あなたはそれを僕から取り上げてしまうつもりなの?」
うつむいたエリスレルアは、黙ったまま首を横に振った。
「ありがとう。
手紙、読んでもいい?」
しばらく動かなかったエリスレルアが、小さくうなずいた。
「うん」




