45 かすかな動揺と久しぶりの頭痛
彼女が恋愛感情の存在に気づくまで、待ち続けるつもりではあるけれど。
『えっ? リルちゃんも?』
「リルちゃんは行きません」
『えーっ! リルちゃん、行かないの?』
リルちゃんに負け続けているのは、さすがにへこむ。
次の日の朝食後、夏休みが終わるのでそろそろ王都に帰るから一緒に行きませんか、と聞いたリュアティスに、エリスレルアが聞き返したのだ。
『往復で30日もかかるんだぞ?
そんな遠くまで、リルちゃんを連れていけるわけないだろ』
かといって、リルちゃんと張り合うのも、どうかと思う。
張り合っても勝ち目がないし。
みんな、こういう時、どうしているんだろう?
『リルちゃんが行かないなら、私も行かないー』
当然、こうなるよな。
小さくため息をついて、リュアティスはかろうじて微笑んだ。
「わかりました。
向こうへは、僕だけ帰ります。
レミアシウスさん、いろいろご配慮いただき、ありがとうございました」
『リュアティス君……』
彼らの部屋から出ていこうとしたリュアティスに、エリスレルアが声をかけた。
『えっ!
リュアティスさん、リルちゃんが行かないのに帰るの?』
「僕は学園で学ばなければならないことがたくさんあるのです」
僕の呼び方がまた「さん」付けに戻っているが、もう気にしないことにした。
いろいろ聞いてみた結果、どうやら彼女の中で、僕の名前はすっかり『リュアティスサン』という名前になっていると言ってもいいほど一体化しているようだ。
つまり、僕のことを「リュアティス」と呼ぶのは、僕が彼女のことを「エリスレルア」ではなく「エリス」とか「エリー」とかっていうふうに呼ぶのと同じ感じのようだった。
それは確かに呼び辛いよな……ハァ……
と、リュアティスはあきらめたのだ。
やはり、そういうのは、もう少し親しくなってから、というか、なのではないか、というか……
『ガクエン?』
『学校のことだよ』
ん?
『えー! リュアティスさんって、学校に通ってるの?』
「そうですが」
なぜ学校に食いついているのだろう……
『おにいさま! 私も通うー!』
『はぁ!? だめだよ、お前は!
だいぶ前に、どっかの星で学校を一つ、壊滅させてたじゃないかー!』
(あの時、どれだけにいさんがフォローしまくったと思ってるんだ)
『リュアティス君の学校に迷惑をかけるわけにはいかないだろ!』
『今度は壊さないようにおとなしくしてるから!』
必死っていう感じで訴えているエリスレルアに、レミアシウスはうつむいて右手で自分の額を抑えた。
『あのさ、学校っていうのは、おとなしくしに行くところじゃないんだぞ?
勉強をしに行くところなの!』
エリスレルアに視線を戻す。
『お前がリュアティス君の学校に通っても授業についていけないだろうし、大体、言葉がわからないだろ?』
このセリフに、うつむいてしばらくじっとしていたエリスレルアが、ムッとしながらレミアシウスを見つめ返した。
「でも、いない、と、リュアティス、さいび…し…さしびし……」
……え?
……今、僕がいないと寂しいって言おうとした?
リュアティスの胸が少し高鳴る。
しかし、エリスレルアは再びうつむいた。
「エリスレルア?」
『……こんなんじゃ、だめだよね……
けど……おにいさまの言うとおりだけど……なんか……』
ぎゅっと目を閉じたエリスレルアが、一瞬虹色に光った。
〈〈バカーーーーーツ!!!〉〉
『うわっ!!!』
彼女の絶叫テレパシーが、久しぶりにリュアティスの頭の中に大音量で響き渡った。強烈な頭痛に襲われて意識を失いそうになったが、かろうじて倒れずに踏みとどまる。
直撃を受けたレミアシウスは目を回して倒れた。
叫び終わったエリスレルアはベランダに飛び出し、その手すりを飛び越えていった。
えぇえ?
……ここ、3階なのだが……
貴族の豪邸の3階である。地表から床の高さまでで十数メートルはある。
頭痛を堪えながらベランダの手すりまで走り、下を見ると、花壇を突っ切っていく彼女の後ろ姿があった。
「……この手すりを飛び越えて平然と走っていくって……」
カルファレス兄上しか、できないだろうな。
というか……やろうとしないだろうな。
クスッ
「身体も鍛えなくてはならないということか」
やらなければならないことが山積みで、リルちゃんに負けた程度で落ち込んでいる場合ではない。
意識を失っているレミアシウスをソファに横たえ、部屋を出ると、外に待機していた2名の侍女も意識を失って倒れていた。
「……え……」
二人の身体を起こして壁に寄りかかるようにして座らせ、慌てて隣の部屋に行くと、ネスアロフも倒れていた。
「これは……」
母上の病気が治った時以上の大騒ぎになってしまうのでは……
どれくらいの範囲の人たちが倒れているのだろう、と天を仰ぎながらネスアロフをソファに横たえ、リュアティスは事態の収拾に最適と思われる、リンシェルアの部屋へ向かった。
僕がぎりぎり大丈夫だったのだから、たぶん母上も大丈夫なはずだ。
扉をノックすると、中から彼女が現れた。
「あら、リュアティス、どうしたの?
さっき、何か、キーンって音がしたのだけれど……何だったのかしら?」
さすが母上!
「実は―――」
リュアティスの状況説明が終わると、リンシェルアは苦笑したあと、怒った。
「リュアティス~、あなたの行動は半分正解で半分間違いよ?」
「えっ?」
「私のところに来たのは正しいわ。
でも、順番が違うでしょ!」
「順番って……」
全部の部屋を覗きながら来るなんて、さすがに効率が悪過ぎるというか……
「なるべく早く母上にご相談をしようと―――」
「さっさとエリスレルアちゃんのところへ行きなさい!!」
!!
「わかりました!」
リュアティスは駆け出した。
「ホントにもう」
先が思いやられるわ、とため息をつきながら事態の収拾に向かうリンシェルア。
「でも……あれくらいのほうが、今の彼女にはちょうどいいのかもしれないわね」
あきれながらもリュアティスの行動を微笑ましく思うリンシェルアであった。
☆ ☆ ☆
彼女はたぶんあそこだろうとリュアティスが森の中を走っていくと、思ったとおり、エリスレルアは彼女がリスと呼んでいた妖精の目撃証言が時々聞かれる場所にいた。
「やはりここでしたか」
澄み切った空気が満ちているそこは、ロドアルの家の近くの泉以上に彼女のお気に入りの場所なのだ。
澄んだ水が湧き出している泉のほとりで、彼女は眠っていた。
木漏れ日がキラキラと降り注ぎ、やわらかい風が吹いている。
彼女の横に腰を下ろしたリュアティスが横向きで眠っているエリスレルアをよく見ると、ほんの少しではあるが目尻に涙がにじんでいた。
上手くしゃべれなかったのがよほど悔しかったのだろうな。
一瞬迷ったリュアティスはそっとその涙に触れかけて止まり、彼女を起こさないように小声でささやいた。
「あなたはリルちゃんのところで待っていてください。
あなたは、僕が呼んだ時に僕のところへ来てくださったら、それでいいのです」
馬車の旅なんて、あなたには必要ないのだ。
一瞬でどこへでも行けるのだから。
そんな能力があるのに、馬車でしか移動できない僕たちに合わせる必要はない。
心の中だけで思いながらじっと見つめていると。
『うん!』
エリスレルアが返事をした。
「え!?」
起きてる!?
急に恥ずかしくなって体温が急上昇したリュアティスだったが、エリスレルアは一向に目を開けそうもない。
寝てるのか。
寝てても、聞こえるってこと?
リュアティスは無性に笑いたくなった。
なんだろう。
なんで僕、こんなに厄介な子、好きになっちゃったんだろう?
けど。
さっきまでより穏やかな寝顔になっているエリスレルアを見つめる。
どんなに厄介だろうと、どんな条件を出されようと、やはりこの子じゃなきゃだめだと思う。
この子がいない世界の中で探すのならば、この子は対象外なのだけど。
―――ほかの世界で見つけて、こっちへ呼んでしまったのだから。
どうか、ほかの誰でもない、この僕のことを好きになってくれますように!
「リュアティスさん?」
はっ! 聞こえた?
「ここ、どこ?」
「リスの森です」
目が覚めただけか。
少しだけ残念なような、聞かれなくてよかったような、複雑な心境になる。
『目が覚めたのなら、この辺りを少し散歩しませんか?』
『うん!
またリスがいるといいな~』
笑顔が戻ったエリスレルアを見て、リュアティスも微笑む。
二人で森の中を散歩しながら、ゆっくり時が過ぎていく。
これはこれで……今の僕にはちょうどいいかも。
次回予告〔公爵家別邸への訪問者〕




